開戦日を風化させるな
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2005/12/24 16:31 投稿番号: [10949 / 29399]
★「94歳私の証・あるがまま行く」
開戦日を風化させるな
日野原重明
8月15日は、日本が米国に無条件降伏した日として、多くの国民に記憶されています。
しかし、太平洋戦争が開戦した12月8日については、いつ、どのようなきっかけで起こったかを正確に語れる人が、年々少なくなっていると思います。
1930年代、世界の強国は国際連盟で軍備縮小の話し合いをしていました。
日本はこれを脱退して大規模な軍事活動を行いました。これに対し米国は日本への石油輸出禁止を決めました。
こうしたことが日本の陸海軍を激怒させ、真珠湾攻撃のごとき卑劣な行動に走らせ、太平洋戦争を引き起こしたのです。
日本の独立権が侵されたことが理由とされていますが、日本の自己主張に過ぎないのです。
41年12月8日、日本時間の月曜日の夜。ハワイの真珠湾に停泊中のアメリカ軍艦が、日本軍の抜き打ち的な攻撃で撃沈されました。
米国への宣戦布告はなされませんでした。当時、米国の首都ワシントンでは、野村吉三郎駐米大使と来栖三郎全権大使が、米側と戦争回避の外交交渉を続けていました。
しかし、事前に通告されず、真珠湾攻撃は行われたのです。日本の武士道に反した行動であったことは、子どもたちにでも分かることだと思います。
太平洋戦争開戦以前にも、こうした武士道に反する行為はしばしば見られました。
31年9月18日夜、日本は中国東北部・柳条湖の南満州鉄道の線路上で爆破を行い、それを中国側が行ったと宣伝して攻撃。
さらに中国東北部全域に侵攻しました。これが満州事変です。
【また、南京攻略の際には、一般住民まで殺し、略奪行為を行いました。】
私が京都大学の医局や院で学んでいた時のことです。
【大学の先輩で、ハルビン市の特殊部隊に所属していた石井四郎軍医中将が、現地での捕虜待遇の様子をおさめた写真フィルムを持って母校を訪れました。】
【そのフィルムには、捕虜兵の生体実験が映っていました。腸チフス、ペスト、コレラなど、伝染病の病原菌を感染させてから死亡するまでを観察したものでした。見るに耐えられない行動を映した映像の記憶に、今でも鳥肌がたちます。 】
日本軍のこうした残虐行為を一般国民はまったく知らされていませんでした。
いつも日本軍の優勢を誇大した偽りの戦果が、ラジオや新聞紙上に流れていました。
米国に戦争をしかけた時も、日本人兵士の大和魂こそがアメリカ兵を圧倒すると国民は安易に考えていました。
日米関係の破綻(はたん)と不幸な戦争が始まった12月8日を日本人はもっと深刻に受け止めるべきです。
【同時に平和憲法に従って世界平和の先頭を切って行動するという約束を、どう実践してきたか、厳しく反省すべきだと私は思うのです。】
http://www.be.asahi.com/20051210/W25/20051201TBEH0029A.html
開戦日を風化させるな
日野原重明
8月15日は、日本が米国に無条件降伏した日として、多くの国民に記憶されています。
しかし、太平洋戦争が開戦した12月8日については、いつ、どのようなきっかけで起こったかを正確に語れる人が、年々少なくなっていると思います。
1930年代、世界の強国は国際連盟で軍備縮小の話し合いをしていました。
日本はこれを脱退して大規模な軍事活動を行いました。これに対し米国は日本への石油輸出禁止を決めました。
こうしたことが日本の陸海軍を激怒させ、真珠湾攻撃のごとき卑劣な行動に走らせ、太平洋戦争を引き起こしたのです。
日本の独立権が侵されたことが理由とされていますが、日本の自己主張に過ぎないのです。
41年12月8日、日本時間の月曜日の夜。ハワイの真珠湾に停泊中のアメリカ軍艦が、日本軍の抜き打ち的な攻撃で撃沈されました。
米国への宣戦布告はなされませんでした。当時、米国の首都ワシントンでは、野村吉三郎駐米大使と来栖三郎全権大使が、米側と戦争回避の外交交渉を続けていました。
しかし、事前に通告されず、真珠湾攻撃は行われたのです。日本の武士道に反した行動であったことは、子どもたちにでも分かることだと思います。
太平洋戦争開戦以前にも、こうした武士道に反する行為はしばしば見られました。
31年9月18日夜、日本は中国東北部・柳条湖の南満州鉄道の線路上で爆破を行い、それを中国側が行ったと宣伝して攻撃。
さらに中国東北部全域に侵攻しました。これが満州事変です。
【また、南京攻略の際には、一般住民まで殺し、略奪行為を行いました。】
私が京都大学の医局や院で学んでいた時のことです。
【大学の先輩で、ハルビン市の特殊部隊に所属していた石井四郎軍医中将が、現地での捕虜待遇の様子をおさめた写真フィルムを持って母校を訪れました。】
【そのフィルムには、捕虜兵の生体実験が映っていました。腸チフス、ペスト、コレラなど、伝染病の病原菌を感染させてから死亡するまでを観察したものでした。見るに耐えられない行動を映した映像の記憶に、今でも鳥肌がたちます。 】
日本軍のこうした残虐行為を一般国民はまったく知らされていませんでした。
いつも日本軍の優勢を誇大した偽りの戦果が、ラジオや新聞紙上に流れていました。
米国に戦争をしかけた時も、日本人兵士の大和魂こそがアメリカ兵を圧倒すると国民は安易に考えていました。
日米関係の破綻(はたん)と不幸な戦争が始まった12月8日を日本人はもっと深刻に受け止めるべきです。
【同時に平和憲法に従って世界平和の先頭を切って行動するという約束を、どう実践してきたか、厳しく反省すべきだと私は思うのです。】
http://www.be.asahi.com/20051210/W25/20051201TBEH0029A.html