南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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別におかしくない両角手記

投稿者: anti_mainas_shikou 投稿日時: 2007/06/17 19:12 投稿番号: [16777 / 29399]
南北が東西に見える、幻覚者の妄言に、一々、反論してもしようがないので、両角手記を紹介しよう。

といっても全文を出すと長いので、今、問題となってる所だけを照会することにする。


《十七日に逃げ残りの捕虜全員を幕府山北側の揚子江南岸   (陸地から見たら北の岸)   に集合せしめ、
夜陰に乗じて舟にて北岸   (川を挟んだ北側の岸すなわち中洲)   に送り、解放せよ。
これがため付近の村落にて舟を集め、また支那人の漕ぎ手を準備せよ」

もし、発砲事件の起こった際を考え、二個大隊分の機関銃を配属する。
十二月十七日、私は山田少将と共に軍旗を奉じ、南京の入場式に参加した。
・・・(略)・・・夕刻、幕府山の露営地にもどった。

もどったら、田山大隊長より「何らの混乱もなく予定の如く俘虜の集結を終わった」の報告を受けた。
火事で半数以上が減っていたので大助かり。

日は沈んで暗くなった。俘虜は今ごろ長江の北岸   (幕府山から見た北の対岸:中洲)   に送られ、
解放の喜びにひたり得ているだろう、と宿舎の机に向かって考えておった。

ところが、十二時ごろになって、にわかに同方面に銃声が起こった。
さては・・・と思った。銃声はなかなか鳴りやまない。

そのいきさつは次の通りである。
軽舟艇に二、三百人の俘虜を乗せて、長江の中流まで行ったところ、前岸   (船の前方の岸すなわち中洲)
に警備しておった支那兵が、日本軍の渡河攻撃とばかりに発砲したので、
舟の舵を預かる支那の土民、キモをつぶして江上を右往左往、次第に押し流されるという状況。

ところが、北岸   (幕府山北側陸地の岸辺)   に集結していた俘虜は、この銃声を、
日本軍が自分たちを江上に引き出して銃殺する銃声であると即断し、静寂は破れて、たちまち混乱の巷となったのだ。

二千人ほどのものが一時に猛り立ち、死にもの狂いで逃げまどうので如何ともしがたく、
我が軍もやむなく銃火をもってこれが制止につとめても暗夜のこととて、大部分は陸地方面 に逃亡、

一部は揚子江に飛び込み、我が銃火により倒れたる者は、翌朝私も見たのだが、僅少の数に止まっていた。
すべて、これで終わりである。あっけないといえばあっけないが、これが真実である。》


この文章を見て、不可解に思う日本人がいるだろうか?
この文章に異論がつけられるのは、よほど、脳に障害のある人か、あるいは意図的に、
三つの北岸を混同させて、読む人を混乱させ、手記は信憑性がないと信じ込ませたい悪意の人だけだろう。


★   捕虜が集結していた揚子江南岸は   幕府山北側陸地の北の岸辺であるから、陸地から見れば北岸でもある。

★   夜陰に乗じて舟で渡河して捕虜を送る北岸とは、
  捕虜が集結していた地点から、揚子江を挟んで見た北側の対岸であり、それは中洲となる。

★   銃声を聞き、集結していた俘虜が死にもの狂いで逃げまどったという北岸は
  幕府山北側陸地の北の岸辺にほかならない。


こんな単純な話を、サヨクは、なぜ、こうまでして歪曲しなければならないのだろうか?

両角手記が捕虜を殺していないと言うのなら、話は別だが、チャンと殺したと証言している。
虐殺否定派にとって両角手記は、不都合な真実なんだけど。 肯定派が両角手記を否定して何の得がある。

そもそも、サヨクは、自らを正義と任じているのではないのか?
世界を味方につけておるではないか。

ごく少数の異論に、何で姑息な手段で対処する。

君等はそれほどまでに、自己の主張に自信がないのか?

それほどまでに、南京大虐殺に   自信がもてないのか?
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