プロパガンダと判明して謎が解けた
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/06/04 00:20 投稿番号: [9838 / 41162]
こうして極秘文書を座右に置いて、始めた検証作業であった。するとどうであろう。白と黒が同じに混在するという矛盾が(戦争プロパガンダの視点を加えることによって)消えていったのである。
たとえば、国際委員会委員としてのベイツ教授は、匿名では、日本軍が捕虜3万人と市民1万2千人を殺害したと批判していた。ところが、公の場では、そう批判したことは一度もなかった。また、中央宣伝部は「南京陥落1周年」と題して1938年12月14日の『中央日報』(中央宣伝部に隷属する国民党の機関紙)に「20万人」の虐殺を発表させていた。ところが、その中央宣伝部は、みずからの極秘文書においてはまったく南京大虐殺に触れていなかった。彼らがほぼ毎日のように開いていた記者会見でも、南京大虐殺発生というニュースを発表したことはなかった。
このように、同一人物があるときは白と言い、あるときは黒と言っていたのだが、これまでの史料群に一線を引くことによって、それを分水嶺として白と黒が画然と分かれ始め、結局、一方が事実からかけ離れた戦争プロパガンダであることが判明したのである。
また、戦争プロパガンダの視点を加えることによって、次のことも生じてきた。これまでばらばらに点在していた個々の疑問点が、徐々に相互に関連性を持ち始め、一本の線で繋がり始めたのである。
たとえば、①南京陥落後、市民殺害の目撃は1件もなく、処刑されたのは戦争捕虜にはなれない不法戦闘員であったにもかかわらず、アメリカの2人の新聞記者、ダーディンとスティールは、陥落後の3日間に市民と捕虜が殺されたという記事を書いていた。なぜなのか。それが最初の疑問であった。
そして②ベイツ教授はみずから書いた「レポート」をこの2人を含めた特派員に渡していたことが判明した。ここで、なぜベイツ教授はそうしたのかという次の疑問が出てきた。
更に③ベイツ教授の「レポート」を検証してみると、これも事実からかけ離れていることが分かった。一般にレポートとは事実の報告なのだが、なぜ事実からかけ離れたレポートが用意されたのか。これもまた大きな謎であった。
ほかにもあるが、ともかくこのような3つの疑問がばらばらに点在していたのである。そこへ、極秘文書から光をあててみた。
すると、中央宣伝部は極秘文書に④「各国新聞記者を使ってわが抗戦宣伝とする」とか「われわれが発表した宣伝文書を外国人記者が発信すれば、最も直接的な効果がある」と記していた。
また⑤お茶会や記者会見を頻繁に開いていた。
⑥「記者団を招待する」とか、「記者の取材に協力する」という記録のなかに、ダーディン記者やスティール記者の名前が見えた。
⑦中央宣伝部は陥落後の宣伝工作として「首都陥落後の敵の暴行を暴く」ことに重点を置いていた。
極秘文書とは別の資料から判明したこととして、
⑧ダーディン記者は中央宣伝部の副部長董顕光と旧知の親密な間柄であった。
⑨ベイツ教授は中華民国政府の「顧問」であった。
⑩ベイツ教授が特派員に渡した「レポート」は『戦争とは何か』の第一章を構成していた。
そして極秘文書から⑪『戦争とは何か』は中央宣伝部の製作した宣伝本であることが判明した。
どうであろうか。中央宣伝部の戦争プロパガンダという視点から改めて見直してみると、最初の①②③の疑問は中央宣伝部の宣伝工作という一本の線で繋がってくる。それ以外に疑問や矛盾の解き方は見出せないのではないか。本書の第一章から第七章にわたって、以上の矛盾と疑問の解き方については縷縷と詳説してきた。
P217〜218
『南京事件――国民党極秘文書から読み解く』東中野修道著
たとえば、国際委員会委員としてのベイツ教授は、匿名では、日本軍が捕虜3万人と市民1万2千人を殺害したと批判していた。ところが、公の場では、そう批判したことは一度もなかった。また、中央宣伝部は「南京陥落1周年」と題して1938年12月14日の『中央日報』(中央宣伝部に隷属する国民党の機関紙)に「20万人」の虐殺を発表させていた。ところが、その中央宣伝部は、みずからの極秘文書においてはまったく南京大虐殺に触れていなかった。彼らがほぼ毎日のように開いていた記者会見でも、南京大虐殺発生というニュースを発表したことはなかった。
このように、同一人物があるときは白と言い、あるときは黒と言っていたのだが、これまでの史料群に一線を引くことによって、それを分水嶺として白と黒が画然と分かれ始め、結局、一方が事実からかけ離れた戦争プロパガンダであることが判明したのである。
また、戦争プロパガンダの視点を加えることによって、次のことも生じてきた。これまでばらばらに点在していた個々の疑問点が、徐々に相互に関連性を持ち始め、一本の線で繋がり始めたのである。
たとえば、①南京陥落後、市民殺害の目撃は1件もなく、処刑されたのは戦争捕虜にはなれない不法戦闘員であったにもかかわらず、アメリカの2人の新聞記者、ダーディンとスティールは、陥落後の3日間に市民と捕虜が殺されたという記事を書いていた。なぜなのか。それが最初の疑問であった。
そして②ベイツ教授はみずから書いた「レポート」をこの2人を含めた特派員に渡していたことが判明した。ここで、なぜベイツ教授はそうしたのかという次の疑問が出てきた。
更に③ベイツ教授の「レポート」を検証してみると、これも事実からかけ離れていることが分かった。一般にレポートとは事実の報告なのだが、なぜ事実からかけ離れたレポートが用意されたのか。これもまた大きな謎であった。
ほかにもあるが、ともかくこのような3つの疑問がばらばらに点在していたのである。そこへ、極秘文書から光をあててみた。
すると、中央宣伝部は極秘文書に④「各国新聞記者を使ってわが抗戦宣伝とする」とか「われわれが発表した宣伝文書を外国人記者が発信すれば、最も直接的な効果がある」と記していた。
また⑤お茶会や記者会見を頻繁に開いていた。
⑥「記者団を招待する」とか、「記者の取材に協力する」という記録のなかに、ダーディン記者やスティール記者の名前が見えた。
⑦中央宣伝部は陥落後の宣伝工作として「首都陥落後の敵の暴行を暴く」ことに重点を置いていた。
極秘文書とは別の資料から判明したこととして、
⑧ダーディン記者は中央宣伝部の副部長董顕光と旧知の親密な間柄であった。
⑨ベイツ教授は中華民国政府の「顧問」であった。
⑩ベイツ教授が特派員に渡した「レポート」は『戦争とは何か』の第一章を構成していた。
そして極秘文書から⑪『戦争とは何か』は中央宣伝部の製作した宣伝本であることが判明した。
どうであろうか。中央宣伝部の戦争プロパガンダという視点から改めて見直してみると、最初の①②③の疑問は中央宣伝部の宣伝工作という一本の線で繋がってくる。それ以外に疑問や矛盾の解き方は見出せないのではないか。本書の第一章から第七章にわたって、以上の矛盾と疑問の解き方については縷縷と詳説してきた。
P217〜218
『南京事件――国民党極秘文書から読み解く』東中野修道著
これは メッセージ 9808 (deliciousicecoffee さん)への返信です.