日本側の記録から
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2003/05/19 21:02 投稿番号: [1547 / 29399]
>捕虜をころしたなら条約違反ですが、指令者がおらず民間に変装した兵に捕虜として資格があったかどうか疑問です
捕虜はたくさん殺されています。
↓たくさんの日本側の記録が残っています。
中島今朝吾中将(第16師団長) 日記 (12月13日)
一、斯くて敗走する敵は大部分第十六師団の作戦地境内の森林村落地帯に出て又一方鎮江両塞より逃て来るものありて到る所に捕虜を見到底其始末に堪えざる程なり
一、大体捕虜はせぬ方針なれば、片端よりこれを片付くることとなしたる(れ)ども、千五千一万の群集となれば之が武装を解除することすら出来ず唯彼等が全く戦意を失ひ、ぞろぞろついてくるから安全なるものの、之が一旦掻擾(騒擾)せば始末に困るので
部隊をトラックにて増派して監視と誘導に任じ
十三日夕はトラックの大活躍を要したり乍併(しかしながら)戦勝直後のことなれば中々実行は敏速には出来ず
斯る処置は当初より予想だにせざりし処なれば参謀部は大多忙を極めたり
一、後に至りて知る処に依りて佐々木部隊丈にて処理せしもの約一万五千、大平門(太平門)に於ける守備の一中隊長が処理せしもの約一三○○其仙鶴門附近に集結したるもの約七八千人あり尚続々投降し来る
一、此七八千人之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず一案としては百二百に分割したる後適当のヶ処(箇処)に誘きて処理する予定なり
『南京戦史資料集』
(笠原『南京事件』p.154-155)
『増刊歴史と人物』「南京攻略戦中島台十六師団長日記」
(内田『「戦後補償」を考える』p.34)
児玉義雄氏(第十六師団歩兵第三十八連隊副官)の証言
連隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、彼我入り乱れて混戦していた頃、師団副官の声で、師団命令として『支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ』と電話で伝えられた。私は、これはとんでもないことだと、大きなショックを受けた。
師団長・中島今朝吾将軍は豪快な将軍で好ましい御人柄と思っておりますが、この命令だけは何としても納得できないと思っております。
参謀長以下参謀にも幾度か意見具申しましたが、採用するところとならず、その責任は私にもあると存じます。
部隊としては実に驚き、困却しましたが命令やむを得ず、各大隊に下達しましたが、各大隊からは、その後何ひとつ報告はありませんでした。激戦の最中ですからご想像いただけるでしょう。
『証言による<南京戦史>(5)』
(内田『「戦後補償」を考える』p.35-36)
これは メッセージ 1542 (date0362 さん)への返信です.
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