韓国の土下座文化の歴史-3
投稿者: akanbei_21c 投稿日時: 2003/11/25 15:39 投稿番号: [3523 / 29399]
東の地の周囲数千里の人は皆活気を与えられ養化の恩に囲まれた。これは実に古典に見えないことである。漢水の上流の三田渡の地の南、すなわち聖皇帝が到来した地に壇位あり。我等の寡君が役所の人に曰く、壇位を付け足して高さを大に伸ばし、また石を取り付けて碑を建て、永久に存ぜしめて聖皇帝の功徳を天地に知らしめたい、と証とした。これは、我が小国のみが代々永遠に頼って行きながらえるのみならず、大国の仁、立派な威に遠方から次々と皆順うことは、まさにこれより始まるのである。たとえ天地の大いなるを記し、日月の明るいのを書いたとしても、その万に一にも比較されえない。なお大略刻して証とすることは、天霜が露を降らしめ色白くなしたのを蘇らせる。聖皇帝はそこで同意して威徳を一緒に施す。
聖皇帝は東方を征した。十万兵ごろごろと多くの虎豼獣の如く西北の国は皆矛を取り、先頭となるのを争うことは、威大いに絶景である。聖皇帝はたいへん仁にして、憐れみ下したる勅、言葉十条に下せる書は威風があって和始め迷って知らずあり、自ら災いを求めた。聖皇帝の明旨が到来したので、神がかりの状態になってまさに醒めた如く我等の王が受け取って従ったことは、威を恐れたのみならず徳に従ったことである。聖皇帝は慈しみ、恩を与えて礼を行って良顔笑って緊要の戈を収め、良馬軽裘を装ったので、城の男女歌って賞賛すること、我等の王が戻れたことは、聖皇帝の与えたことである。
聖皇帝は、我等の民が生き長らえるようにと、兵を帰した。我等の乱れて四散したのを憐れんで我等の田の事を奮起させた。滅んだ国にいつものごとくあるのは、この新しい壇のためである。乾いた骨に再び肉を生じさせた、冬草の根がまた春季に出会った如くあった。大江の源のそばに高さが大きい石を立て、 三韓の地が万年あらせることは、聖皇帝の善行のおかげぞ。
崇徳四年十二月初八日建立
(九叩三拝)
これは メッセージ 3522 (akanbei_21c さん)への返信です.
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