Re: これも全く反論になっていない2
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/18 21:40 投稿番号: [11546 / 29399]
>「ニューヨーク・タイムズ特派員のダーディンは何とかして上海に行こうとしたが、句容まで行ったところで引き返してきた」と書かれているます。このことから、当時の新聞記者たちは、安全区委員会のメンバーより行動範囲が広かったことが確認できます。彼ら新聞記者は安全区内に留まっていたベイツよりも当時の南京の状況を把握していたと考えられるでしょう。
ちゃう、ちゃう。
逆だよ、逆。
ダーディンは、句容まで行ったことを記事にしたか?
しなかっただろ。
ダーディンが記事にしたのは、主に安全区の出来事だろ。
しかし、ダーディンが安全区に居たのは12月14日の夜から翌15日の昼過ぎまでの十何時間だけだったんだ(半分くらいは睡眠中だった)。
つまり、ダーディンは殆ど取材しなかったことになるから、ダーディンの記事はベイツの出鱈目メモを基に書いたに過ぎないことが判明するんだよ。
そして、12月14日・15日は、安全区以外には民間人は居なかった。
――――――――
12月6日
『南京事件の日々』ミニー・ヴォートリンの日記
UP特派員のマクダニエルがきょう話してくれたところでは、きのう句容へ行ってみたが、人が住んでいる村はただの一つもなかったそうだ。中国軍は村びとを一人残らず連れ出し、そのあと村を焼き払っているのだ。まったくの「焦土作戦」だ。農民たちは城内に連れてこられるか、そうでなければ浦口経由で北方に追いやられている。
――――――――
12月7日〜12月9日
『南京事件』P120 笠原十九司著
「清野作戦」とは、侵攻してくる日本軍の遮蔽物に使われる可能性のある建物を全て焼却してしまう、つまり焼野原作戦である。同作戦は、中支那方面軍が「注意事項」を下達したちょうどその日(7日)から始められ、9日までつづけられた。中国軍は南京城壁の周囲1〜2キロにある居住区全域と南京城から半径十六キロ以内にある道路沿いの村落と民家を強制的に焼き払った。この作戦により住む家を焼失させられた多くの農民と市民が、なけなしの家財と道具と食料をもって城内の南京難民区(南京安全区。The Nanking Safety Zone)に殺到する。
――――――――
12月13日
『南京の真実』P344
ラーベを委員長とする安全委員会は12月17日の日本大使館宛の文書で、「13日に日本軍が入城した時には一般市民の殆ど全体を安全地区に集めていた」とある。
こうして安全区を別とすれば、南京市は人気(ひとけ)が無くなり、我々委員会のメンバー、わずかのアメリカ人新聞記者、取り残されたヨーロッパ人が2〜3人いるだけになりました。
――――――――
■結論
南京市民が居ない所で、日本軍による南京市民虐殺の取材など出来る訳がない。
>では、次の記述は訂正されるのですね?
>『ダーディンとスティールのみが「日本軍による千人単位の民間人殺害」を【目撃する】ことなど有り得ない』
??
事実なのだから、訂正する必要なし。
■結論
南京に長期滞在したベイツを始めとする15人の安全区国際委員会メンバーや、100人を超す日本人報道関係者などは、誰一人として日本軍による民間人虐殺を1件も目撃しなかった。
■■■総結論
日本軍による南京市民虐殺の証拠は、ゼロ。
ちゃう、ちゃう。
逆だよ、逆。
ダーディンは、句容まで行ったことを記事にしたか?
しなかっただろ。
ダーディンが記事にしたのは、主に安全区の出来事だろ。
しかし、ダーディンが安全区に居たのは12月14日の夜から翌15日の昼過ぎまでの十何時間だけだったんだ(半分くらいは睡眠中だった)。
つまり、ダーディンは殆ど取材しなかったことになるから、ダーディンの記事はベイツの出鱈目メモを基に書いたに過ぎないことが判明するんだよ。
そして、12月14日・15日は、安全区以外には民間人は居なかった。
――――――――
12月6日
『南京事件の日々』ミニー・ヴォートリンの日記
UP特派員のマクダニエルがきょう話してくれたところでは、きのう句容へ行ってみたが、人が住んでいる村はただの一つもなかったそうだ。中国軍は村びとを一人残らず連れ出し、そのあと村を焼き払っているのだ。まったくの「焦土作戦」だ。農民たちは城内に連れてこられるか、そうでなければ浦口経由で北方に追いやられている。
――――――――
12月7日〜12月9日
『南京事件』P120 笠原十九司著
「清野作戦」とは、侵攻してくる日本軍の遮蔽物に使われる可能性のある建物を全て焼却してしまう、つまり焼野原作戦である。同作戦は、中支那方面軍が「注意事項」を下達したちょうどその日(7日)から始められ、9日までつづけられた。中国軍は南京城壁の周囲1〜2キロにある居住区全域と南京城から半径十六キロ以内にある道路沿いの村落と民家を強制的に焼き払った。この作戦により住む家を焼失させられた多くの農民と市民が、なけなしの家財と道具と食料をもって城内の南京難民区(南京安全区。The Nanking Safety Zone)に殺到する。
――――――――
12月13日
『南京の真実』P344
ラーベを委員長とする安全委員会は12月17日の日本大使館宛の文書で、「13日に日本軍が入城した時には一般市民の殆ど全体を安全地区に集めていた」とある。
こうして安全区を別とすれば、南京市は人気(ひとけ)が無くなり、我々委員会のメンバー、わずかのアメリカ人新聞記者、取り残されたヨーロッパ人が2〜3人いるだけになりました。
――――――――
■結論
南京市民が居ない所で、日本軍による南京市民虐殺の取材など出来る訳がない。
>では、次の記述は訂正されるのですね?
>『ダーディンとスティールのみが「日本軍による千人単位の民間人殺害」を【目撃する】ことなど有り得ない』
??
事実なのだから、訂正する必要なし。
■結論
南京に長期滞在したベイツを始めとする15人の安全区国際委員会メンバーや、100人を超す日本人報道関係者などは、誰一人として日本軍による民間人虐殺を1件も目撃しなかった。
■■■総結論
日本軍による南京市民虐殺の証拠は、ゼロ。
これは メッセージ 11545 (deliciousicecoffee さん)への返信です.