南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 宇和田日記は、朝日新聞の捏造日記7

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/04/30 02:30 投稿番号: [9603 / 41162]
  次に、翌11月5日の記述に、
  《金山衛城を占領との情報到る》
  とあるが、「金山衛城」なる地名が出てくるのはおかしい。
  この地名を知るには地図が必要だが、地図は中隊に1枚しかなく、わが中隊では私だけが所持していた。
  こうした不可解な記述は枚挙にいとまがない。
  特に問題の12月15日以降、虐殺の記述に至っては疑問だらけである。
  15日、2千名の中国人が逃げ場を失って現れたというが、その時の部隊配置と湖沼の多い特殊な地形を考え合わせると、水西門西方2.5キロの警備を突破しない限り、水西門付近に敵兵が現れることなどあり得ない。
  さらに決定的なことを言えば、宇和田氏の所属していた第1中隊は大隊主力とともに、12月22日には南京城内に移駐している。
  それなのに、当初の朝日記事によれば、21日以降、"虐殺"の日々が続き、28日には「人格の陶治とか何とか戦場こそこれがこの良き舞台だと喜んだ我だったが、いまの状況では全く何事かと思われる」などと書いているという。
  移駐してしまった部隊の兵士が、そこになお留まっているかのように記述しているのは全くおかしい。
  日記の筆者は誰なのだろう。
  一兵卒でも日記を書く者が皆無であったとは言えない。
  しかし、兵馬倥偬(へいまこうそう)の戦場の中にあって、一兵卒が1日も欠かさず日記をつけることなど、とうてい考えられない。
  宇和田氏と同じ中隊にいて南京作戦に参加した生存者も、彼が日記を持っていたり、つけたりしている姿を見たことも聞いたこともないと証言している。
  私は朝日の持っている宇和田日記は、当時その一部を空白のまま、メモとして書き残し、戦後、大幅に加筆されたものではないかと考える。
  しかもその内容から見て、かなりの軍事知識と情報を持つ者の指導を受けたのではないだろうか。
  最悪のケースを想定すれば、戦後、宇和田氏が昭和12年版の当用日記を持っているのを知った何者かが、これを借りるなり、譲り受けるなりして、空白の部分に勝手に書き込んだことだってあり得ないではない。
  とりわけ南京陥落以降の記述については、そういう疑問を私は抱いている。
  我々はすでに、宇和田氏本人の筆跡を手に入れていた。
  復員後、ある知人に宛てた達筆の手紙を入手していたのである。
  これと問題の日記の筆跡を照らし合わせれば、すべてが明らかになるだろう。
  仮に2つの筆跡が一致すれば、宇和田氏本人の日記となるが、その場合、記述の内容から見て、何者かが戦後に指導して書かせた公算が大きくなる。
  筆跡が一部でも違っていたら、特に南京以降の筆跡に違いがあれば、事は重大である。
  写真のデッチあげどころの騒ぎではない。
  何としても、日記を出さざるを得ない状況に朝日を追い込む必要がある。


朝日は筆跡鑑定を恐れた?

  昭和61年2月5日から10日にかけて、朝日側からしきりに和解嘆願の電話が入ったが、連隊会はこれを拒否、12日に西部本社へ和解拒否の文書を送りつけた。
  5月6日、闘いの舞台は宮崎から東京に移される。
  朝日の東京本社を相手取って訴訟を起こすため、東京の弁護士に依頼することも含めて、事件は東京在住の私に引き継がれたのである。
  6月12日には、弁護士を通じて朝日に最後通牒を出した。
  連隊に対する謝罪文を出せ、要求が受け入れられない場合は本裁判にかける、という通告書である。
  朝日側は、専務が海外出張中といった理由で引き延ばし戦術に出てきた。
  「6月いっぱいまで回答は待って欲しい」が「7月の10日頃まで」となり、7月9日にようやく双方の弁護士が顔を合わせることになる。
  この席で朝日側は、裁判にかけるならいつでも受けて立つ、と開き直ったのである。
  私の顔は日記のことでいっぱいだった。
  万が一にも日記が焼却されたりしたら、とりかえしがつかなくなる。
  本裁判よりも日記の保全が第1だと考えた私は、弁護士を通じて8月22日、小倉簡易裁判所に対して日記保全の申し立てを行った。
  舞台が小倉になったのは、西部本社が日記を所持していると言明していたからだ。
  判決が下されたのは、それから4ヶ月たった12月17日のことである。
  裁判所側はほぼ連隊会側の主張を認め、朝日は翌18日に西部本社で日記を見せろとの判決を下した。
  ただし、全文を見せる必要はない、一番問題なのは昭和12年の12月15日から28日までの記述だから、その間の日記だけをすべて写真に撮らせるよう言い渡しただけである。


(続く)
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