Re: >ソ連の シベリア強制労働とか
投稿者: ooo_ooo_ooo 投稿日時: 2006/05/14 09:16 投稿番号: [9665 / 41162]
>>満州での邦人被害はさまざまな記録が有りますが
朝鮮に付いては
>>まとまった物が以外と少ない。
>>日本国内での戦後の朝鮮人の騒乱を考えると半島でも
相当に
>>ひどい被害が有ったと思われるのですが。
>>自分でも何か探します。
>もし何か見つかったら教えて下さい。
私は1年ほどですが終戦時北朝鮮にいました。それほど大きな朝鮮人による日本人へのトラブルは聞いていません。初めは北朝鮮の政権の力が弱く、家、企業、商店、官庁の接収、銀行の閉鎖、貴金属の供出、労働奉仕への協力はありました。我々も、5回ほど接収で家を移りました。9月にソ連と金日成が入ってきて多少状況が変わりましたが、日本官僚のトップは怖かったと思いますね。警察署長とか、軍関係とか、シベリアへ連行されたりありましたが、洋服を欲しいと兵隊が頼みにきたことがありました。結局はみな無事帰国しています。日本人は世話会を作って結束して対応していたので、個人としては守られていたと思います。生活は、勤労奉仕とたけのこ生活でした。持物を売って細々と生きる。終戦で真っ先に壊されたのは神社で、変わり様に辛い思いをしました。政権がひっくり返るということの怖さはありました。円の価値が1夜でなくなるとか、婦女暴行を恐れるとか、結果はトラブルは聞いていません。
親日家も多かったし、米を買うときに量を騙されて、知人の共産党幹部に訴えたら、まあ我慢してやってくれなどいわれて。庁舎や工場や学校や家や商店街、鉄道、インフラ、ダムなどいくつも意外と大きいものを朝鮮人は手に入れたので満足していたのではないですか。唯で手に入ったようなものでしたから、日本が作ったもの以外は、以前は何もなかったのですから。最近ですね朝鮮人が日本に対して欲が出てきたのは。当時の朝鮮人は大変満足していたのです。と思います。家の接収など、紙一枚を張られて、何日までに明けてくれと、これなど早い者勝ちと思いますが誰が決めていたのでしょうかね。特に大きな邸宅などは、ソ連軍優先でした。金日成が偽者で、ソ連製だったと聞けば納得できます。
シベリアからの送還兵の話も先方にいた間に聞いたことがありません。我々の町に自由の形で帰ってきたら世話会を通じてすぐに分かる筈ですが。どこかに収容されていたのでしょうね。日本人は、1年半以内に身1つで殆ど帰ったと思います。今でも、町や学校単位の帰国者の会があって、情報は記録されてます。
これは メッセージ 9663 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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