中国ネットに寄せられた新たな証言2
投稿者: kin_wen_xue 投稿日時: 2007/12/18 09:06 投稿番号: [19831 / 29399]
金文学著『中国人による中国人大批判』−日本は謝罪してはならない−
祥伝社黄金文庫
186〜188p
老人たちは、またこのような話をしてくれた。鬼子が最初来た頃、現地では何の反抗もなかったし、日本軍も百姓に対して何も野蛮な行為をしなかった。
その後、情況は変化し、八路軍とゲリラ隊が積極的に動きはじめた。農民に抗日救国の道理を宣伝し、一致団結して小日本を撃退せよと要求した。
皆はこれで抗日道理について悟り、共産党と武力工作隊の指導の下、日本軍を襲撃しはじめた。
そこで日本軍も報復を開始したのだ。当時の掟(おきて)
として、どこかの村で日本軍を殺したとすれば、その村は責任を持って、死を甘受しなければならなかった。
(略)
わたしの父の話によると、彼が所属する八路軍の連隊に散髪屋さんがいたが、彼は日本兵の散髪をしているときに散髪ナイフでこれを殺し、八路軍に参加したそうだ。
(略)
老人たちの話によれば、日本軍が残忍だった原因は、そのころ以降の日本軍は日本人ではなく、朝鮮人と台湾人の軍人からなっていたためだという。
これらの軍人は、現地では『二鬼子(アルキーズ)』と呼ばれた。『二鬼子』
は本当の日本鬼子よりも悪人で、人を見るたびに殺し、掠奪したので、皆『二鬼子』を憎悪していた」
引用が長くなりましたが、この証言から分かることは、民間人が日本軍に殺されたのは、日本軍への襲撃に対する報復であり、日本軍が一方的に民間人を残虐に殺害したのではないということです。
当時、国民軍、八路軍、新四軍や地方軍閥と日本軍が入り乱れて争っていた状況下で、すべて日本人が悪人だということは、どう考えても無理があります。
別の軍隊や軍閥の行為が日本人に転嫁されたという証言も少なくありません。
日本でも、日中戦争の戦場での実戦体験を綴った本は多数出ていますが、その中には、人間としての日本軍の人間味や現地中国人との交情、現地女性との愛情が記されたものも少なくありません。
たとえば、元支那派遣軍、呂(ろ) 集団の兵士として中国にいた森金千秋氏の『華中戦記』はその中の一つです。
戦闘の間にも、敵味方ともに人情を伝え合い、また捕虜とも友情を交わし、さらには日本軍と中国軍の隊長同士で仲良く相談して、ある時期適当に停戦するなどということもあったようです。
なかでも、著者が一九四二年五月、駐留地の湖北省応城で、中国人の女性王秀珍と恋に落ち、互いに結婚を約束するシーンは実に感動的です。
このように、日本軍の悪いイメージを、偏見、想像、虚構まで動員して作り出す作業は虚(むな)しいばかりです。
次回に続く
これは メッセージ 19830 (kin_wen_xue さん)への返信です.
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