東中野信者による数字遊びに過ぎない2
投稿者: YellowFlute 投稿日時: 2004/05/20 17:31 投稿番号: [5217 / 29399]
38年 1月17日(ラーベ日記)
昨日の午後、ローゼンと一緒にかなり長い間市内をまわった。すっかり気が滅入ってしまった。日本軍はなんというひどい破壊のしかたをしたのだろう。あまりのことに言葉もない。近いうちにこの街が息を吹き返す見込みはあるまい。かつての目抜き通 り、イルミネーションなら上海の南京路に引けをとらないと、南京っ子の自慢の種だった太平路は、あとかたもなく壊され、焼き払われてしまった。無傷の家など一軒もない。行けども行けども廃墟が広がるだけ。大きな市が立ち、茶店が建ち並んでいた繁華街夫子廟もめちゃめちゃで見るかげもない。瓦礫、またがれきだ!いったいだれが元通 りにするというんだ!帰り道、国立劇場と市場の焼け跡によってみた。ここもなにもかもすっかり焼け落ちていた。南京の三分の一が焼き払われたと書いたが、あれはひどい思い違いだったのではないだろうか。まだ十分調べていない東部も同じような状態だとすると、三分の一どころか半分が廃墟と化したといってよいだろう。
日本軍は安全区から出るようにとくりかえしていっているが、私は逆にどんどん人が増えているような気がする。上海路の混雑ときたら、まさに殺人的だ。いまは道の両側にそこそこしっかりした作りの屋台ができているのでなおさらだ。そこではありとあらゆる食料品や衣料品が並べられ、なかには盗まれた故宮宝物まで混じっている。
『難民の数は今や二十五万人と見積もられている。増えた五万人は廃墟になったところに住んでいた人たちだ。かれらは、どこに行ったらいいのかわからない。』
「1937年11月23日に国民党政府軍事委員会後方勤務部宛書簡」
調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約50万余りである。将来は、『およそ20万と予想される』難民のために食糧送付が必要である。
「松井指揮官・山本実彦対談」
三軍を統べて我民族のために上海、蘇州、講習、南京で大捷し、歴史的の偉業を、基地でホット休養している松井指揮官を私は大晦日の午後に訪問いたしまして約一時間会談を遂げることができました。
・・・
山本:
南京もよく行きましたね。あれほど早く陥ちるとは思ひませんでした。
松井:
実は僕らも、もう二週間ぐらいは後になるだらうとおもっていたが、案外に早かった。蒋介石の教導総隊だけは相当に抵抗をつづけたが、後はたいした抵抗をしなかった。だから南京は都合の好いことには余り破壊されていない。蘇州も十分の一位しか壊れていないが、占領地域の人民の帰って来るまでにはやはり一月位はかかるだらうね。今でも『一日に六百人位』は帰って来るとか云ふ話だ。
これは メッセージ 5216 (YellowFlute さん)への返信です.
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