731部隊のプロフィール
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2006/04/16 21:42 投稿番号: [9505 / 41162]
(google プログより)
第一次世界大戦は「兵器の近代化」を競う戦争でもあった。戦車、飛行機、毒ガスなどヨーロッパ戦線で使用された近代兵器を目のあたりにした日本軍は、兵力のレベルの差に強いショックをうけ、「安価で効果の高い兵器」の開発を急いだ。
1925年、「生物化学兵器禁止ジュネ−ブ議定書」が調印されるが、のちに731部隊の部隊長となる石井四郎はこの条約によって細菌兵器の開発に着眼する。細菌兵器の使用を禁ずる国際条約が皮肉にも日本の細菌兵器の開発を促したわけである。
石井四郎は、陸軍に細菌兵器の開発・研究を提言し、2年間の欧米視察を経て、1932年陸軍軍医学校に防疫研究室を設立する。
表向きの看板は「防疫」であるが、実際は細菌兵器の開発・研究のための機関であった。石井四郎は、東大、京大などの医学部の研究者を募り、細菌兵器開発のための一大ネットワークを作り出した。
これを全面的に支えたのがのちにミドリ十字を創設する内藤良一である。
1932年には、中国東北部のハルビン市郊外の背陰河に731部隊の前身「東郷部隊」を設置し、日本国内では行なうことのできない生体実験を実行した。
しかし、捕虜の脱走により施設の閉鎖をやむな<された。
1938年、ハルビン市郊外の平房区を特別軍事区とし、6キロ平方メートルにわたる広大な施設を建設した。
特別軍事区の上空は、日本軍機の飛行さえ禁じられたきわめて機密性の高いものであった。
731部隊の設置にあたっては、大日本陸軍命令(大陸命)が出された。
細菌戦部隊の設立は、日本軍の組織的な犯罪として行なわれたわけである。
敗戦が確実となった1945年8月13日、証拠いん滅のため731部隊本部は爆破され、残されていた捕虜は全員が毒殺などによって虐殺された。戦後米軍は、731部隊が人体実験の結果得たデータと引き替えに、731部隊の戦争犯罪を問わなかった。
そればかりか、幹部たちは高額の退職金までもらい、官公庁、大学、製薬会社、自衛隊などに再就職をした。
非加熱製剤によるHlV感染、開発中の試薬による被害などの事件は、731部隊の犯罪が問われず、戦後も脈々と生き続けている証である。
細菌戦部隊を支えた主な人物
戦後の就職先
安東洪次(大連衛生研究所→武田薬品顧問)/石川太
刀雄丸(731郡隊→金沢大医学部)/江島真平(731部
隊→国立予防研究所〔予研〕)緒方富雄(防疫研究所
〔防研〕→東大医学部)/岡本耕造(731部隊→兵庫医
大・東北大等)/小川透(1644部隊→名古屋大医学
部)/笠原四郎(731部隊→北里研究所)/春日仲善
(731部隊→北里研究所)/北野政次(731部隊→ミド
リ十字取蹄役)/木村廉(防研→京大細菌学教室)/
草味正夫(731部隊→昭和薬科大)/小島三郎(1644
部隊→予研第2代所長)/児玉鴻(731部隊→予研初
代所長)/正路倫之助(防研→京大)/園口忠男
(731部隊→陸上自衛隊衛生病学校、熊本大)/田中英
雄(731部隊→大阪市立大医学部長)/田部井和(731
部隊→京大医学部)/所安夫(731部隊→東大病理学、
帝京大医学部)/内藤良一(防研→ミドリ十字会長)
/中黒秀外之(731部隊→陸上自衛隊衛生学校校
長)/細谷省吾(防研→東大伝染病研究所長)/増田
美保(731部隊→防衛大学)/湊正男(731部隊→京
大)/村田良介(防研→予研第7代所長)/八木沢行
正(731部隊→抗生物質協会)/山口一季(731部隊→
国立衛生試験所)/吉村寿人(731部隊→京大航空医
学教室、京都府立医大)/柳沢謙(防研→予研第5代
所長)
第一次世界大戦は「兵器の近代化」を競う戦争でもあった。戦車、飛行機、毒ガスなどヨーロッパ戦線で使用された近代兵器を目のあたりにした日本軍は、兵力のレベルの差に強いショックをうけ、「安価で効果の高い兵器」の開発を急いだ。
1925年、「生物化学兵器禁止ジュネ−ブ議定書」が調印されるが、のちに731部隊の部隊長となる石井四郎はこの条約によって細菌兵器の開発に着眼する。細菌兵器の使用を禁ずる国際条約が皮肉にも日本の細菌兵器の開発を促したわけである。
石井四郎は、陸軍に細菌兵器の開発・研究を提言し、2年間の欧米視察を経て、1932年陸軍軍医学校に防疫研究室を設立する。
表向きの看板は「防疫」であるが、実際は細菌兵器の開発・研究のための機関であった。石井四郎は、東大、京大などの医学部の研究者を募り、細菌兵器開発のための一大ネットワークを作り出した。
これを全面的に支えたのがのちにミドリ十字を創設する内藤良一である。
1932年には、中国東北部のハルビン市郊外の背陰河に731部隊の前身「東郷部隊」を設置し、日本国内では行なうことのできない生体実験を実行した。
しかし、捕虜の脱走により施設の閉鎖をやむな<された。
1938年、ハルビン市郊外の平房区を特別軍事区とし、6キロ平方メートルにわたる広大な施設を建設した。
特別軍事区の上空は、日本軍機の飛行さえ禁じられたきわめて機密性の高いものであった。
731部隊の設置にあたっては、大日本陸軍命令(大陸命)が出された。
細菌戦部隊の設立は、日本軍の組織的な犯罪として行なわれたわけである。
敗戦が確実となった1945年8月13日、証拠いん滅のため731部隊本部は爆破され、残されていた捕虜は全員が毒殺などによって虐殺された。戦後米軍は、731部隊が人体実験の結果得たデータと引き替えに、731部隊の戦争犯罪を問わなかった。
そればかりか、幹部たちは高額の退職金までもらい、官公庁、大学、製薬会社、自衛隊などに再就職をした。
非加熱製剤によるHlV感染、開発中の試薬による被害などの事件は、731部隊の犯罪が問われず、戦後も脈々と生き続けている証である。
細菌戦部隊を支えた主な人物
戦後の就職先
安東洪次(大連衛生研究所→武田薬品顧問)/石川太
刀雄丸(731郡隊→金沢大医学部)/江島真平(731部
隊→国立予防研究所〔予研〕)緒方富雄(防疫研究所
〔防研〕→東大医学部)/岡本耕造(731部隊→兵庫医
大・東北大等)/小川透(1644部隊→名古屋大医学
部)/笠原四郎(731部隊→北里研究所)/春日仲善
(731部隊→北里研究所)/北野政次(731部隊→ミド
リ十字取蹄役)/木村廉(防研→京大細菌学教室)/
草味正夫(731部隊→昭和薬科大)/小島三郎(1644
部隊→予研第2代所長)/児玉鴻(731部隊→予研初
代所長)/正路倫之助(防研→京大)/園口忠男
(731部隊→陸上自衛隊衛生病学校、熊本大)/田中英
雄(731部隊→大阪市立大医学部長)/田部井和(731
部隊→京大医学部)/所安夫(731部隊→東大病理学、
帝京大医学部)/内藤良一(防研→ミドリ十字会長)
/中黒秀外之(731部隊→陸上自衛隊衛生学校校
長)/細谷省吾(防研→東大伝染病研究所長)/増田
美保(731部隊→防衛大学)/湊正男(731部隊→京
大)/村田良介(防研→予研第7代所長)/八木沢行
正(731部隊→抗生物質協会)/山口一季(731部隊→
国立衛生試験所)/吉村寿人(731部隊→京大航空医
学教室、京都府立医大)/柳沢謙(防研→予研第5代
所長)
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.