南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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確か?

投稿者: mudagane 投稿日時: 2003/02/23 21:40 投稿番号: [1215 / 29399]
>南方総軍司令部がハノイに移動(フイリピンから撤退)したのは、19年10月頃だが、以前からインドシナに駐留していた日本軍の数は連合国から中国への物資補給を監視する治安維持部隊である   軽装備の2個連隊しか配置されてない。(戦時中の戦闘序列で確認してみなさい)
この2個連隊でフランス軍を排除し、軍政を敷けたのか?

フランスがドイツに敗れたのを見た日本はさっそく仏領インドシナに圧力をかけ始め、昭和20年8月30日の 東京条約で日本軍のトンキン湾通過をフランスに認めさせた。そして9月22日ハノイでの 日仏軍事協定により、ベトナム北部の飛行場4ヶ所の使用許可を得た。ところがその日の夜、日本軍はランソンから侵入してフランス軍の前哨基地を攻撃し (ランソン事件)、26日にはトンキン湾のドーソン島を占領してしまう。この情勢を見たタイは10月より国境付近で威嚇を繰り返し、11月末にはサヴァナケット始めラオスの都市を白昼堂々と爆撃した。
年明けになると日本は紛争の仲介に乗り出し、翌年5月9日に東京で不平等な平和条約が結ばれ、タイはメコン河西岸の土地を獲得した。
日本の介入
日本軍はタイに軍事顧問を駐在させたばかりか直接戦闘に加わり、 Potez25数機が日本海軍の水上戦闘機に撃墜されている。日本の狙いは仏領インドシナの徹底した弱体化であり、タイの軍事行動も日本がけしかけたようなものだった。結局、頃合を見計らって日本が和平交渉の音頭をとり、実質タイの勝利を認める条約を東京で調印させた。これによりタイはメコン河右岸のラオス領とバタンバン地方を手に入れた。ということだそうです、なお、このランソン事件でフランス軍捕虜200名を殺害した罪で4名の日本軍将校、兵士が絞首刑になっています。
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