南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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日本の占領区は「楽園」だった1

投稿者: kin_wen_xue 投稿日時: 2007/12/20 09:31 投稿番号: [19850 / 29399]
中国ネットに寄せられた新たな証言の続き

金文学著『中国人による中国人大批判』−日本は謝罪してはならない−
祥伝社黄金文庫
168〜170p

  日本占領時期、日中戦争の真実を知るため最も有効な手段は、日本占領下の「淪陥 (りんかん) 区」と国民党支配の「国統区」、共産党支配の「解放区」、この三区の実態を比較考察することです。

  ・・・・

中国の二大都市である上海、北京は、日本の支配下におかれた代表的淪陥区ですが、これらと共産党の解放区・延安を比較すれば、その違いが見えてきます。

・・・

一九三二年(昭和七)の上海事変以後、日本軍の占領にともなって、上海には日本人が大挙進出し、その数は一九三二年の三万人から淪陥期には一〇万人へと激増しました。

  しかし、淪陥区は、中国で現在いわれているように「地獄」に転落したわけではなく、むしろ空前の繁栄を謳(うた)う「楽園」と化しました。

  一九三六年の時点で、日本占領下の中国の就学率は一九二九年の一七・一%から三〇・七八%にまで飛躍的に成長しているし、学生数も二〜三倍も増加しています。

  中国人研究者趙無眠(ちょうむみん)氏は、淪陥区の繁栄実態についてこのように述べています。


「フランスの作家ドーデの『最後の授業』は世界文学史上の名作で、侵略の苦しみを味わった中国人が読んでも感銘は深いと思う。
  作品はドイツ侵略戦争によって国土を喪失したフランス人の悲しみと恨みを描写している。
  先生が子供たちにフランス語による授業がこれで最後だと告げる。
  翌日からフランス語の使用は禁止になり、すべてドイツ語を使用することになるからだった。

  この意味から言えば、中国の淪陥区はまだ幸運である。なぜなら、日本占領者は『中国語による授業を不許可』としたことがまったくないし、教育の面では相当の寛容策を施したからだ。

  『求学』の目的で青年学生に対しても、日本人は、彼らが日本占領区を離れて、国民政府の統制する国統区へ行くことも許可していた。

  八年抗戦の中でも最初に淪陥された北平(北京)をみても、日本が降伏するまでほとんどの著名な大学の設備、図書館はすべて増大してる。
  ・・・・
(屈(人偏+敬)誠「現代物理学が中国で率先的発展した原因」『華夏文摘』総第404号)。
・・・・       (『百年功罪』   明鏡出版社)


192〜193
  一九三八年十月、日本軍は、武漢攻略をもって大きな軍事行為は中止し、主に占領地(淪陥区)の経済建設に全力を注ぎ込みはじめました。
・・・・
  その後の日本軍は建設に励み、破壊と虐殺、掠奪、放火は、日本軍より、むしろ中国軍の行為であったということです。
  淪陥区のほうがむしろ国統区よりも経済、財政、物価、治安で安定し、民衆の生活は国共支配区と比べて、「天国」と「地獄」ほどの差があったという事実が、すべてを物語っています。

  結局、日本の敗戦によって日本軍が撤退したため、それは短期のもので終わりましたが、近代化の契機を与えたという意味では、日中戦争における「日本鬼子」の貢献は大きいということができます。

  最近、ようやく「真実」を明らかにしはじめた数々の証言から、日本占領時代が中国人にとってもよかった時代、裕福な時代であったことは、ほぼ確かなことと思います。

  わたしは、新世代中国人の知識人のひとりとして、そのような真実をもっと自由に語れる時代が来ることを心から望んでいます。

つづく
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