Re: 食材としての食人(近世編)
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/12/16 01:26 投稿番号: [13030 / 29399]
それでも、昔のこと、で済ませられればよかったのだが・・・
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大都市の人肉売買市場では、〝食用人間″一体については「数百貫」との単位で表記される場合が多かった。しかし小売価格の場合は斤単位である。
『清史』の「洪秀全載記」によれば、清の咸豊帝の一八六一年六月、曾国藩が湘軍を率いて太平天国軍の立て籠る安慶城を包囲したとき、城民は人肉を食べて生き延びたという。常勝軍(英米人が指揮する義勇軍)に従ったイギリス人のウィルソンは三年にわたって安慶城の攻略戦を記録し、当時城中で販売された人肉は、「一斤銅銭四十文」と書かれていたと証言している。
『曾国藩日記』によると、同時期の江蘇地方では、人肉は安慶城内より高く一斤九十文だった。が、その後の戦乱のため百三十文まで値上がりした、とも書かれている。
清未になると人肉市場はさらに普及し、当時の西洋人伝道師や領事館内資料、中国政府の文献や文人の日記・著作にも、このことが書かれている。
一九二五年五月二日発行の雑誌『現代評論』(二十一期一巻)所収の仲瑚「一人の四川人の通信」には、「人肉の市販価格は男児が一斤銅銭八枚。女児はこの値段でさえ売れなかった」とある。人肉にも相場の変動はあり、たとえば『清史』の「災異志」によると、一六四五年の大飢饉当時、広州地方では子供一人につき米一斗しか換えられなかったという。
市場で売られる人間はたいてい貧民や飢民の子弟で、家族によって人肉商に売られた者だ。なかには自分から進んで売りに出たという「美談」もある。それ以外には盗賊や兵士に捕獲された者や、政府の役人や獄吏から正規に払い下げられた囚人も多かった。
清末に至るまで、人間の内臓は薬として重宝がられた。太平天国の乱のとき、上海の外国人商館で雇われていた中国人の使用人は、胆力増進剤として処刑された囚人の心臓を嗜食していたとの記録がある。
ジョルジュ・バタイユによって紹介され有名になった「凌遅処死」(一寸刻みの刑)の写真(一九〇五年)では、刑吏の周りを群衆が取り巻いている。これは、切り取られる肉を求めているのである。
北京郊外で斬首された罪人から噴出した鮮血を浸した饅頭は「血饅頭」と呼ばれ、市販されていた。魯迅の小説『薬』はもっばらこれをテーマにしたものだ。『狂人日記』 のテーマも食人である。日本の知識人は『狂人日記』を隠喩だと思いたいようだが、そうではない。単なる事実なのだ。
呉虞の『喫人と礼教』は中国の仁義道徳から生まれた食人の史実を論証した。周作人(魯迅の実弟)も「吃烈士」の一文で、中国人は昔から食入族であると糾弾した。 中華人民共和国になってから魯迅文学の階級性をめぐって「人を食う階級」か「人に食われる階級」かとの論争が展開された。この滑稽にしてバカバカしい〝食人階級闘争〟は、中国人の思想硬直化の反映であるとともに、食人文化の問題点をそのまま示すものではないだろうか。
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(黄文雄著『日中戦争は侵略ではなかった』)
これだけ根拠を挙げられれば、中国人が食人文化を持ち続けた民族であると信じない訳にはいかないな。
1925年に「人肉の市販価格は男児が一斤銅銭八枚」だからなぁ。
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大都市の人肉売買市場では、〝食用人間″一体については「数百貫」との単位で表記される場合が多かった。しかし小売価格の場合は斤単位である。
『清史』の「洪秀全載記」によれば、清の咸豊帝の一八六一年六月、曾国藩が湘軍を率いて太平天国軍の立て籠る安慶城を包囲したとき、城民は人肉を食べて生き延びたという。常勝軍(英米人が指揮する義勇軍)に従ったイギリス人のウィルソンは三年にわたって安慶城の攻略戦を記録し、当時城中で販売された人肉は、「一斤銅銭四十文」と書かれていたと証言している。
『曾国藩日記』によると、同時期の江蘇地方では、人肉は安慶城内より高く一斤九十文だった。が、その後の戦乱のため百三十文まで値上がりした、とも書かれている。
清未になると人肉市場はさらに普及し、当時の西洋人伝道師や領事館内資料、中国政府の文献や文人の日記・著作にも、このことが書かれている。
一九二五年五月二日発行の雑誌『現代評論』(二十一期一巻)所収の仲瑚「一人の四川人の通信」には、「人肉の市販価格は男児が一斤銅銭八枚。女児はこの値段でさえ売れなかった」とある。人肉にも相場の変動はあり、たとえば『清史』の「災異志」によると、一六四五年の大飢饉当時、広州地方では子供一人につき米一斗しか換えられなかったという。
市場で売られる人間はたいてい貧民や飢民の子弟で、家族によって人肉商に売られた者だ。なかには自分から進んで売りに出たという「美談」もある。それ以外には盗賊や兵士に捕獲された者や、政府の役人や獄吏から正規に払い下げられた囚人も多かった。
清末に至るまで、人間の内臓は薬として重宝がられた。太平天国の乱のとき、上海の外国人商館で雇われていた中国人の使用人は、胆力増進剤として処刑された囚人の心臓を嗜食していたとの記録がある。
ジョルジュ・バタイユによって紹介され有名になった「凌遅処死」(一寸刻みの刑)の写真(一九〇五年)では、刑吏の周りを群衆が取り巻いている。これは、切り取られる肉を求めているのである。
北京郊外で斬首された罪人から噴出した鮮血を浸した饅頭は「血饅頭」と呼ばれ、市販されていた。魯迅の小説『薬』はもっばらこれをテーマにしたものだ。『狂人日記』 のテーマも食人である。日本の知識人は『狂人日記』を隠喩だと思いたいようだが、そうではない。単なる事実なのだ。
呉虞の『喫人と礼教』は中国の仁義道徳から生まれた食人の史実を論証した。周作人(魯迅の実弟)も「吃烈士」の一文で、中国人は昔から食入族であると糾弾した。 中華人民共和国になってから魯迅文学の階級性をめぐって「人を食う階級」か「人に食われる階級」かとの論争が展開された。この滑稽にしてバカバカしい〝食人階級闘争〟は、中国人の思想硬直化の反映であるとともに、食人文化の問題点をそのまま示すものではないだろうか。
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(黄文雄著『日中戦争は侵略ではなかった』)
これだけ根拠を挙げられれば、中国人が食人文化を持ち続けた民族であると信じない訳にはいかないな。
1925年に「人肉の市販価格は男児が一斤銅銭八枚」だからなぁ。
これは メッセージ 13029 (nmwgip さん)への返信です.