Re: 日本の台湾主権放棄
投稿者: pokosi2000 投稿日時: 2011/10/21 20:22 投稿番号: [26252 / 29399]
>僅かな誤謬をとらえて、狂喜乱舞するバカウヨはまことに滑稽ではある。
僅かな誤謬ねえ?
慰安婦として働いた期間が3年から1年弱に変わり、連行された年齢も14才から16才と変動している。
この証言の矛盾はなんでもPTSDが原因らしいが、辻褄が合うように記憶を修正するPTSD便利なものがあるものだ。
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「李容洙」(イ・ヨンス)の嘘だらけの証言
1.1993「写真記録 やぶられた沈黙」では、1944年夏、友達が家に誘いに来てついて行くと、軍服みたいな服を着た男がおり、ワンピースと赤い靴をもらって感激してついて行く。
2.1993・10「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」では、一九四四年、私が満十六歳の秋のことです。川のほとりで見かけた日本人の男の人が立っていました。国民服に戦闘帽をかぶっていました。赤いワンピースと革靴の入った包みをもらって、幼心にどんなにうれしかったかわかりません。もう他のことは考えもしないで即座についていくことにしました。
3.英文中国日報(1998・.8・23)では、1944年のある夜、韓国の故郷から日本軍により誘拐され、日本軍の性奴隷として足かけ3年間従事慰安所に送られた時はわずか数え年16歳であった。
4.元「慰安婦」へ補償を〜日本共産党との会合 (2002・6・26)では、14歳で銃剣をつき付けられて連れてこられたこと、拒むと殴られ、電気による拷問を受けて死にかけたことなどを話し
5.「消せない記憶」〜京都での市民集会李容珠 (2004・12・4)では、1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。
6.京都新聞(2004・12・5)では、16歳でわけが分からないまま連行され、1944年ごろ、旧日本軍に拉致され、台湾で約3年間従軍慰安婦として
7.証言集会〜同志社大学(2005・4・21)では、女性が片手で私の肩を抱いて、もうひとつの手で口を塞いで私を連れて行きました。その時、私は韓国の年齢で16歳でした。
8.朝日新聞(2005・8・11)では、韓国の大邱から15歳ごろ連行された。
9.埼玉上田知事発言に元慰安婦が抗議(JanJan 2006・10・13)では、15歳で韓国・大邱の家から軍人に拉致され、台湾まで連れ去られ、敗戦で解放されるまでの3年間の経過を証言した。
10.中央日報「米議会で初の‘慰安婦聴聞会’韓国・オランダ人女性3人が証言」(2007・2・16)では、1944年の16歳の時に台湾に慰安婦として連行され
11.イヨンスさいたま公聴会(2007・2・23)では、15歳の時、家で寝ているとき小窓をたたく音に目を覚まし
12.JANJAN「米公聴会でも証言した李容洙さんが、埼玉で再び「証言・告発」(2007・2・26)では、15歳のとき、小銃で脅され、大連から、台湾に連行され新竹海軍慰安所で特攻隊員の慰安婦とされた。
上記は「李容洙」の証言の一部ですが「共通」しているのは「1944年」だけで、慰安婦になった「状況」も違えば「年齢」も14歳から16歳と違っており、3年間も慰安婦をしたのであれば「大東亜戦争終結後も慰安婦を続けた」事となるのです。
↑2007年2月23日に埼玉で行われた「イ・ヨンスさんのお話を聞く会」の配布資料ですが、当初は1944年の秋から「3年間」も慰安婦としての生活をしたとの証言でしたが「戦後も慰安婦を続けたのは嘘だ」と非難されたので「1年弱」と訂正をしました。(年齢も16歳から15歳に訂正)
http://blogs.yahoo.co.jp/x1konno/31823357.html
僅かな誤謬ねえ?
慰安婦として働いた期間が3年から1年弱に変わり、連行された年齢も14才から16才と変動している。
この証言の矛盾はなんでもPTSDが原因らしいが、辻褄が合うように記憶を修正するPTSD便利なものがあるものだ。
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「李容洙」(イ・ヨンス)の嘘だらけの証言
1.1993「写真記録 やぶられた沈黙」では、1944年夏、友達が家に誘いに来てついて行くと、軍服みたいな服を着た男がおり、ワンピースと赤い靴をもらって感激してついて行く。
2.1993・10「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」では、一九四四年、私が満十六歳の秋のことです。川のほとりで見かけた日本人の男の人が立っていました。国民服に戦闘帽をかぶっていました。赤いワンピースと革靴の入った包みをもらって、幼心にどんなにうれしかったかわかりません。もう他のことは考えもしないで即座についていくことにしました。
3.英文中国日報(1998・.8・23)では、1944年のある夜、韓国の故郷から日本軍により誘拐され、日本軍の性奴隷として足かけ3年間従事慰安所に送られた時はわずか数え年16歳であった。
4.元「慰安婦」へ補償を〜日本共産党との会合 (2002・6・26)では、14歳で銃剣をつき付けられて連れてこられたこと、拒むと殴られ、電気による拷問を受けて死にかけたことなどを話し
5.「消せない記憶」〜京都での市民集会李容珠 (2004・12・4)では、1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。
6.京都新聞(2004・12・5)では、16歳でわけが分からないまま連行され、1944年ごろ、旧日本軍に拉致され、台湾で約3年間従軍慰安婦として
7.証言集会〜同志社大学(2005・4・21)では、女性が片手で私の肩を抱いて、もうひとつの手で口を塞いで私を連れて行きました。その時、私は韓国の年齢で16歳でした。
8.朝日新聞(2005・8・11)では、韓国の大邱から15歳ごろ連行された。
9.埼玉上田知事発言に元慰安婦が抗議(JanJan 2006・10・13)では、15歳で韓国・大邱の家から軍人に拉致され、台湾まで連れ去られ、敗戦で解放されるまでの3年間の経過を証言した。
10.中央日報「米議会で初の‘慰安婦聴聞会’韓国・オランダ人女性3人が証言」(2007・2・16)では、1944年の16歳の時に台湾に慰安婦として連行され
11.イヨンスさいたま公聴会(2007・2・23)では、15歳の時、家で寝ているとき小窓をたたく音に目を覚まし
12.JANJAN「米公聴会でも証言した李容洙さんが、埼玉で再び「証言・告発」(2007・2・26)では、15歳のとき、小銃で脅され、大連から、台湾に連行され新竹海軍慰安所で特攻隊員の慰安婦とされた。
上記は「李容洙」の証言の一部ですが「共通」しているのは「1944年」だけで、慰安婦になった「状況」も違えば「年齢」も14歳から16歳と違っており、3年間も慰安婦をしたのであれば「大東亜戦争終結後も慰安婦を続けた」事となるのです。
↑2007年2月23日に埼玉で行われた「イ・ヨンスさんのお話を聞く会」の配布資料ですが、当初は1944年の秋から「3年間」も慰安婦としての生活をしたとの証言でしたが「戦後も慰安婦を続けたのは嘘だ」と非難されたので「1年弱」と訂正をしました。(年齢も16歳から15歳に訂正)
http://blogs.yahoo.co.jp/x1konno/31823357.html
これは メッセージ 26229 (fukagawatohei さん)への返信です.