映画と事実は違います(その2)
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2004/05/06 00:22 投稿番号: [5119 / 29399]
>ちなみに大学にはバカ教授がはいて捨てるほどいますね。
中央大学教授吉見義明はバカの典型だ。
慰安婦強制連行のウソ
http://www.sagamiono-ch.or.jp/intercessors/2001/2001.05/2001.05.report.05.htm
(一部抜粋)
(7) 1992年1月14日、韓国ではマスコミが一斉に「小学生までが慰安婦にさせられた!」というショッキングなニューズを流しました。ところがこれがまた大言誤報で、真相は女子児童が挺身隊として勤労動員されたというだけの話だったのです。つまり挺身隊=慰安婦というデマを信じたマスコミの判断であったのです。
(8) 1992年11月中央大学教授吉見義明編「従軍慰安婦資料集」が刊行されましたが、その中に「強制連行」を示す資料は一つもありませんでした。その本の解説の中で吉見教授は「一般には、強制連行というと人狩りの場合しか想定しない日本人が多いが、これは狭義の強制連行であり、詐欺などを含む広義の強制連行の問題をも深刻に考えてしかるべきであろう」と述べています。この人はこれまで「強制連行はあった」と論じてきたのに、色々調べていった末、それを裏付ける資料がないことが分かると論点をすり換えて「広義の強制連行」を考えるべきだなどと言い始めました。また「政府が資料を隠しているのかもしれないから、それが出てきたら事情が変わってくる」と暗示しているのも学者らしい狡さを見せつけられます。
(9) 1997年1月3日の「朝まで生テレビ」に出演した吉見義明教授は、「植民地での奴隷狩り的強制連行は確認されていない」ことと、および「挺身隊が慰安婦にさせられた例も確認されていない」ことを認めました。これは日本政府の5年前に調査した公式発表と一致するものです。
>映画を見ろっていうのは、・・・
1987年アカデミー賞で全9部門を受賞した『ラストエンペラー』という映画があった。
ところが、あの映画でさえも嘘っぱちのでっち上げが盛り沢山。
〆 〆 〆
・溥儀が、もっとも心を寄せていたのが日本であった。溥儀は日本の皇室に対して、一種、崇めるような気持ちを持っており、日本訪問を強く希望していた。ヒョウ玉祥のクーデターによって紫禁城を追われ、彼自身の自動車で北京北部にあった父の住居のある北府に移ったときも、日本を頼っている。身の危険があったので、1924(大正13)年11月29日、強風が吹き砂塵で視界朦朧たる中を日本大使館に逃げ込み、吉澤謙吉公使の賓客となったのである。
・当時の日本は国際関係が複雑になることを好まず、彼をなかなか受け入れようとしなかったが、それから数年経つうちに満州の状況は大きく変わった。共産主義勢力に後押しされた排日運動が激化し、日本の企業や居留民を狙った”テロ”が続出するようになったのである。
・「シナ人は、日本人が皇帝(溥儀)をその意思に逆らって拉致し、連れ去るのだと言い立てようと努力している。この話は、ヨーロッパ人のあいだに広く流布され、多くの人がそれを信じた。しかしこれは、まったくの嘘である。・・・皇帝はご自身の意思で天津を去り満州に行かれたのである」ジョンストン(ロンドン大学教授)「紫禁城の黄昏」より
・実際、東京裁判の弁護団は「紫禁城の黄昏」を証拠書類として申請した。しかし、そのような証拠を認めてしまえば裁判そのものが成立しなくなる。それを恐れた連合国は、この申請を却下した。同様に、満州族が建国前からつづけていた民族独立運動に関する証拠も、すべて門前払いにしたのである。
http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/mansyu_jihen_1.html
より一部抜粋
中央大学教授吉見義明はバカの典型だ。
慰安婦強制連行のウソ
http://www.sagamiono-ch.or.jp/intercessors/2001/2001.05/2001.05.report.05.htm
(一部抜粋)
(7) 1992年1月14日、韓国ではマスコミが一斉に「小学生までが慰安婦にさせられた!」というショッキングなニューズを流しました。ところがこれがまた大言誤報で、真相は女子児童が挺身隊として勤労動員されたというだけの話だったのです。つまり挺身隊=慰安婦というデマを信じたマスコミの判断であったのです。
(8) 1992年11月中央大学教授吉見義明編「従軍慰安婦資料集」が刊行されましたが、その中に「強制連行」を示す資料は一つもありませんでした。その本の解説の中で吉見教授は「一般には、強制連行というと人狩りの場合しか想定しない日本人が多いが、これは狭義の強制連行であり、詐欺などを含む広義の強制連行の問題をも深刻に考えてしかるべきであろう」と述べています。この人はこれまで「強制連行はあった」と論じてきたのに、色々調べていった末、それを裏付ける資料がないことが分かると論点をすり換えて「広義の強制連行」を考えるべきだなどと言い始めました。また「政府が資料を隠しているのかもしれないから、それが出てきたら事情が変わってくる」と暗示しているのも学者らしい狡さを見せつけられます。
(9) 1997年1月3日の「朝まで生テレビ」に出演した吉見義明教授は、「植民地での奴隷狩り的強制連行は確認されていない」ことと、および「挺身隊が慰安婦にさせられた例も確認されていない」ことを認めました。これは日本政府の5年前に調査した公式発表と一致するものです。
>映画を見ろっていうのは、・・・
1987年アカデミー賞で全9部門を受賞した『ラストエンペラー』という映画があった。
ところが、あの映画でさえも嘘っぱちのでっち上げが盛り沢山。
〆 〆 〆
・溥儀が、もっとも心を寄せていたのが日本であった。溥儀は日本の皇室に対して、一種、崇めるような気持ちを持っており、日本訪問を強く希望していた。ヒョウ玉祥のクーデターによって紫禁城を追われ、彼自身の自動車で北京北部にあった父の住居のある北府に移ったときも、日本を頼っている。身の危険があったので、1924(大正13)年11月29日、強風が吹き砂塵で視界朦朧たる中を日本大使館に逃げ込み、吉澤謙吉公使の賓客となったのである。
・当時の日本は国際関係が複雑になることを好まず、彼をなかなか受け入れようとしなかったが、それから数年経つうちに満州の状況は大きく変わった。共産主義勢力に後押しされた排日運動が激化し、日本の企業や居留民を狙った”テロ”が続出するようになったのである。
・「シナ人は、日本人が皇帝(溥儀)をその意思に逆らって拉致し、連れ去るのだと言い立てようと努力している。この話は、ヨーロッパ人のあいだに広く流布され、多くの人がそれを信じた。しかしこれは、まったくの嘘である。・・・皇帝はご自身の意思で天津を去り満州に行かれたのである」ジョンストン(ロンドン大学教授)「紫禁城の黄昏」より
・実際、東京裁判の弁護団は「紫禁城の黄昏」を証拠書類として申請した。しかし、そのような証拠を認めてしまえば裁判そのものが成立しなくなる。それを恐れた連合国は、この申請を却下した。同様に、満州族が建国前からつづけていた民族独立運動に関する証拠も、すべて門前払いにしたのである。
http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/mansyu_jihen_1.html
より一部抜粋
これは メッセージ 5111 (syoumenkyousi さん)への返信です.