日本の占領区は「楽園」だった2
投稿者: kin_wen_xue 投稿日時: 2007/12/20 09:40 投稿番号: [19851 / 29399]
金文学著『中国人による中国人大批判』−日本は謝罪してはならない−
祥伝社黄金文庫
173〜176p
言論の自由が保障された「占領区」
興味深いのは、当時満州国から大量の知識人や文学青年たちが上海の自由を求めて移住したということです。
日本人のいる「傀儡」国から自由を求めたのが、やはり日本人がいた上海淪陥区でした。
上海では一種の亡命文学が形成され、魯迅が指導した蕭(しょう)軍や蕭紅などの青年作家の作品は、主に日本と闘う中国人を素材にしています。
このような反日作品が上海で公刊されるのは、逆に政治言論の自由度を裏付けています。
現代文学の巨匠になる巴金(はきん)、銭鍾書(せんしょうしょ)、老舎(ろうしゃ)などが活躍した舞台も淪陥区であり、彼らは公然として反日言論活動を推進したにもかかわらず、咎められることなく、上海は文化の「花園」として美しい花を咲かせました。
前出(169ページ)の趙無眠氏は、次のように書いています。
「中国文化に対する理解と敬服において、日本人は実に正直である。
日本侵略軍が中国で殺人、強姦、掠奪など諸悪を尽くしたが、中国の文化に対しては故意的破壊と撲滅を行なっていないばかりか、精力的に保護していた。
映画『覇王別姫』の中に京劇を愛する日本軍将校青木という人物が登場するが、中国では彼の真実性について懐疑を持つ人はいない (彼のモデルは高級将校の長谷川だといわれている)。
日本占領軍は、梅蘭芳、斉白石、周作人などの文化的有名人を尊重し、彼らに管理職を与え、応じない者にも害を加えていない。
淪陥区の文学創作は非常に活況を呈し、張愛玲のような優秀な作家まで出現していた。
ある小説では主人公が抗日ゲリラに参加する内容まで書いているが、それでも上海で公式出版が認められた。
これと比べれば秦の始皇帝の『焚書坑儒』、清朝の雍正・乾隆帝の『文字獄』、ないし(われわれ漢民族の)国共両党政権の暗殺と作家への迫害、反右派運動や文化大革命は、明らかに『未開』である」
「日本侵略軍が諸悪を尽くした」という表現を除けば、趙氏の証言は公正であります。中国人の学者南渓(なんけい)の論文「淪陥区上海の文芸雑誌」によれば、淪陥区の上海では雑誌が四十数点も発行されており、その中身も平和文学と娯楽物、抗日反日に至るまで多様であったといいます。
・・・・・
一方、満州には古丁、山丁、小松(しょうしょう)らが日本語による作品活動を展開していますが、古丁は一九四四年に大東亜文学賞を受賞しています。周作人、巴金らの活躍も注目されましたが、周作人は戦後「漢奸=売国奴」として糾弾される不運に遭遇します。
淪陥期、上海は文学、映画、時代劇で史上空前の輝かしい繁栄を迎えました。それと鮮明に対照をなすのが、国統区と解放区でした。
それでも重慶、昆明(こんめい)などの国統区は大都市なのでましなほうでした。
延安を中心とした解放区は、もともと文化的に非常に辺鄙(へんぴ)な辺境の地であることに加えて、国統区よりも厳しい言論統制と、共産党独裁による知識人弾圧が行なわれました。
つづく
祥伝社黄金文庫
173〜176p
言論の自由が保障された「占領区」
興味深いのは、当時満州国から大量の知識人や文学青年たちが上海の自由を求めて移住したということです。
日本人のいる「傀儡」国から自由を求めたのが、やはり日本人がいた上海淪陥区でした。
上海では一種の亡命文学が形成され、魯迅が指導した蕭(しょう)軍や蕭紅などの青年作家の作品は、主に日本と闘う中国人を素材にしています。
このような反日作品が上海で公刊されるのは、逆に政治言論の自由度を裏付けています。
現代文学の巨匠になる巴金(はきん)、銭鍾書(せんしょうしょ)、老舎(ろうしゃ)などが活躍した舞台も淪陥区であり、彼らは公然として反日言論活動を推進したにもかかわらず、咎められることなく、上海は文化の「花園」として美しい花を咲かせました。
前出(169ページ)の趙無眠氏は、次のように書いています。
「中国文化に対する理解と敬服において、日本人は実に正直である。
日本侵略軍が中国で殺人、強姦、掠奪など諸悪を尽くしたが、中国の文化に対しては故意的破壊と撲滅を行なっていないばかりか、精力的に保護していた。
映画『覇王別姫』の中に京劇を愛する日本軍将校青木という人物が登場するが、中国では彼の真実性について懐疑を持つ人はいない (彼のモデルは高級将校の長谷川だといわれている)。
日本占領軍は、梅蘭芳、斉白石、周作人などの文化的有名人を尊重し、彼らに管理職を与え、応じない者にも害を加えていない。
淪陥区の文学創作は非常に活況を呈し、張愛玲のような優秀な作家まで出現していた。
ある小説では主人公が抗日ゲリラに参加する内容まで書いているが、それでも上海で公式出版が認められた。
これと比べれば秦の始皇帝の『焚書坑儒』、清朝の雍正・乾隆帝の『文字獄』、ないし(われわれ漢民族の)国共両党政権の暗殺と作家への迫害、反右派運動や文化大革命は、明らかに『未開』である」
「日本侵略軍が諸悪を尽くした」という表現を除けば、趙氏の証言は公正であります。中国人の学者南渓(なんけい)の論文「淪陥区上海の文芸雑誌」によれば、淪陥区の上海では雑誌が四十数点も発行されており、その中身も平和文学と娯楽物、抗日反日に至るまで多様であったといいます。
・・・・・
一方、満州には古丁、山丁、小松(しょうしょう)らが日本語による作品活動を展開していますが、古丁は一九四四年に大東亜文学賞を受賞しています。周作人、巴金らの活躍も注目されましたが、周作人は戦後「漢奸=売国奴」として糾弾される不運に遭遇します。
淪陥期、上海は文学、映画、時代劇で史上空前の輝かしい繁栄を迎えました。それと鮮明に対照をなすのが、国統区と解放区でした。
それでも重慶、昆明(こんめい)などの国統区は大都市なのでましなほうでした。
延安を中心とした解放区は、もともと文化的に非常に辺鄙(へんぴ)な辺境の地であることに加えて、国統区よりも厳しい言論統制と、共産党独裁による知識人弾圧が行なわれました。
つづく
これは メッセージ 19850 (kin_wen_xue さん)への返信です.