731部隊裁判記録
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2006/04/17 05:15 投稿番号: [9520 / 41162]
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被告の細菌戦部隊の創設
(1) 満州国が建国された昭和7年(1932年),東京の陸軍軍医学校に防疫研究室が作られ,翌昭和8年(1933年),中国東北の黒龍江省五常県背陰河に防疫班(田中新一部隊)が設置された。田中新一部隊は,一時東京に戻った後,中国東北の込櫛篋市南崗に移転した。昭和11年(1936年)8月,田中新一部隊は「関東軍防疫部」として天皇の軍令に基づく正規の部隊となった。
この部隊は,表看板としては防疫や給水を掲げていたが,実態は細菌兵器の開発と実用化を目指す秘密機関だった。戦線が拡大するにつれ,兵員の消耗や物資の不足が深刻となり,とりわけ兵器の近代化の遅れが顕著になった結果,細菌兵器が安価で,かつ,敵国に無差別な大量被害を与えることができる兵器として重視されたのである。
(2) 昭和11年(1936年)秋,ハルビン市南東24㎞の平房の6平方キロメートルの地域に施設の建設が開始され,周囲の農家を強制立退きさせるなどして,細菌戦の中枢となる部隊の本部官舎,細菌製造工場,各種実験室,監獄,専用飛行場,隊員家族宿舎などが建設された(甲30・68ページ以下,54,110,184)。施設の中心は,約100m四方,3階建ての「ロ号棟」である。昭和15年(1940年)には関東軍防疫部は「関東軍防疫給水部」と改称され,翌昭和16年(1941年)に「731部隊」の部隊番号を持つようになった。
部隊の中枢は4つの部から構成されていた(甲109)。その第1部の細菌研究部と第4部の細菌製造部はこの「ロ号棟」に置かれ,ペスト,コレラ,チフス,炭疽菌などが研究・製造された。別棟に置かれた第2部は,実戦研究を担当し,植物絶滅の研究班や昆虫(ノミなど)の研究班,さらに航空班などがあった。ハルビン市南崗の陸軍病院に置かれた第3部は,部隊の正式名称に関わる「防疫給水」のための濾水器の製造のほか,ペスト菌などを入れる細菌戦用の陶器製爆弾の容器を製造した(甲38・21ページ)。
第4部では,ロ号棟の3棟,5棟で,細菌の大量生産が石井式培養缶(甲87)を用いて行われた(篠塚証人調書22ページ)。ロ号棟の中庭には,最大400名を収容できる特殊監獄が建設され,ここに,日本の支配に抵抗し,あるいは抵抗したとみなされて捕えられた中国人,ロシア人,朝鮮人,モンゴル人などが収容された。これらの人々は「マルタ」(丸太)と呼ばれ,1本,2本と数えられた。彼らは,ロ号棟内の解剖室や野外実験場で人体実験に使われ,次々に殺されていった(甲25・92ページ)。
人体実験では,細菌を注射・塗布して観察する生体実験を始めとして,動物の血液との交換,人為的な凍傷,減圧実験などあらゆることが行われた。また,安達に設けられた野外実験場では,被験者を杭に縛り,飛行機からペスト菌弾や炭疽菌弾,毒ガス弾を投下・炸裂させ,効果を測定する実験などが行われた(甲131から137,142・91ページ)。細菌兵器のうち最も殺傷力が高いと評価された「ペスト感染ノミ」を撒布する方法は,このような研究・実験から生み出された
(1) 満州国が建国された昭和7年(1932年),東京の陸軍軍医学校に防疫研究室が作られ,翌昭和8年(1933年),中国東北の黒龍江省五常県背陰河に防疫班(田中新一部隊)が設置された。田中新一部隊は,一時東京に戻った後,中国東北の込櫛篋市南崗に移転した。昭和11年(1936年)8月,田中新一部隊は「関東軍防疫部」として天皇の軍令に基づく正規の部隊となった。
この部隊は,表看板としては防疫や給水を掲げていたが,実態は細菌兵器の開発と実用化を目指す秘密機関だった。戦線が拡大するにつれ,兵員の消耗や物資の不足が深刻となり,とりわけ兵器の近代化の遅れが顕著になった結果,細菌兵器が安価で,かつ,敵国に無差別な大量被害を与えることができる兵器として重視されたのである。
(2) 昭和11年(1936年)秋,ハルビン市南東24㎞の平房の6平方キロメートルの地域に施設の建設が開始され,周囲の農家を強制立退きさせるなどして,細菌戦の中枢となる部隊の本部官舎,細菌製造工場,各種実験室,監獄,専用飛行場,隊員家族宿舎などが建設された(甲30・68ページ以下,54,110,184)。施設の中心は,約100m四方,3階建ての「ロ号棟」である。昭和15年(1940年)には関東軍防疫部は「関東軍防疫給水部」と改称され,翌昭和16年(1941年)に「731部隊」の部隊番号を持つようになった。
部隊の中枢は4つの部から構成されていた(甲109)。その第1部の細菌研究部と第4部の細菌製造部はこの「ロ号棟」に置かれ,ペスト,コレラ,チフス,炭疽菌などが研究・製造された。別棟に置かれた第2部は,実戦研究を担当し,植物絶滅の研究班や昆虫(ノミなど)の研究班,さらに航空班などがあった。ハルビン市南崗の陸軍病院に置かれた第3部は,部隊の正式名称に関わる「防疫給水」のための濾水器の製造のほか,ペスト菌などを入れる細菌戦用の陶器製爆弾の容器を製造した(甲38・21ページ)。
第4部では,ロ号棟の3棟,5棟で,細菌の大量生産が石井式培養缶(甲87)を用いて行われた(篠塚証人調書22ページ)。ロ号棟の中庭には,最大400名を収容できる特殊監獄が建設され,ここに,日本の支配に抵抗し,あるいは抵抗したとみなされて捕えられた中国人,ロシア人,朝鮮人,モンゴル人などが収容された。これらの人々は「マルタ」(丸太)と呼ばれ,1本,2本と数えられた。彼らは,ロ号棟内の解剖室や野外実験場で人体実験に使われ,次々に殺されていった(甲25・92ページ)。
人体実験では,細菌を注射・塗布して観察する生体実験を始めとして,動物の血液との交換,人為的な凍傷,減圧実験などあらゆることが行われた。また,安達に設けられた野外実験場では,被験者を杭に縛り,飛行機からペスト菌弾や炭疽菌弾,毒ガス弾を投下・炸裂させ,効果を測定する実験などが行われた(甲131から137,142・91ページ)。細菌兵器のうち最も殺傷力が高いと評価された「ペスト感染ノミ」を撒布する方法は,このような研究・実験から生み出された
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