南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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中国ネットに寄せられた新たな証言1

投稿者: kin_wen_xue 投稿日時: 2007/12/18 08:59 投稿番号: [19830 / 29399]
「自国内の大虐殺に口を閉ざす中国政府」のつづき

金文学著『中国人による中国人大批判』−日本は謝罪してはならない−
祥伝社黄金文庫より

184〜186p
  ここ数年来、これまで「残虐」や「非道」としてしか描かれてこなかった日本軍の素顔について、   公的言論機関では発表できないにしても、インターネットの世界では、中国の知識人たちによる発言が徐々に見られるようになってきました。

  「小軍師」というペンネームを使った中国人研究者は次のように書いています。
  タイトルも、ずばり『真実の鬼子と真実の八路軍』です。


  「一九七〇年代初頭、わたしは河北省の故里、保定へ戻った。保定一帯は、抗日戦争のとき、八路軍、ゲリラが最も活躍した地域であり、多くの抗日題材の作品は、ほとんどが保定一帯を舞台にしている。

  たとえば、『野火春風闘古城』『地道戦』『平原遊撃隊』『敵後の武工隊』『烈火金剛』『雁(令+羽)隊』『回民支隊』などなど。
  わたしの父は一九三八年に八路軍に入隊したが、最初数年間は、基本的に保定あたりで日本鬼子と戦ったり、やりとりをしたりした。

  わたしは、故里で父と同年輩の親戚といろんな話を交わしたが、話の中で、当時の映画や話の中にはないものを聞くことができた。
  当時は話すことができなかったが、現在になってやっと皆さんに話すことができる。


  真っ先に華北地区に進入した日本鬼子は、日本軍の精鋭部隊だった。
  それは戦闘力が強いばかりではなく、規律も厳格だった。
  老人たちの証言によると、数日後日本鬼子が村に入るというので、村人たちに緊張が走ったようだ。

  華北の漢奸団体(対日協力団体)である維持会の要求によって、村では数人の長老で維持会をつくったのだが、この維持会の役割は、すなわち鬼子の村への進入を『歓迎』するものだった。

  鬼子が村に来る当日、皆は家に閉じ籠もり、恐くて外に出られなかった。しかし、維持会の老人たちはおそるおそる張り紙で作った日章旗を持って、村の入口で鬼子たちを待っていた。
  お茶やケーキまで用意して鬼子を接待しようとした。

  昼頃、一個小分隊の十数人の鬼子が本当にやってきた。
  老人たちは、無表情で恐怖感にさらされながら、機械的に日章旗を揺らした。
  しかし、これらの鬼子たちは、老人たちの歓迎ぶりに何の反応もせず、直進して村の脱穀場で休憩しはじめた。
  彼らは、皆それぞれ携帯した軍用食品と飲料水を取り出して食べた。
  村で用意しておいたケーキやお茶には絶対に手を触れなかった。

  好奇心に惹かれた子どもたちは大人たちの監視から逃れて、こっそりと脱穀場にやってきた。
  鬼子たちは、子どもに向かって何か大声でしゃべった。
  すると子どもたちはすぐ驚いて逃げ出したが、またもや囲んできた。

  そこで鬼子たちは、食品を子どもたちに投げかけた。
  最初子どもたちは恐くて拾えなかったが、日本軍が同じものを食べているのを見て、食品を拾い集めた。

  わたしの叔父は、当時飴(あめ)をもらい、丸いステンレスの筒(軍用ハムの缶詰)を拾って家に帰ったが、大人が毒が入っているかもと言って捨ててしまったそうだ。
  よその子どもたちは飴と菓子を皆食べたが、大変おいしかったようだ。


  叔父はここまで言って、一言付け足した。
  数年後、われわれ子どもたちは成長して、多くはゲリラや八路軍に参加し、日本鬼子と戦ったと。

つづく
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