Re: そんなにやっきにならなくても
投稿者: kim_hyon_hie 投稿日時: 2006/04/08 17:44 投稿番号: [9386 / 41162]
嘘つきは泥棒のはじまりです!
これを読んでください!
『第一次世界大戦は「兵器の近代化」を競う戦争でもあった。戦車、飛行機、毒ガスなどヨーロッパ戦線で使用された近代兵器を目のあたりにした日本軍は、兵力のレベルの差に強いショックをうけ、「安価で効果の高い兵器」の開発を急いだ。
1925年、「生物化学兵器禁止ジュネ−ブ議定書」が調印されるが、のちに731部隊の部隊長となる石井四郎はこの条約によって細菌兵器の開発に着眼する。細菌兵器の使用を禁ずる国際条約が皮肉にも日本の細菌兵器の開発を促したわけである。
石井四郎は、陸軍に細菌兵器の開発・研究を提言し、2年間の欧米視察を経て、1932年陸軍軍医学校に防疫研究室を設立する。
表向きの看板は「防疫」であるが、実際は細菌兵器の開発・研究のための機関であった。石井四郎は、東大、京大などの医学部の研究者を募り、細菌兵器開発のための一大ネットワークを作り出した。
これを全面的に支えたのがのちにミドリ十字を創設する内藤良一である。
1932年には、中国東北部のハルビン市郊外の背陰河に731部隊の前身「東郷部隊」を設置し、日本国内では行なうことのできない生体実験を実行した。
しかし、捕虜の脱走により施設の閉鎖をやむな<された。
1938年、ハルビン市郊外の平房区を特別軍事区とし、6キロ平方メートルにわたる広大な施設を建設した。
特別軍事区の上空は、日本軍機の飛行さえ禁じられたきわめて機密性の高いものであった。
731部隊の設置にあたっては、大日本陸軍命令(大陸命)が出された。
細菌戦部隊の設立は、日本軍の組織的な犯罪として行なわれたわけである。
敗戦が確実となった1945年8月13日、証拠いん滅のため731部隊本部は爆破され、残されていた捕虜は全員が毒殺などによって虐殺された。戦後米軍は、731部隊が人体実験の結果得たデータと引き替えに、731部隊の戦争犯罪を問わなかった。
そればかりか、幹部たちは高額の退職金までもらい、官公庁、大学、製薬会社、自衛隊などに再就職をした。
非加熱製剤によるHlV感染、開発中の試薬による被害などの事件は、731部隊の犯罪が問われず、戦後も脈々と生き続けている証である。』
これは メッセージ 9385 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/9386.html