Re: 開戦日を風化させるな
投稿者: pesiticider 投稿日時: 2006/01/06 15:32 投稿番号: [10958 / 29399]
>8月15日は、日本が米国に無条件降伏した日として、多くの国民に記憶されています。
「ポツダム宣言」を受諾したのは事実ですが、これが無条件降伏に当たるかどうかは諸説がありますね。
>太平洋戦争が開戦した12月8日については、いつ、どのようなきっかけで起こったかを正確に語れる人が、年々少なくなっていると思います。
私の印象としては、近年様々な研究書が出版されるようになり、年々正確に語れる人が増えてきたと思うのですが。
>1930年代、世界の強国は国際連盟で軍備縮小の話し合いをしていました。
アメリカやドイツなどはそもそも「国際連盟」に加入していませんでしたが・・・
ソビエトについても、1934年9月14日に一度は加盟を認められたものの、1939年12月14日に「フィンランド侵略」を咎められ、除名処分にされていますね。
>真珠湾攻撃のごとき卑劣な行動に走らせ、太平洋戦争を引き起こしたのです。
今時、「真珠湾奇襲攻撃」を“卑劣”などと形容するのは流行りません。
むしろ当時の世界状勢からいうなら、「日中戦争」に中立を守らず、積極的に首を突っ込んできたアメリカの方こそ、様々な理由から日本との開戦を望んでいたことは明らかであり、日本は「ABCD包囲網」で首を絞められ、“窮鼠、猫を噛む”状況で対米戦に踏み切ったのです。
>日本の独立権が侵されたことが理由とされていますが、日本の自己主張に過ぎないのです。
「日本の自己主張に過ぎない」という言い方はおかしいですね。
ケロッグ米国務長官は、1928年12月7日の「米上院外交委員会」で、「国家が相手国に直接攻撃を加えることなく、単に経済封鎖するだけでも既に戦争行為である」と明言しています。
>>41年12月8日、日本時間の月曜日の夜。ハワイの真珠湾に停泊中のアメリカ軍艦が、日本軍の抜き打ち的な攻撃で撃沈されました。
>米国への宣戦布告はなされませんでした。当時、米国の首都ワシントンでは、野村吉三郎駐米大使と来栖三郎全権大使が、米側と戦争回避の外交交渉を続けていました。
米側が「南雲機動部隊」の「真珠湾攻撃」を事前に察知していたということ、及びそのことをハワイのショート将軍、キンメル提督に敢えて知らせなかったということは既に定説になっていますね。
>しかし、事前に通告されず、真珠湾攻撃は行われたのです。日本の武士道に反した行動であったことは、子どもたちにでも分かることだと思います。
日本は「真珠湾攻撃」の直前に「宣戦布告」する予定でした。それが遅れたのは「在米日本大使館」の不手際と、「宣戦布告」を受け取りたくない米側の思惑とが重なった結果です。はじめから事後の「宣戦布告」を予定していたわけではありません。
>太平洋戦争開戦以前にも、こうした武士道に反する行為はしばしば見られました。
戦力的に不利な側が「奇襲攻撃」を掛けることは「兵法」の常道であり、「武士道」とは関係ありません。
また世界の「戦争史」に於いても、お互い「宣戦布告」し合った後に戦闘に突入するケースは極めて稀で、私の思い出す限りでは「第一次大戦」以外に記憶にありません。
>31年9月18日夜、日本は中国東北部・柳条湖の南満州鉄道の線路上で爆破を行い、それを中国側が行ったと宣伝して攻撃。
そういう事実は否定しませんが、柳条湖が「中国東北部」などというのは、あくまで現代の認識であって、その時は「満州」内での出来事でした。
>さらに中国東北部全域に侵攻しました。これが満州事変です。
これも同様に「中国東北部」というのは現代の呼称であって、当時はあくまで「満州」でした。
「満州事変」の結果、「奉天軍閥」の長だった元「馬賊」張作霖の息子張学良は満州から追放され、満州は清朝の正統な継承者溥儀に返還され、「満州国」が成立したというのが歴史的事実です。→(「紫禁城の黄昏」参照)
因みに「満州国」の成立の経緯は、1924年11月26日にソビエトの後ろ盾で成立した「モンゴル人民共和国」成立の経緯と、さほど変わるものではありません。(もちろん統治形態は異なりましたが)
「ポツダム宣言」を受諾したのは事実ですが、これが無条件降伏に当たるかどうかは諸説がありますね。
>太平洋戦争が開戦した12月8日については、いつ、どのようなきっかけで起こったかを正確に語れる人が、年々少なくなっていると思います。
私の印象としては、近年様々な研究書が出版されるようになり、年々正確に語れる人が増えてきたと思うのですが。
>1930年代、世界の強国は国際連盟で軍備縮小の話し合いをしていました。
アメリカやドイツなどはそもそも「国際連盟」に加入していませんでしたが・・・
ソビエトについても、1934年9月14日に一度は加盟を認められたものの、1939年12月14日に「フィンランド侵略」を咎められ、除名処分にされていますね。
>真珠湾攻撃のごとき卑劣な行動に走らせ、太平洋戦争を引き起こしたのです。
今時、「真珠湾奇襲攻撃」を“卑劣”などと形容するのは流行りません。
むしろ当時の世界状勢からいうなら、「日中戦争」に中立を守らず、積極的に首を突っ込んできたアメリカの方こそ、様々な理由から日本との開戦を望んでいたことは明らかであり、日本は「ABCD包囲網」で首を絞められ、“窮鼠、猫を噛む”状況で対米戦に踏み切ったのです。
>日本の独立権が侵されたことが理由とされていますが、日本の自己主張に過ぎないのです。
「日本の自己主張に過ぎない」という言い方はおかしいですね。
ケロッグ米国務長官は、1928年12月7日の「米上院外交委員会」で、「国家が相手国に直接攻撃を加えることなく、単に経済封鎖するだけでも既に戦争行為である」と明言しています。
>>41年12月8日、日本時間の月曜日の夜。ハワイの真珠湾に停泊中のアメリカ軍艦が、日本軍の抜き打ち的な攻撃で撃沈されました。
>米国への宣戦布告はなされませんでした。当時、米国の首都ワシントンでは、野村吉三郎駐米大使と来栖三郎全権大使が、米側と戦争回避の外交交渉を続けていました。
米側が「南雲機動部隊」の「真珠湾攻撃」を事前に察知していたということ、及びそのことをハワイのショート将軍、キンメル提督に敢えて知らせなかったということは既に定説になっていますね。
>しかし、事前に通告されず、真珠湾攻撃は行われたのです。日本の武士道に反した行動であったことは、子どもたちにでも分かることだと思います。
日本は「真珠湾攻撃」の直前に「宣戦布告」する予定でした。それが遅れたのは「在米日本大使館」の不手際と、「宣戦布告」を受け取りたくない米側の思惑とが重なった結果です。はじめから事後の「宣戦布告」を予定していたわけではありません。
>太平洋戦争開戦以前にも、こうした武士道に反する行為はしばしば見られました。
戦力的に不利な側が「奇襲攻撃」を掛けることは「兵法」の常道であり、「武士道」とは関係ありません。
また世界の「戦争史」に於いても、お互い「宣戦布告」し合った後に戦闘に突入するケースは極めて稀で、私の思い出す限りでは「第一次大戦」以外に記憶にありません。
>31年9月18日夜、日本は中国東北部・柳条湖の南満州鉄道の線路上で爆破を行い、それを中国側が行ったと宣伝して攻撃。
そういう事実は否定しませんが、柳条湖が「中国東北部」などというのは、あくまで現代の認識であって、その時は「満州」内での出来事でした。
>さらに中国東北部全域に侵攻しました。これが満州事変です。
これも同様に「中国東北部」というのは現代の呼称であって、当時はあくまで「満州」でした。
「満州事変」の結果、「奉天軍閥」の長だった元「馬賊」張作霖の息子張学良は満州から追放され、満州は清朝の正統な継承者溥儀に返還され、「満州国」が成立したというのが歴史的事実です。→(「紫禁城の黄昏」参照)
因みに「満州国」の成立の経緯は、1924年11月26日にソビエトの後ろ盾で成立した「モンゴル人民共和国」成立の経緯と、さほど変わるものではありません。(もちろん統治形態は異なりましたが)
これは メッセージ 10949 (dorawasabi5001 さん)への返信です.