南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 南京虐殺の決定的証拠だ!

投稿者: pipopipo555jp 投稿日時: 2006/03/27 09:51 投稿番号: [9241 / 41162]
> ということは、中谷孝氏は、1938年、18歳のときシナへ渡ったのか。18歳で特務機関員(主として通訳?)?

本文冒頭ぐらい読めや!   どあほ(←猿ミソ君のこと)
http://www.geocities.jp/yuumiyamagami/nakatani1.htm

>ひとけのない小山の上で一人、多くの野犬に囲まれた恐怖は忘れがたい。
昭和14年2月、貿易会社に就職した18歳の私は、中国に渡ることになった。
安徽省蕪湖出張所に赴任するすることになったのだ。旅の途中、南京に滞在した。

(中略)

南京から長江を120キロ遡って、蕪湖に着任した。
上海から届くマッチ、タバコ、砂糖、塩、布地、上海方面に送る米などの出し入れを管理する役目に就いた。現地には日本の商人が多数入り込んでいた。
軍部の威を借りて物流を独占し、多額の利益を得ていたようである。現地の警備隊や憲兵隊の幹部達は商人から連夜酒色の饗応を受け、彼らに便宜を与えていた。
一方、中国人を使役する際、人間扱いしない商人達も見かけた。
‘牛馬の如くこき使う’と言うが、実際にムチを振るって働かせる男までいた。
勝利した国の占領者は何をしても構わないと言う風潮があった。
18歳の私には到底なじめない世界だった。

近くに‘陸軍特務機関蕪湖班’という、警備隊とは別の組織があった。
そこの矢野班長と話しをするようになったので、
「商人と軍部の癒着による不当行為が我慢出来ない」
と訴えると、
「そんな会社は辞めて特務機関に入れ」
と蚌埠(ぱんぷう)特務機関の原田大佐に推薦してくれた。

そこで特務機関員補充募集のテストを受けたら、採用されることになった。
私は会社をわずか4カ月で辞め、特務機関員となった。 不思議な組織だった。

(部分引用おわり)
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