迎合は「奸友」・「日中友好」を解体せよ
投稿者: kin_wen_xue 投稿日時: 2008/01/04 07:45 投稿番号: [19927 / 29399]
金文学著『中国人による中国人大批判』−日本は謝罪してはならない−
祥伝社黄金文庫
283〜286p
一九七二年、日中国交回復以来、三十余年間も「日中友好」が叫ばれるなか、皮肉にも中国、日本両国は普通の外交関係を構築できず、いまだに「日中友好」を達成できていないのが実情です。
わたしは、あれほど声高に叫ばれている「日中友好(あるいは中日友好)」という発想自体に疑問を抱いています。
もちろん、両国間の平和的友好について否定したり、反対したりするつもりは微塵もありません。
わたしが指摘したいのは、意識的にしろ無意識にしろ、妄動的、ある種の迎合的な「日中友好」について、これを警戒し、反省すべきであるという意味です。
当然「友好」は両国が望む願望であり、理想であって、実現すれば素晴らしい未来が拓(ひら)くと信じてやみません。
しかし、共産主義がいくら素晴らしい理想であろうと、人間の本能や欲望まで無視して一切を平均化した愚は、すでにその崩壊が立派に証明しているとおりです。
これと同じように「日中友好」も、理想の外衣を被(かぶ) って、両国の異質性、両国民の文化的差異や相互認識のギャップなどを看過する迎合的なスローガンであるなら、これはきわめて危険です。
一九七八年の「日中平和条約」締結以来、両国の平和友好願望とは裏腹に摩擦、衝突が相次いでいます。
ほとんどが歴史問題を中心とした食い違いから起こっているのが特徴です。
この過程で、中国は「大国」と気取りながらも、実にみすぼらしい小国の立場を自ら取ってきたような気がします。
そこに通底しているのは「われわれはかつて、強大な日本の侵略にやられたので、日本はわれわれに贖罪(しょくざい) し、われわれの感情を傷つけてはいけない」という弱者の「甘え」です。
それに対して、日本は、かつての中国に対する「加害者」たる負い目から、同情、同調し、「贖罪論」に掻(カ) き立てられて、やがてはすべて中国に迎合することを慣習としてしまいました。
ですから、このような「友好」が定着するとともに、本来あるべき両国の歴史意識、文化、価値観の相違はすべて看過されたり、あるいは無視されたまま中国へ迎合することが中心でした。
三〇年の日中交流史は、この意味で日本の一方的迎合と、中国の一方的指弾や攻撃で終始しました。
今日までなお激論が絶えない歴史問題、歴史教科書問題を通観すれば、その日中の二項対立が克明に現われています。
問題の発端は一九八二年六月に遡(さかのぼ)ります。
当時の文部省が検定対象としている歴史教科書の「日中戦争」関連の記述の中に「侵略」を「進出」と書き換えた例があると、日本のあるマスコミが誤報したのが発端となりました。
すぐに中国、韓国が抗議キャンペーンを行ないました。
そこで日本政府は八月に「政府の責任において検定を是正する」とし、さらに十一月には教科書検定基準を一部改定して、「近隣諸国条項」を発表しました。
つづく
祥伝社黄金文庫
283〜286p
一九七二年、日中国交回復以来、三十余年間も「日中友好」が叫ばれるなか、皮肉にも中国、日本両国は普通の外交関係を構築できず、いまだに「日中友好」を達成できていないのが実情です。
わたしは、あれほど声高に叫ばれている「日中友好(あるいは中日友好)」という発想自体に疑問を抱いています。
もちろん、両国間の平和的友好について否定したり、反対したりするつもりは微塵もありません。
わたしが指摘したいのは、意識的にしろ無意識にしろ、妄動的、ある種の迎合的な「日中友好」について、これを警戒し、反省すべきであるという意味です。
当然「友好」は両国が望む願望であり、理想であって、実現すれば素晴らしい未来が拓(ひら)くと信じてやみません。
しかし、共産主義がいくら素晴らしい理想であろうと、人間の本能や欲望まで無視して一切を平均化した愚は、すでにその崩壊が立派に証明しているとおりです。
これと同じように「日中友好」も、理想の外衣を被(かぶ) って、両国の異質性、両国民の文化的差異や相互認識のギャップなどを看過する迎合的なスローガンであるなら、これはきわめて危険です。
一九七八年の「日中平和条約」締結以来、両国の平和友好願望とは裏腹に摩擦、衝突が相次いでいます。
ほとんどが歴史問題を中心とした食い違いから起こっているのが特徴です。
この過程で、中国は「大国」と気取りながらも、実にみすぼらしい小国の立場を自ら取ってきたような気がします。
そこに通底しているのは「われわれはかつて、強大な日本の侵略にやられたので、日本はわれわれに贖罪(しょくざい) し、われわれの感情を傷つけてはいけない」という弱者の「甘え」です。
それに対して、日本は、かつての中国に対する「加害者」たる負い目から、同情、同調し、「贖罪論」に掻(カ) き立てられて、やがてはすべて中国に迎合することを慣習としてしまいました。
ですから、このような「友好」が定着するとともに、本来あるべき両国の歴史意識、文化、価値観の相違はすべて看過されたり、あるいは無視されたまま中国へ迎合することが中心でした。
三〇年の日中交流史は、この意味で日本の一方的迎合と、中国の一方的指弾や攻撃で終始しました。
今日までなお激論が絶えない歴史問題、歴史教科書問題を通観すれば、その日中の二項対立が克明に現われています。
問題の発端は一九八二年六月に遡(さかのぼ)ります。
当時の文部省が検定対象としている歴史教科書の「日中戦争」関連の記述の中に「侵略」を「進出」と書き換えた例があると、日本のあるマスコミが誤報したのが発端となりました。
すぐに中国、韓国が抗議キャンペーンを行ないました。
そこで日本政府は八月に「政府の責任において検定を是正する」とし、さらに十一月には教科書検定基準を一部改定して、「近隣諸国条項」を発表しました。
つづく
これは メッセージ 19905 (kin_wen_xue さん)への返信です.