南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
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◆元第16師団連隊長 魂の講演録⑥
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/15 01:27 投稿番号: [38870 / 41162]
9、太田壽男
南京の停泊場司令部の職員の少佐が、「12月16、17、18日に何万という死体を処理した」と書いています。
この人は後に戦犯となり、満州の撫順収容所に収容されてそこで書いたものであります。
ところが同停泊場司令部に梶谷という職員(曹長)の日記によると、太田少佐は12月16、17、18日に南京にはいなかった。
この人は12月25日に、上海から初めて南京に来た人であります。
太田という人は、戦犯収容所に収容されて、おそらくそう書くように強制されたものだと思います。
それをいかにもまことしやかに、虐殺の証拠だと言うのです。
太田少佐の手記については、毎日新聞静岡支局の武田某という記者が広島市に住んでいる畝本正巳氏(陸士46期。戦車隊中隊長として南京攻略戦に参加、偕行社編纂の「南京戦史」の編纂委員)のところに聴きに来た際、畝本氏は、
「そんな馬鹿な事は無い」
と、梶谷日記も見せて、太田少佐の手記の誤りである事を説明しています。
ところがそれが毎日新聞の記事になってみると、虐殺の動かぬ証拠として太田手記を載せ、しかも少佐であった人の証言であり、間違いないと言っているのです。
畝本氏の証言も梶谷日記のことも、一切無視しているのです。
今、お話したようなことが、「南京大虐殺」論の実態なのです。
南京に虐殺があったという主張にこれだけウソが多いということがお判りになれば、逆に虐殺は無かったという証拠になるのではないでしょうか。
「あった」という証明は簡単なのですが、「無かった」という証明はなかなか難しいのです。
ですから、「あった」という論にこれだけウソが多いことを指摘して、逆に証明する以外ありません。
しかしその指摘は、私や戦友、部下達が直接体験したところから出ているのです。
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◆元第16師団連隊長 魂の講演録⑤
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/15 01:07 投稿番号: [38869 / 41162]
5、東史郎(あずましろう)
歩兵第20連隊第3中隊上等兵。
わが南京プラトーン」という著書で随所に諸上官の悪口を書き、戦友の非
行として虐殺、強盗、強姦の情景を描写。
又「7千人の捕虜を各中隊に分配して殺害した」「中隊長自ら斥候(偵察)
に行った」等と書いています。
彼は私の連隊の兵士です。
捕虜を各中隊に分配して殺害するというような事はあり得ませんし、現に
私の中隊はそんな分配など受けた覚えはありません。
またどんなに激戦であろうとも、中隊長が約200人の部下の指揮を放棄して斥候に行くなんて、そんな馬鹿なことも考えられません。
各中隊はみな「中隊会」という戦友会を持っていますが、そんなウソを平気で書く男ですから、戦友会を除名されております。
また、「東という兵士が倉庫に秘蔵していた手記を我々に資料として提供した」と発表した新聞がありますが、同じ町に住んでいる私の部下が、私に手紙を送ってくれて、「東の家に倉庫なんてあったことはありません」と、はっきり言っております。
又、朝日新聞の記事によりますと、彼は自分の階級を「軍曹」と詐称して福岡で講演したこともあります。
6、北山与
歩兵第20連隊第3機関銃中隊。
「12月13日西山(前記の溝山のこと)麓で捕虜を火刑に処す」
「12月14日戦銃隊は紫金山の掃討、約800名、武装解除後、皆殺し」と証言。
これは私が第3大隊長代行として指揮した部隊の兵士です。
こんな命令を出したこともありませんし、これほど重要な事を、直接の指揮官である私が知らないはずがありません。
そんな大ウソを、朝日新聞は喜んで書いているのです。
彼はまた、自分は日記を書いたけれども、それは中隊長に検閲されるから差し支えのないことばかり書いた、と言っておりますが、戦場の中隊長は、兵士の日記を点検するほど暇ではありませんし、またどの兵士が日記を書いているかなんてことは判りません。
7、上羽武一郎
第16師団衛生隊の担架兵。
「戦場で放火、殺人、切り捨て勝手たるべしの命令があったので毎夜民家に放火して、住民をあぶり出して殺害した」と、メモに書いていると、新聞のインタビューに答え、
「中山門攻撃の歩兵第20連隊の多数の死傷者を運搬のため、住民中の青年約100名を徴用、使用した後虐殺」と証言。
「放火、殺人、切り捨て勝手たるべし」などと言う馬鹿なことを言う指揮官がいるわけがありません。
また当時の戦場の住民の中に、100名もの青年がそこいらにいる等という事はあり得ません。
8、最近、私が聞いた話で、京都に共産党をバックにした団体がありますが、それが舟橋照吉という男の日記が出た、これが虐殺の動かぬ証拠であると盛んに言っております。
週刊誌に出たその日記なるものを私は子細に読みました。
輜重輸卒(補給部隊)で京都の連隊に入ったそうですが、まるで自分1人で敵陣に突入し勇戦奮闘したようなことが書いてあります。
輜重輸卒が戦闘に参加したり、まして敵陣に突入するなんてことはあり得ない事です。
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◆元第16師団連隊長 魂の講演録④
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/15 01:06 投稿番号: [38868 / 41162]
実際に戦争に行った人間が、手記を書いたり日記を書いたりという形で色々虐殺を言っています。
まず第一に、日記や手紙を書いたというのがおかしいと思います。
戦場で兵士が日記を書けるものかどうか。
背嚢(はいのう)は必要最小限の携行品で一杯になっています。
その中へ一体何冊のノートを入れていったのか?
筆記具は鉛筆なのか、インキなのか?
当時はボールペンなどはありません。
終日戦闘を続けて、あるいは土砂降りの雨の中を一日中行軍して、くたくたになって露営して、暗闇の中にはロウソクの灯りさえ無いのです。
また敵と至近距離に対峙(たいじ)して夜を徹することもあります。
戦場では、眠るのが精一杯のことが多いのです。
そんな中で、どうして日記が書けるのでしょうか?
丹念に日記を書くという力があったのでしょうか?
それだけ考えても、戦場で書いた日記だというのは、どうも信用出来ないのです。
彼らの証言をいくつかあげてみましょう。
1、中山重夫
岩仲戦車隊の兵で、昭和12(1937)年12月11日に雨花台(南京城南側、中華門外の台地)で、約4時間にわたって捕虜が虐殺されるのを見たと証言。
静岡県の中学教師、森正孝という人物が作った「侵略」という8ミリ映画を持ち歩いて各地で講演をして回っています。
昭和12(1937)年12月12日は激戦の真っ最中で、そんな中で捕虜を殺している余裕は絶対に無いのです。
まして数時間もそれを見物するなどは考えられません。
特に、中山重夫氏が配属されていた戦車隊は、南京城東側の中山門攻撃に加わっており、11日、12日の状況はすでにお話した通りです。
この部隊にいた兵士が、南京城南側の雨花台で捕虜の虐殺を見るわけがないじゃないですか。
そんな大ウソを平気で言うのです。
2、曽根一夫
豊橋の歩兵第18連隊の軍曹(分隊長)として従軍。
「私記南京虐殺」3部作を発表、その中で蘇州河の戦闘につき、
「11月7日朝霧の中工兵の人柱による橋上を敵弾を冒して走り、敵弾命中し河中に転落」と書いております。
これが全くのウソであります。
曽根一夫は豊橋歩兵第18連隊の軍曹ではなく、名古屋の野砲第3連隊の初年兵であったことを、彼と同じ中隊(野砲3、第12中隊)にいた戦友が証言しており、所属部隊の階級も全くデタラメですし、蘇州河の戦闘になどは参加しておりません。
また第18連隊の中隊長、及部巷氏は、
「11月7日は激しい風雨であり(朝霧などは無し)、蘇州河は水深2メートル余りで人柱等不可能、さらに当時は敵弾の飛来等ある状況では無かった」と、証言しています。
こんなウソを平気で言っております。
3、富沢孝夫
海軍の暗号兵。
「昭和12(1937)年12月11日、松井軍司令官の虐殺を戒(いまし)める暗号を傍受・解読した」と証言。
海軍の暗号兵が陸軍の暗号を傍受・解読する事は、技術的に出来ないのです。
さらにもう1つは、12月11日には、松井軍司令官は蘇州で入院しておられ、南京にはおられません。
にもかかわらず、彼は平気でそういう事を言っております。
4、石川フミ
東北出身の日赤の看護婦で、病院船筑波丸に乗って揚子江を遡行(そこう)、12月27日に南京に上陸、中山陵を見物し、途中で「女、子供の死体が散乱しているのを見た」と証言。
そんな時期に、そこいらに死体がある訳がありません。
現実に、私は何度か中山陵に行きましたが、一体の死体も見たことはありません。
何度も通った私が全然見ていないのに、たった一度行った看護婦が、散乱した死体を見るわけがないじゃありませんか 。
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◆元第16師団連隊長 魂の講演録③
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/15 01:06 投稿番号: [38867 / 41162]
反日赤旗記者の捏造本
「隠された連隊史」という本を、共産党「赤旗」の下里正樹という記者が書いております。
これには私の属しました福知山歩兵第20連隊のことが書かれています。
大体、共産党の機関紙の記者が書いたものですから、内容は読まずとも知れたものですが、私の連隊のことを書いているものですから読んでみますと、よくもまぁこれだけ大ウソを書けたものだと思うくらいのものです。
イ、「歩兵第20連隊では兵士が上官の指揮を批判し、命令に反抗し、将校はひたすら兵に迎合して兵の非行も黙認し、部隊内には下克上の空気蔓延し、将校の権威も指導力も全く零であった」
私は第20連隊の中隊長として、兵士の機嫌を取らねばならない等と、思った事さえ1度もありません。
常に部下の兵士と共に、お互いが信頼しあって戦ってきたのです。
その結果もう半世紀も経った今もなお、当時の戦友会が毎年開かれているのです。
来月の7日にも、私の中隊の戦友会が京都府の綾部で行われますが、例年のごとく、「隊長殿、是非出席して下さい」と招待されております。
将校が兵士の機嫌を取らねばならなかった軍隊で、そんなことが続けられるのでしょうか?
また私が十数年前に大病で下関で入院したことがありますが、当時の部下の多くは京都府に住んでいるのですが誰かれ言うとも無く、
「隊長殿がひどい病気だ」
ということで、知らぬ間に多額の見舞い金を送ってくれました。
私はベッドで感激の涙にむせんだ事でした。
将校と下士官・兵の心が離れていたならば、こんなことはあり得ないと思います。
これは私の場合だけではなく、中隊長と中隊の兵士の気持ちがしっかりと結ばれていなければ、激戦を戦い抜くということは出来ないのです。
ロ、「日露戦争の際、歩兵第28連隊(北海道旭川)の兵2千人が捕虜になり、戦後恥ずかしくて日本には帰らず、ハワイに移住した者もある」
これもまた、ものを知らずに書いたにしてもあまりにひどいじゃないか、というものです。
1個連隊は約3千人ですが、そのうち2千人が捕虜になったなどということはあり得ないことです。
私に言わせれば、下里正樹は「私はウソを書いております」と、自分で白状しているようなものであります。
「天に向かってツバをする」とはこの事でしょう。
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◆元第16師団連隊長 魂の講演録②
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/15 01:05 投稿番号: [38866 / 41162]
(2)次に、戦後に参戦者の手記、日記、インタビュー等から、盛んに「虐殺」を言っている記事で、その取材の仕方が全く偏向したものである例を挙げます。
まず、第一に、取材する相手に、虐殺を証言する人間しか選ばないという点があります。
虐殺を否定すると思われる人には取材をしません。
そればかりか取材をすると何とかデッチあげてでも虐殺に仕立てるという事を致します。
場合によっては、証言を意図的に歪曲し、時には正反対の解釈をして、証言者がそんなことは言ってない、と憤慨(ふんがい)している例もあります。
また、証言者が、
「中隊の軍紀は非常に厳正でありました。」
などと証言しても、そんなことは一切取り上げようとしません。
自分の取材意図に合ってさえいれば、証言内容が明瞭(めいりょう)なウソであると判っていても、そのまま記事にしております。
宮崎県の農家で写真と参戦者の日記を発見したとして南京虐殺の決定的証拠とした、朝日新聞の昭和58(1983)年8月4日の記事に対し、その写真は満州の馬賊の写真で、昭和初期に朝鮮買ったものであると、読者が抗議しています。
また森村誠一の「続・悪魔の飽食」に、日露戦争当時の伝染病による死体写真を今次大戦の関東軍の虐殺の証拠写真としていつわって掲載しているのを、読者よりの指摘抗議によって暴かれたのは有名な話です。
そのような記事について、
「そんなことはあり得ないことである」
と反論されても、無視し、認めないか、言を左右にしてうやむやにするのが、彼らの常套手段(じょうとうしゅだん)なのです。
都城連隊関係者が、朝日新聞に対して名誉毀損の抗議訴訟を起こして朝日が敗訴した件、京都新聞の無責任な記事に対する歩兵20連隊第3中隊の抗議に対する態度、また「平和のための京都の戦争展」の朝日新聞の記事に対し私が抗議しましたが全く無回答、これが新聞の態度です。
全く礼儀知らずと言うほかありません。
さらに、偏向的時後取材により「南京大虐殺」を盛んに主張する例を挙げます。
朝日新聞の本多勝一という記者が「中国の旅」という本を書いています。
これは彼が戦後・満州・中国に行って、日本人がそんなに悪い事をしたかを中国人に取材して、全く無批判に鵜呑みにして書いたものですが、その内の南京関係の例をあげてみましょう。
イ、姜根福の証言。
日本軍は南京城北の燕子磯で10万人くらい機関銃で射殺した。
紫金山で2千人を生き埋めにした。
あるいは軍用犬に中国人を襲わせ、その人肉を食わせた。城内で20万人を虐殺、死体を積み上げて石油をかけて焼いた。
ロ、伍長徳の証言。
南京戦直後、日本兵に銃剣で肩を刺されたが逃げ、揚子江に飛び込んで、日が暮れるまで水中に隠れていた。日本軍は逮捕した青年を高圧線にぶら下げてあぶり殺し、工業用硝酸をかけて殺した。
ハ、李秀英(女性)の証言。
日本兵に強姦されそうになり抵抗、その銃剣を奪って格闘して追い払った。しかし37ヶ所も刺されて気絶していたのを、親族の者達に助けられた。
2千人を生き埋めにするための労力と時間と穴の大きさは、どれ程のものであったのでしょうか?
軍用犬に人を襲わせて、その肉を食わせるなどという馬鹿なことがあり得るのでしょうか?
石油や工業用硝酸を、戦場でいつ、どこで入手したのでしょうか?
揚子江は確かに冬でも凍りはしませんが、12月の揚子江に飛び込んで、首だけ出していて一体日が暮れるまで我慢できるのでしょうか?
高圧線に、どうやって人間を吊り下げるのでしょうか?
当時の日本兵は現役バリバリで士気も高く、女性と格闘して銃剣を奪われ、尻尾を巻いて逃げ出すような情けない兵士がいる訳がありません。
37ヶ所も刺されて失神した者が、また蘇生するなどという事があり得るでしょうか?
どれ1つ取ってもすぐウソだと判る事ばかりです。
それを本多勝一記者は、「なるほど、ごもっともです」とそのまま本にしているのです。
本多記者については、
「朝日の中には、本多君に対して良くない感情を持っている人が沢山いる」という事を朝日新聞の同僚の記者が言っていますし、又石原慎太郎氏は平成3(1991)年の「文藝春秋」に、
「朝日には本多という奇妙な性格の記者がいて、盛んに南京虐殺のことを書く」と言っております。
本多勝一記者は、
「日本の子弟に国際性を持たせるため、南京大虐殺の教育を徹底させる必要がある」と言っています。
私は売国奴、何を血迷ったか、妄語断じて許すべからずと、憤(いきどお)りに駆られます。
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◆元第16師団連隊長 魂の講演録①
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/15 01:05 投稿番号: [38865 / 41162]
元第16師団(京都)歩兵第20連隊(福知山)大隊長、森王琢氏
―
謹(つつし)んで英霊に捧(ささ)ぐ―
『「南京大虐殺」はなかった』より
「虐殺はあった」と主張する人を一応「虐殺論者」と呼ぶ事に致しますが、この中には新聞記者、学者、評論家という人達、それともう一つは戦争に行った兵隊、下士官、将校がおります。
そういう人達の虐殺論がいかにウソでありデタラメであるかをこれからご説明します。
(1)まず、当時の従軍記者の例をあげます。
当時南京には、新聞各社の記者が100名以上もおりました。
イ、朝日新聞の今井正剛記者という記者が「南京城内の大量殺人」という本を書いております。大阪毎日(当時)の後藤記者が、
「あなたはとんでもない事を書いていますね」とただしたところ、今井記者は、
「あれは興味本位で書いたのだ」と白状しています。
朝日の同僚の記者は、
「今井君は危険な前線に出て、目で見てものを書く人ではなく、後方で人の話を聞いて記事を書くのが上手であった」と批判をしております。
ロ、東京日々新聞の鈴木二郎という記者は、
「私は12月12日に中山門より入城した。後続部隊が次々に中山門上で万歳をし、写真を撮っていた。中山門の上では盛んに捕虜が虐殺されていた」と証言しております。
作家の阿羅健一氏が、
「あなは12月12日に中山門に入られたのですか。それは13日の間違いではありませんか」と問い正したのにも関わらず、
「いや、私は12日に入って、現実に捕虜が殺されるのを見たんだ」と譲らないのです。
12月12日には、私は先ほどお話したように、中山門正面約2キロ手前の溝山の山頂にいました。
双眼鏡で中山門の城壁がやっと見えたのですが、敵兵がいっぱいおりました。
一体いつになったらあれを占領できるのかと、その時思ったことを私ははっきり覚えています。
そんな時期に、一新聞記者がどうして中山門に入れるのでしょうか。
中山門の高さは約10メートル、厚さ20センチの扉はぴったり閉まっており、しかも門の内側には土嚢(どのう)がいっぱい積み上げられてありました。
13日の未明、我が歩兵20連隊が砲撃によって崩れた城壁をよじ登って占領し、私は15日に中山門に入ったのですが、ここで捕虜が虐殺されたような形跡は全くありませんでした。
要するに、鈴木二郎という記者の証言は、全くのウソであります。
ハ、東京日々新聞の浅海一男という記者が、「百人斬り」という記事を書いています。
京都の9連隊の野田・向井の2人の少尉に、上官が、どちらが早く百人を斬ることが出来るか競争せよ、勝者に賞を与えようと命じられ、2人が百人斬りを競ったというものでありますが、これが全くのウソであります。
第一に、軍隊で戦争の真っ最中に、上官が将校にかかる競争を命じ、勝った方に賞をやろうなどと言うこと、また将校もそんなエサで釣られるようなことは、軍隊の常識としてあり得ません。
その時の上官であると言われている富山大隊長も、
「そんな馬鹿なことがあるものか」
と、ハッキリ否定しておられます。
さらに野田少尉は大隊副官、向井少尉は大隊砲小隊長であり、両方とも部下が銃剣を持って敵陣に突入する部隊の指揮官ではありません。
そういう将校に、敵に突入して百人斬りを命ずる馬鹿がいるでしょうか?
そういう作り話がまことしやかに書かれ、そのために両少尉は戦犯にされ、処刑されたのです。
東京裁判の最中に、向井少尉の家族が、浅海記者にあの記事はウソである、作り話であるということを証言して欲しいと懇願していますが、浅海記者は逃げ回ってその証言を回避しております。
私は、彼が2人の若い将校を殺したのも同然だと考えております。
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Re: ばかanoyo_konoyoへ re 日本人の性
投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/02/16 23:54 投稿番号: [38898 / 41162]
「日本人の性」を「日本人のさが」と読むのもまた人間の能力だ。しかし
「日本人の性」は「日本人のセックス」と読まれる可能性が現代に於いては
甚だ多い。現にふかがわとうへい氏はそう読んで、そこから議論を始めた。
これは メッセージ 38897 (kon**o_ano*o さん)への返信です.
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Re: ばかanoyo_konoyoへ re 日本人の性
投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2012/02/16 21:23 投稿番号: [38897 / 41162]
あ、そうか〜。
だから如何だっての〜。性って如何読む〜?サガって読むだろう〜?
お前、サガの意味知ってるか〜。性質、性格ってモンだろうが〜。
ま、何でも反日してりゃ御満足の日本人のクズよの〜。
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Re: ばかanoyo_konoyoへ re 日本人の性
投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/02/16 20:48 投稿番号: [38896 / 41162]
「にほんじんのせい」を転換すれば「日本人の性」が出てくるのは、
パソコンが機械だからだ。そこを「日本人の所為」と読み替えるのが
人間の能力だ。
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Re: oldninja7は在日である
投稿者: oldninja7 投稿日時: 2012/02/16 18:28 投稿番号: [38895 / 41162]
俺は在外の日本人だ、でも先祖は天皇家と同じで帰化人が混じっているかもしれないな、
お前は日本に多分まだ2−3%位は残っている在日の生粋の日本原人で熊襲か、蝦夷の子孫で愛国風のウヨだな。
愛国風は偽物で本当の愛国者とは違うんだよ。
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Re: マレーシア華僑 ニャンコチャンの捏造
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/02/16 16:18 投稿番号: [38894 / 41162]
>在るよ読み返しな
中国人が中国人を殺しました、なんて言う訳ねぇ〜だろが(失笑)
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Re: マレーシア華僑 ニャンコチャンの捏造
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/16 16:12 投稿番号: [38893 / 41162]
在るよ読み返しな、嘘吐く君。
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Re: マレーシア華僑 ニャンコチャンの捏造
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/02/16 13:14 投稿番号: [38892 / 41162]
>君は証拠を見せても理解出来ないんだね、
中国語の証拠なんかあるわけないじゃんか(大笑い)
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Re: マレーシア華僑 ニャンコチャンの捏造
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/16 12:21 投稿番号: [38891 / 41162]
君は証拠を見せても理解出来ないんだね、中国語は少しは読めるんじゃなかったっけ、嘘吐く君。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38891.html
Re: マレーシア華僑 ニャンコチャンの捏造
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/02/16 10:17 投稿番号: [38890 / 41162]
>君は何時もギブアップしているよね、今回も自分で資料を探せなかったと言うことだね>
いいから早くマレーシアの抗日華僑が親日華僑を殺したという証拠を
出しなよ!
出せないだろ〜、うそなんだから。
本当に、たちが悪いね、ニャンコは(失笑)
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ばかanoyo_konoyoへ re 日本人の性
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/02/16 10:10 投稿番号: [38889 / 41162]
>何でも、日本人の性にしちゃダメだぜ〜
だからぁ〜、(日本人の性)って何だよぉ〜?
四十八手の事?
全然興味ないんだけどね、ボケナス!
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Re: マレーシア華僑 ニャンコチャンの捏造
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/16 08:01 投稿番号: [38888 / 41162]
君は何時もギブアップしているよね、今回も自分で資料を探せなかったと言うことだね、ハイハイ学校出身では無理だよ、嘘吐いた君。
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fukagawatoheiは左翼にあらず、気違い在日
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2012/02/15 20:52 投稿番号: [38887 / 41162]
確かに気違いの在日である。人間としての(人間であると仮定して)中味は日本人への憎悪だけである。
だから全ての議論は無意味である。
fukagawatoheiの書き込みが不愉快なら、その分を憎悪に置き換えて、fukagawatoheiがやるように、娑婆の手近な在日に向ければいい。
それが気違い在日fukagawatoheiやそれに類する在日に対処する唯一有効な手段である。
繰返す。議論は無駄である。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38887.html
Re: マレーシア華僑 ニャンコチャンの捏造
投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2012/02/15 20:43 投稿番号: [38886 / 41162]
何でも、日本人の性にしちゃダメだぜ〜。
真実の歴史を深く鑑み反省も無い、反日サヨ、お前だろ〜。
ハヨ、日本国籍外れての、反日特亜三国人になって貰いたいものだがの〜。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38886.html
Re: マレーシア華僑 ニャンコチャンの捏造
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/02/15 13:03 投稿番号: [38885 / 41162]
>ハイハイ学校出身なんだね
結局ギブアップだね。
なんでも中国人のせいにしちゃダメだよ、ニャンコちゃん!
これは メッセージ 38884 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: マレーシア華僑
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/15 11:48 投稿番号: [38884 / 41162]
ハイハイ学校出身なんだね、嘘吐く君は。
これは メッセージ 38883 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: マレーシア華僑
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/02/15 11:36 投稿番号: [38883 / 41162]
>抗日団体と首謀者
>君は嘘吐くが当方は資料に基づいているから、嘘吐く必要は無い
はいはい。いいから早く抗日華僑グループが親日華僑を殺したという
証拠を出してくれよ。
出せないだろ〜ね、いくら捏造が得意のニャンコチャンでも(爆笑)
これは メッセージ 38881 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: マレーシア華僑
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/15 11:10 投稿番号: [38882 / 41162]
何でも無いよ、彼等が親日の人間を単に殺して音言うだけ、嘘吐く君には理解出来ない様だね、嘘吐く馬鹿君。
これは メッセージ 38880 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: マレーシア華僑
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/15 11:09 投稿番号: [38881 / 41162]
抗日団体と首謀者
星洲華僑各界抗敵後援会調査部
黏文華
中華民族解放先鋒隊
劉壯丹、蘇棠影
馬来亜労工抗日団
林謀盛
抗敵除奸義勇隊
王宣化、名炎之
中華民族復興団
劉滌民
鋤奸別動隊
施方平
君は嘘吐くが当方は資料に基づいているから、嘘吐く必要は無い、脳死脳と吐く馬鹿君。
これは メッセージ 38878 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: マレーシア華僑
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/02/15 11:08 投稿番号: [38880 / 41162]
>首謀者の名前は判明しているからね。
陳嘉庚、曾紀辰、林文田、李偉南、陳振賢、郭新、陳開国、林師萬、古実根、揚惺英
之が抗日の首謀者だね。>
あぁ〜そう、だからなぁ〜に?
これは メッセージ 38879 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: マレーシア華僑
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/15 11:00 投稿番号: [38879 / 41162]
首謀者の名前は判明しているからね。
陳嘉庚、曾紀辰、林文田、李偉南、陳振賢、郭新、陳開国、林師萬、古実根、揚惺英
之が抗日の首謀者だね。
これは メッセージ 38878 (fukagawatohei さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38879.html
Re: マレーシア華僑
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/02/15 10:51 投稿番号: [38878 / 41162]
>何度も出しているからね
はいはい、うそつき君(嘲笑)
これは メッセージ 38877 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38878.html
Re: マレーシア華僑
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/15 10:50 投稿番号: [38877 / 41162]
何度も出しているからね、チャンと記憶しなさい、脳死君と同じだね、嘘吐くな。
これは メッセージ 38874 (fukagawatohei さん)への返信です.
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「喜び組」出身の“側室”
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2012/02/15 10:23 投稿番号: [38876 / 41162]
「喜び組」出身の“側室”
父は日本軍協力者
金日成主席は正恩氏を孫と認めず
産経ニュース
2012.2.15 07:39
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120215/kor12021507430002-n1.htm>関係者らの証言などによると、京沢氏は1929年に出稼ぎのため渡日。陸軍管理下で軍服や天幕を作る大阪市の「広田裁縫所」で働いた。戦後、済州島への密航船を運営し日本の警察に逮捕され、出所後、62年に家族を連れ北朝鮮に渡った。法務記録には「強制退去」と記された。他の在日朝鮮人のように「地上の楽園」を夢見た帰国ではなく、半ば強制的な送還だった。
よく目を凝らせば(凝らさなくても)「従軍慰安婦」「強制連行」などとは全く異なる日本と朝鮮(韓国+北朝鮮)の関係が見えて来る。
一色に塗りつぶすのは何かの「意図」があるからである。
単純明快、歴史的に、汎地球的に、普遍の法則である。
在日や韓国人などは日本人がこれに目覚めるのがいやだろう。意図が挫かれ場合によっては、または必然的に、彼らの組織や活動が叩き潰されることになるから。
普通にしていれば並存可能なものも、図に乗ってのさばると実相を暴かれ、叩き潰されることになる。
その気になれば、つまり目覚めれば、実に簡単なことである。今までどいつがのさばっていたか衆知なのだから。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38876.html
fukagawatoheiは左翼にあらず、在日なり
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2012/02/15 09:35 投稿番号: [38875 / 41162]
それも気違いの在日である。人間としての(人間であると仮定して)中味は日本人への憎悪だけである。
だから全ての議論は無意味である。
fukagawatoheiの書き込みが不愉快なら、その分を憎悪に置き換えて、fukagawatoheiがやるように、娑婆の手近な在日に向ければいい。
それが気違い在日fukagawatoheiやそれに類する在日に対処する唯一有効な手段である。
繰返す。議論は無駄である。
これは メッセージ 38874 (fukagawatohei さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38875.html
マレーシア華僑
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/02/15 09:23 投稿番号: [38874 / 41162]
>マレーシアには華僑が多かったからね、抗日華僑と親日華僑が居たんだけど、親日華僑が抗日華僑に虐殺され、日本軍の仕業に見せかけられた等言うお話しだよ、之は良く知られたお話し。>
ニャンコチャンの話の記録があったら信用するよ。
早く出してちょうだいね(大笑い)
これは メッセージ 38849 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38874.html
Re: 南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/02/15 09:11 投稿番号: [38873 / 41162]
嘘付きで作り話の名人?
catcatcatanddog は、作り話がヘタクソな嘘吐きだ。
これは メッセージ 38845 (catcatcatanddog さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38873.html
辞書や事典が記述する歴史的間違い(1)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/15 05:07 投稿番号: [38872 / 41162]
日本軍が餓死した資料を見せて頂戴な、嘘吐き野郎君。
これは メッセージ 38851 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38872.html
◆元第16師団連隊長 魂の講演録⑥
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/15 01:27 投稿番号: [38870 / 41162]
9、太田壽男
南京の停泊場司令部の職員の少佐が、「12月16、17、18日に何万という死体を処理した」と書いています。
この人は後に戦犯となり、満州の撫順収容所に収容されてそこで書いたものであります。
ところが同停泊場司令部に梶谷という職員(曹長)の日記によると、太田少佐は12月16、17、18日に南京にはいなかった。
この人は12月25日に、上海から初めて南京に来た人であります。
太田という人は、戦犯収容所に収容されて、おそらくそう書くように強制されたものだと思います。
それをいかにもまことしやかに、虐殺の証拠だと言うのです。
太田少佐の手記については、毎日新聞静岡支局の武田某という記者が広島市に住んでいる畝本正巳氏(陸士46期。戦車隊中隊長として南京攻略戦に参加、偕行社編纂の「南京戦史」の編纂委員)のところに聴きに来た際、畝本氏は、
「そんな馬鹿な事は無い」
と、梶谷日記も見せて、太田少佐の手記の誤りである事を説明しています。
ところがそれが毎日新聞の記事になってみると、虐殺の動かぬ証拠として太田手記を載せ、しかも少佐であった人の証言であり、間違いないと言っているのです。
畝本氏の証言も梶谷日記のことも、一切無視しているのです。
今、お話したようなことが、「南京大虐殺」論の実態なのです。
南京に虐殺があったという主張にこれだけウソが多いということがお判りになれば、逆に虐殺は無かったという証拠になるのではないでしょうか。
「あった」という証明は簡単なのですが、「無かった」という証明はなかなか難しいのです。
ですから、「あった」という論にこれだけウソが多いことを指摘して、逆に証明する以外ありません。
しかしその指摘は、私や戦友、部下達が直接体験したところから出ているのです。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38870.html
◆元第16師団連隊長 魂の講演録⑤
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/15 01:07 投稿番号: [38869 / 41162]
5、東史郎(あずましろう)
歩兵第20連隊第3中隊上等兵。
わが南京プラトーン」という著書で随所に諸上官の悪口を書き、戦友の非
行として虐殺、強盗、強姦の情景を描写。
又「7千人の捕虜を各中隊に分配して殺害した」「中隊長自ら斥候(偵察)
に行った」等と書いています。
彼は私の連隊の兵士です。
捕虜を各中隊に分配して殺害するというような事はあり得ませんし、現に
私の中隊はそんな分配など受けた覚えはありません。
またどんなに激戦であろうとも、中隊長が約200人の部下の指揮を放棄して斥候に行くなんて、そんな馬鹿なことも考えられません。
各中隊はみな「中隊会」という戦友会を持っていますが、そんなウソを平気で書く男ですから、戦友会を除名されております。
また、「東という兵士が倉庫に秘蔵していた手記を我々に資料として提供した」と発表した新聞がありますが、同じ町に住んでいる私の部下が、私に手紙を送ってくれて、「東の家に倉庫なんてあったことはありません」と、はっきり言っております。
又、朝日新聞の記事によりますと、彼は自分の階級を「軍曹」と詐称して福岡で講演したこともあります。
6、北山与
歩兵第20連隊第3機関銃中隊。
「12月13日西山(前記の溝山のこと)麓で捕虜を火刑に処す」
「12月14日戦銃隊は紫金山の掃討、約800名、武装解除後、皆殺し」と証言。
これは私が第3大隊長代行として指揮した部隊の兵士です。
こんな命令を出したこともありませんし、これほど重要な事を、直接の指揮官である私が知らないはずがありません。
そんな大ウソを、朝日新聞は喜んで書いているのです。
彼はまた、自分は日記を書いたけれども、それは中隊長に検閲されるから差し支えのないことばかり書いた、と言っておりますが、戦場の中隊長は、兵士の日記を点検するほど暇ではありませんし、またどの兵士が日記を書いているかなんてことは判りません。
7、上羽武一郎
第16師団衛生隊の担架兵。
「戦場で放火、殺人、切り捨て勝手たるべしの命令があったので毎夜民家に放火して、住民をあぶり出して殺害した」と、メモに書いていると、新聞のインタビューに答え、
「中山門攻撃の歩兵第20連隊の多数の死傷者を運搬のため、住民中の青年約100名を徴用、使用した後虐殺」と証言。
「放火、殺人、切り捨て勝手たるべし」などと言う馬鹿なことを言う指揮官がいるわけがありません。
また当時の戦場の住民の中に、100名もの青年がそこいらにいる等という事はあり得ません。
8、最近、私が聞いた話で、京都に共産党をバックにした団体がありますが、それが舟橋照吉という男の日記が出た、これが虐殺の動かぬ証拠であると盛んに言っております。
週刊誌に出たその日記なるものを私は子細に読みました。
輜重輸卒(補給部隊)で京都の連隊に入ったそうですが、まるで自分1人で敵陣に突入し勇戦奮闘したようなことが書いてあります。
輜重輸卒が戦闘に参加したり、まして敵陣に突入するなんてことはあり得ない事です。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38869.html
◆元第16師団連隊長 魂の講演録④
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/15 01:06 投稿番号: [38868 / 41162]
実際に戦争に行った人間が、手記を書いたり日記を書いたりという形で色々虐殺を言っています。
まず第一に、日記や手紙を書いたというのがおかしいと思います。
戦場で兵士が日記を書けるものかどうか。
背嚢(はいのう)は必要最小限の携行品で一杯になっています。
その中へ一体何冊のノートを入れていったのか?
筆記具は鉛筆なのか、インキなのか?
当時はボールペンなどはありません。
終日戦闘を続けて、あるいは土砂降りの雨の中を一日中行軍して、くたくたになって露営して、暗闇の中にはロウソクの灯りさえ無いのです。
また敵と至近距離に対峙(たいじ)して夜を徹することもあります。
戦場では、眠るのが精一杯のことが多いのです。
そんな中で、どうして日記が書けるのでしょうか?
丹念に日記を書くという力があったのでしょうか?
それだけ考えても、戦場で書いた日記だというのは、どうも信用出来ないのです。
彼らの証言をいくつかあげてみましょう。
1、中山重夫
岩仲戦車隊の兵で、昭和12(1937)年12月11日に雨花台(南京城南側、中華門外の台地)で、約4時間にわたって捕虜が虐殺されるのを見たと証言。
静岡県の中学教師、森正孝という人物が作った「侵略」という8ミリ映画を持ち歩いて各地で講演をして回っています。
昭和12(1937)年12月12日は激戦の真っ最中で、そんな中で捕虜を殺している余裕は絶対に無いのです。
まして数時間もそれを見物するなどは考えられません。
特に、中山重夫氏が配属されていた戦車隊は、南京城東側の中山門攻撃に加わっており、11日、12日の状況はすでにお話した通りです。
この部隊にいた兵士が、南京城南側の雨花台で捕虜の虐殺を見るわけがないじゃないですか。
そんな大ウソを平気で言うのです。
2、曽根一夫
豊橋の歩兵第18連隊の軍曹(分隊長)として従軍。
「私記南京虐殺」3部作を発表、その中で蘇州河の戦闘につき、
「11月7日朝霧の中工兵の人柱による橋上を敵弾を冒して走り、敵弾命中し河中に転落」と書いております。
これが全くのウソであります。
曽根一夫は豊橋歩兵第18連隊の軍曹ではなく、名古屋の野砲第3連隊の初年兵であったことを、彼と同じ中隊(野砲3、第12中隊)にいた戦友が証言しており、所属部隊の階級も全くデタラメですし、蘇州河の戦闘になどは参加しておりません。
また第18連隊の中隊長、及部巷氏は、
「11月7日は激しい風雨であり(朝霧などは無し)、蘇州河は水深2メートル余りで人柱等不可能、さらに当時は敵弾の飛来等ある状況では無かった」と、証言しています。
こんなウソを平気で言っております。
3、富沢孝夫
海軍の暗号兵。
「昭和12(1937)年12月11日、松井軍司令官の虐殺を戒(いまし)める暗号を傍受・解読した」と証言。
海軍の暗号兵が陸軍の暗号を傍受・解読する事は、技術的に出来ないのです。
さらにもう1つは、12月11日には、松井軍司令官は蘇州で入院しておられ、南京にはおられません。
にもかかわらず、彼は平気でそういう事を言っております。
4、石川フミ
東北出身の日赤の看護婦で、病院船筑波丸に乗って揚子江を遡行(そこう)、12月27日に南京に上陸、中山陵を見物し、途中で「女、子供の死体が散乱しているのを見た」と証言。
そんな時期に、そこいらに死体がある訳がありません。
現実に、私は何度か中山陵に行きましたが、一体の死体も見たことはありません。
何度も通った私が全然見ていないのに、たった一度行った看護婦が、散乱した死体を見るわけがないじゃありませんか 。
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◆元第16師団連隊長 魂の講演録③
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/15 01:06 投稿番号: [38867 / 41162]
反日赤旗記者の捏造本
「隠された連隊史」という本を、共産党「赤旗」の下里正樹という記者が書いております。
これには私の属しました福知山歩兵第20連隊のことが書かれています。
大体、共産党の機関紙の記者が書いたものですから、内容は読まずとも知れたものですが、私の連隊のことを書いているものですから読んでみますと、よくもまぁこれだけ大ウソを書けたものだと思うくらいのものです。
イ、「歩兵第20連隊では兵士が上官の指揮を批判し、命令に反抗し、将校はひたすら兵に迎合して兵の非行も黙認し、部隊内には下克上の空気蔓延し、将校の権威も指導力も全く零であった」
私は第20連隊の中隊長として、兵士の機嫌を取らねばならない等と、思った事さえ1度もありません。
常に部下の兵士と共に、お互いが信頼しあって戦ってきたのです。
その結果もう半世紀も経った今もなお、当時の戦友会が毎年開かれているのです。
来月の7日にも、私の中隊の戦友会が京都府の綾部で行われますが、例年のごとく、「隊長殿、是非出席して下さい」と招待されております。
将校が兵士の機嫌を取らねばならなかった軍隊で、そんなことが続けられるのでしょうか?
また私が十数年前に大病で下関で入院したことがありますが、当時の部下の多くは京都府に住んでいるのですが誰かれ言うとも無く、
「隊長殿がひどい病気だ」
ということで、知らぬ間に多額の見舞い金を送ってくれました。
私はベッドで感激の涙にむせんだ事でした。
将校と下士官・兵の心が離れていたならば、こんなことはあり得ないと思います。
これは私の場合だけではなく、中隊長と中隊の兵士の気持ちがしっかりと結ばれていなければ、激戦を戦い抜くということは出来ないのです。
ロ、「日露戦争の際、歩兵第28連隊(北海道旭川)の兵2千人が捕虜になり、戦後恥ずかしくて日本には帰らず、ハワイに移住した者もある」
これもまた、ものを知らずに書いたにしてもあまりにひどいじゃないか、というものです。
1個連隊は約3千人ですが、そのうち2千人が捕虜になったなどということはあり得ないことです。
私に言わせれば、下里正樹は「私はウソを書いております」と、自分で白状しているようなものであります。
「天に向かってツバをする」とはこの事でしょう。
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◆元第16師団連隊長 魂の講演録②
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/15 01:05 投稿番号: [38866 / 41162]
(2)次に、戦後に参戦者の手記、日記、インタビュー等から、盛んに「虐殺」を言っている記事で、その取材の仕方が全く偏向したものである例を挙げます。
まず、第一に、取材する相手に、虐殺を証言する人間しか選ばないという点があります。
虐殺を否定すると思われる人には取材をしません。
そればかりか取材をすると何とかデッチあげてでも虐殺に仕立てるという事を致します。
場合によっては、証言を意図的に歪曲し、時には正反対の解釈をして、証言者がそんなことは言ってない、と憤慨(ふんがい)している例もあります。
また、証言者が、
「中隊の軍紀は非常に厳正でありました。」
などと証言しても、そんなことは一切取り上げようとしません。
自分の取材意図に合ってさえいれば、証言内容が明瞭(めいりょう)なウソであると判っていても、そのまま記事にしております。
宮崎県の農家で写真と参戦者の日記を発見したとして南京虐殺の決定的証拠とした、朝日新聞の昭和58(1983)年8月4日の記事に対し、その写真は満州の馬賊の写真で、昭和初期に朝鮮買ったものであると、読者が抗議しています。
また森村誠一の「続・悪魔の飽食」に、日露戦争当時の伝染病による死体写真を今次大戦の関東軍の虐殺の証拠写真としていつわって掲載しているのを、読者よりの指摘抗議によって暴かれたのは有名な話です。
そのような記事について、
「そんなことはあり得ないことである」
と反論されても、無視し、認めないか、言を左右にしてうやむやにするのが、彼らの常套手段(じょうとうしゅだん)なのです。
都城連隊関係者が、朝日新聞に対して名誉毀損の抗議訴訟を起こして朝日が敗訴した件、京都新聞の無責任な記事に対する歩兵20連隊第3中隊の抗議に対する態度、また「平和のための京都の戦争展」の朝日新聞の記事に対し私が抗議しましたが全く無回答、これが新聞の態度です。
全く礼儀知らずと言うほかありません。
さらに、偏向的時後取材により「南京大虐殺」を盛んに主張する例を挙げます。
朝日新聞の本多勝一という記者が「中国の旅」という本を書いています。
これは彼が戦後・満州・中国に行って、日本人がそんなに悪い事をしたかを中国人に取材して、全く無批判に鵜呑みにして書いたものですが、その内の南京関係の例をあげてみましょう。
イ、姜根福の証言。
日本軍は南京城北の燕子磯で10万人くらい機関銃で射殺した。
紫金山で2千人を生き埋めにした。
あるいは軍用犬に中国人を襲わせ、その人肉を食わせた。城内で20万人を虐殺、死体を積み上げて石油をかけて焼いた。
ロ、伍長徳の証言。
南京戦直後、日本兵に銃剣で肩を刺されたが逃げ、揚子江に飛び込んで、日が暮れるまで水中に隠れていた。日本軍は逮捕した青年を高圧線にぶら下げてあぶり殺し、工業用硝酸をかけて殺した。
ハ、李秀英(女性)の証言。
日本兵に強姦されそうになり抵抗、その銃剣を奪って格闘して追い払った。しかし37ヶ所も刺されて気絶していたのを、親族の者達に助けられた。
2千人を生き埋めにするための労力と時間と穴の大きさは、どれ程のものであったのでしょうか?
軍用犬に人を襲わせて、その肉を食わせるなどという馬鹿なことがあり得るのでしょうか?
石油や工業用硝酸を、戦場でいつ、どこで入手したのでしょうか?
揚子江は確かに冬でも凍りはしませんが、12月の揚子江に飛び込んで、首だけ出していて一体日が暮れるまで我慢できるのでしょうか?
高圧線に、どうやって人間を吊り下げるのでしょうか?
当時の日本兵は現役バリバリで士気も高く、女性と格闘して銃剣を奪われ、尻尾を巻いて逃げ出すような情けない兵士がいる訳がありません。
37ヶ所も刺されて失神した者が、また蘇生するなどという事があり得るでしょうか?
どれ1つ取ってもすぐウソだと判る事ばかりです。
それを本多勝一記者は、「なるほど、ごもっともです」とそのまま本にしているのです。
本多記者については、
「朝日の中には、本多君に対して良くない感情を持っている人が沢山いる」という事を朝日新聞の同僚の記者が言っていますし、又石原慎太郎氏は平成3(1991)年の「文藝春秋」に、
「朝日には本多という奇妙な性格の記者がいて、盛んに南京虐殺のことを書く」と言っております。
本多勝一記者は、
「日本の子弟に国際性を持たせるため、南京大虐殺の教育を徹底させる必要がある」と言っています。
私は売国奴、何を血迷ったか、妄語断じて許すべからずと、憤(いきどお)りに駆られます。
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◆元第16師団連隊長 魂の講演録①
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/15 01:05 投稿番号: [38865 / 41162]
元第16師団(京都)歩兵第20連隊(福知山)大隊長、森王琢氏
―
謹(つつし)んで英霊に捧(ささ)ぐ―
『「南京大虐殺」はなかった』より
「虐殺はあった」と主張する人を一応「虐殺論者」と呼ぶ事に致しますが、この中には新聞記者、学者、評論家という人達、それともう一つは戦争に行った兵隊、下士官、将校がおります。
そういう人達の虐殺論がいかにウソでありデタラメであるかをこれからご説明します。
(1)まず、当時の従軍記者の例をあげます。
当時南京には、新聞各社の記者が100名以上もおりました。
イ、朝日新聞の今井正剛記者という記者が「南京城内の大量殺人」という本を書いております。大阪毎日(当時)の後藤記者が、
「あなたはとんでもない事を書いていますね」とただしたところ、今井記者は、
「あれは興味本位で書いたのだ」と白状しています。
朝日の同僚の記者は、
「今井君は危険な前線に出て、目で見てものを書く人ではなく、後方で人の話を聞いて記事を書くのが上手であった」と批判をしております。
ロ、東京日々新聞の鈴木二郎という記者は、
「私は12月12日に中山門より入城した。後続部隊が次々に中山門上で万歳をし、写真を撮っていた。中山門の上では盛んに捕虜が虐殺されていた」と証言しております。
作家の阿羅健一氏が、
「あなは12月12日に中山門に入られたのですか。それは13日の間違いではありませんか」と問い正したのにも関わらず、
「いや、私は12日に入って、現実に捕虜が殺されるのを見たんだ」と譲らないのです。
12月12日には、私は先ほどお話したように、中山門正面約2キロ手前の溝山の山頂にいました。
双眼鏡で中山門の城壁がやっと見えたのですが、敵兵がいっぱいおりました。
一体いつになったらあれを占領できるのかと、その時思ったことを私ははっきり覚えています。
そんな時期に、一新聞記者がどうして中山門に入れるのでしょうか。
中山門の高さは約10メートル、厚さ20センチの扉はぴったり閉まっており、しかも門の内側には土嚢(どのう)がいっぱい積み上げられてありました。
13日の未明、我が歩兵20連隊が砲撃によって崩れた城壁をよじ登って占領し、私は15日に中山門に入ったのですが、ここで捕虜が虐殺されたような形跡は全くありませんでした。
要するに、鈴木二郎という記者の証言は、全くのウソであります。
ハ、東京日々新聞の浅海一男という記者が、「百人斬り」という記事を書いています。
京都の9連隊の野田・向井の2人の少尉に、上官が、どちらが早く百人を斬ることが出来るか競争せよ、勝者に賞を与えようと命じられ、2人が百人斬りを競ったというものでありますが、これが全くのウソであります。
第一に、軍隊で戦争の真っ最中に、上官が将校にかかる競争を命じ、勝った方に賞をやろうなどと言うこと、また将校もそんなエサで釣られるようなことは、軍隊の常識としてあり得ません。
その時の上官であると言われている富山大隊長も、
「そんな馬鹿なことがあるものか」
と、ハッキリ否定しておられます。
さらに野田少尉は大隊副官、向井少尉は大隊砲小隊長であり、両方とも部下が銃剣を持って敵陣に突入する部隊の指揮官ではありません。
そういう将校に、敵に突入して百人斬りを命ずる馬鹿がいるでしょうか?
そういう作り話がまことしやかに書かれ、そのために両少尉は戦犯にされ、処刑されたのです。
東京裁判の最中に、向井少尉の家族が、浅海記者にあの記事はウソである、作り話であるということを証言して欲しいと懇願していますが、浅海記者は逃げ回ってその証言を回避しております。
私は、彼が2人の若い将校を殺したのも同然だと考えております。
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