>確か?
投稿者: jyoui 投稿日時: 2003/02/26 15:44 投稿番号: [1225 / 29399]
>フランスがドイツに敗れたのを見た日本はさっそく仏領インドシナに圧力をかけ始め、昭和20年8月30日の 東京条約で日本軍のトンキン湾通過をフランスに認めさせた。
何の事を言ってるのか、意味不明
昭和20年8月30日には、日本はポツダム宣言受諾後の状態ですよ。
いいですか無駄金さん
私が聞いているのは、フランスの植民地政府があり、植民地防衛のフランス軍が駐屯してる中で、援蒋物資流入監視の為に進駐した日本軍部隊が、勝手に軍政を敷き、物資徴発や戦略作物栽培への転作事業政策が施行可能な根拠とその証拠を聞いているのだよ。
しかも駐留日本軍は特別警備旅団(2個連隊)一個であり、ハノイに一個連隊、サイゴンに一個連隊という規模ですよ。
昭和19年から終戦にかけての帝国陸軍戦闘序列記録を確認すればすぐ判るでしょう。
日本軍がフランス軍と戦ったのは、昭和20年になってから、ビシー仏政府の崩壊後の対日宣戦布告後に戦闘となり、君の引用資料にある通り、中国南部に駐留していた2個師団を緊急増援しなければならない状況での戦闘ですよ。
それまでは、治安維持パトロールも日本軍とフランスが合同で行っていた。(日本軍の単独行動制限)
>なお、このランソン事件でフランス軍捕虜200名を殺害した罪で4名の日本軍将校、兵士が絞首刑になっています。
ここでの戦犯裁判はデタラメだったようだ。
だから脱走後、当時のべトミンに参加した者が多い。
ハノイ駐留の南方総軍司令部には陸軍の対米戦情報解読班(大本営情報解読班主力)がおり、彼らは終戦直後に難癖(厳重取り調べ、米国暗号保護を目的)をつけられ戦犯とされ、大半が処刑された。
私の父は、本来フイリピンへ増援として送られる予定が熱帯性感染症にかかり残され、20年初頭にボルネオへ増援とし送られ、オーストラリア軍降下部隊と交戦負傷の後捕虜となり、モロタイ島の捕虜収容所へ送られた。
戦後の帰還仲間の音信でハノイ時代の仲間のことを聞いたそうです。
これは メッセージ 1215 (mudagane さん)への返信です.
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