全く反論になっていない
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/11 23:19 投稿番号: [11360 / 29399]
>不当な処分だから、虐殺の一部となるわけです。
正当な処分だったことは説明済みなのに、頓珍漢なことを言い張るのはやめよう。
>つまり、あなたは日中戦争初期に起こった南京大虐殺での不法行為を、日中戦争全期間に渡る中国軍の不法行為の「報復」だった、というわけですね。
誰もそんなことは言っていない。
他人の投稿まで捏造するな。
既に南京戦までに支那軍は不法行為を行なっていた。
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12月13日、光華門城壁を占領
城壁付近で彼我不明の焼死体を発見、まだかすかに息をしていた。これを見た大隊長芳賀少佐は激怒し犯人捜しを命じた。私の部下に犯人はいなかった。検死の結果、焼死体は日本兵と判明。捕虜となった日本兵が、生きたまま焼かれたようだ。
第九師団・山砲第九連隊・第七中隊長
大内義秀氏(要約)
12月13日、南京の南方の城門から入ると、彼我の戦死体が転々と散在していた。その中に、一人の日本兵が手足を立ち木に縛られたまま、身に数弾を受けて死んでいた。一見して、捕虜となった日本兵が支那軍によって虐殺されたと感じ、縄を切って降ろした。
第三師団・野砲兵第五連隊・第一大隊観測班長
大杉浩氏
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>>一部って何人分の名簿だよ?
>>で、それは、何時、誰が作成した名簿なの?
>おっと、一部訂正。東京裁判には提出されていなかったみたいですね。
>南京軍事法廷に提出されたものは、『南京事件資料集2』337-359にあるから読んでみてはいかがですか?
全然、回答にも反論にもなっていない。
一部って何人分の名簿だよ?
で、それは、何時、誰が作成した名簿なの?
>はい、日本で認識されていた事実はお認めのようですね。
>これも、日本における認識の一例と言えるでしょう。
>はいはい、能書きはどうでもいいですが、日本における認識があった事実は証明されましたね(笑)。
全く反論になっていない。
認識されていたのは、与太話が出回っていたこと。
中にはその与太話を信じたマヌケが居ただけのこと。
日本軍による南京市民虐殺が一件も確認されていなかったのだから、認識があったなどと言えるはずがない。
これは メッセージ 11335 (Marc_Laforet さん)への返信です.
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