Re: シンガポール虐殺について
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/01/22 19:59 投稿番号: [8561 / 41162]
反日左翼団体の集会サイト↓のコピペご苦労さん。
―――――――
98アジア・フォーラム横浜集会 1998.12.8
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper36.htm
(一部抜粋)
日本がおこなった東南アジアへの侵略戦争について考えようとする神奈川の市民グループが開いている証言集会での講演の速記録です。シンガポールでの虐殺からかろうじて生き延びることのできた謝昭思さんを招いて、証言を聞き、その後で私が話したものです。
―――――――
嘘吐き支那人から話を聞いて、反日左翼団体の活動家が、左翼団体の構成員たちを集めて講演したと…
ハイ、ハイ。
では、添削。
>内容は、抗日華僑を粛清するという命令で、2月21・22・23日の3日間でやれ、対象は、・元義勇軍兵士、・共産主義者、・略奪者、・武器を持っていたり隠している者、・日本軍の作戦を妨害する者、治安と秩序を乱している者、治安と秩序を乱す恐れのある者というものです。
実に適格な命令だ。
>この時の選別の様子については、元憲兵隊の下士官だった人の証言があります。この人は…
こういうケースでは大抵匿名だね。
偽証だから所属や実名は出せないわな。
>この時の報告によると、「処分人員約5000名なり、重要分子は引き続き留置取り調べ中なり」ということです。
抗日ゲリラの処分人数としては概ね適当。
>この時点では、虐殺は続行中です。粛清で殺された人の数は、現段階でははっきり分かりません。だいたい4万から5万、場合によって2万と書いているものもあります。
この辺は根拠なし。
支那や朝鮮ではお決まりの年月が経つに連れて勝手に犠牲者数が増大する法則。
10年後には10万人に増える予定。
>同盟通信社(現在の共同通信社)の記者が、5万人殺す計画だったが、半分を殺した段階でストップがかかった、という話を第25軍の参謀から聞いたと、その裁判の調書の中で証言しています。
また匿名?
その同盟通信の記者の名前を提示しろ。
その裁判は、どこで行なわれて裁判?
>大谷敬二郎という人が書いた『憲兵』によれば、この人は憲兵中佐で、粛清当時はシンガポールにはいなかったのですが、粛清直後の42年3月初めにシンガポールに入り治安担当者としてシンガポール・マレー半島にいました。その当時の情勢は、抗日華僑が地下に潜ってゲリラ活動をしているような状況では全くなかったと述べています。
大谷敬二郎がシンガポールに来る前に、迅速かつ徹底したゲリラ掃蕩を行なったのだから、当然だ。
キミ、アタマ大丈夫?
【参考】
シンガポールの華僑は、イギリスの支配者の走狗となって協力し、自分たちの地位を保つために地元民を迫害したり搾取したりして嫌われていた。
戦闘中もイギリス側で戦闘に参加したり協力をしたため、この時とばかりに地元民の復讐を受けた。
現在も売春宿などを経営をしており、嫌われている。
シンガポールでは、大部分が華僑の抗日ゲリラ(違法な便衣隊)が逮捕され処刑されたりしたが、犠牲となった人数は、許雲樵「南洋大学」教授によれば、約8600人ということになってる(日本側主張は約5000人)。
――――――――
シンガポール・マレーの中国人虐殺とは、彼らは中国人搾取体制を守るゲリラであり、ゲリラは戦時国際法では死刑に相当する行為で、処断は何ら不当なものではない。戦後、中国人ゲリラは現地人を対日協力者として虐殺した。故に、現地政府は中共にゲリラ支援を切らせ、弾圧、処分して撲滅したのである。今日、中国人が迫害され追い出されているのも過去からの侵略的搾取体質に由来する。これを、「中国人は白人に牛(植民地)を飼わせ、ミルクを絞る存在」と嫌われたものである。
第2次世界大戦まで、東南アジアは西欧の植民地であり、中国人が侵略的に流入し経済を握り、原住民を搾取していた。有色人種の白色人種支配からの開放は、明治以来、大アジア思想と言い頭山満氏他の悲願であり、各国の志士は日本を頼ったのである。ここに大東亜戦争の原点があり、日本の進攻により、インド、ビルマは英国から、フィリピンは米国から、仏印はフランスから、蘭印はオランダから開放されて、独立軍や政府を作ったもので、日本の敗戦にともない、また植民地に逆もどりし、原住民は中国人の支配化に戻った。
『ノモンハン事件の真相と戦果――ソ連軍撃破の記録』小田洋太郎・田端元著
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98アジア・フォーラム横浜集会 1998.12.8
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper36.htm
(一部抜粋)
日本がおこなった東南アジアへの侵略戦争について考えようとする神奈川の市民グループが開いている証言集会での講演の速記録です。シンガポールでの虐殺からかろうじて生き延びることのできた謝昭思さんを招いて、証言を聞き、その後で私が話したものです。
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嘘吐き支那人から話を聞いて、反日左翼団体の活動家が、左翼団体の構成員たちを集めて講演したと…
ハイ、ハイ。
では、添削。
>内容は、抗日華僑を粛清するという命令で、2月21・22・23日の3日間でやれ、対象は、・元義勇軍兵士、・共産主義者、・略奪者、・武器を持っていたり隠している者、・日本軍の作戦を妨害する者、治安と秩序を乱している者、治安と秩序を乱す恐れのある者というものです。
実に適格な命令だ。
>この時の選別の様子については、元憲兵隊の下士官だった人の証言があります。この人は…
こういうケースでは大抵匿名だね。
偽証だから所属や実名は出せないわな。
>この時の報告によると、「処分人員約5000名なり、重要分子は引き続き留置取り調べ中なり」ということです。
抗日ゲリラの処分人数としては概ね適当。
>この時点では、虐殺は続行中です。粛清で殺された人の数は、現段階でははっきり分かりません。だいたい4万から5万、場合によって2万と書いているものもあります。
この辺は根拠なし。
支那や朝鮮ではお決まりの年月が経つに連れて勝手に犠牲者数が増大する法則。
10年後には10万人に増える予定。
>同盟通信社(現在の共同通信社)の記者が、5万人殺す計画だったが、半分を殺した段階でストップがかかった、という話を第25軍の参謀から聞いたと、その裁判の調書の中で証言しています。
また匿名?
その同盟通信の記者の名前を提示しろ。
その裁判は、どこで行なわれて裁判?
>大谷敬二郎という人が書いた『憲兵』によれば、この人は憲兵中佐で、粛清当時はシンガポールにはいなかったのですが、粛清直後の42年3月初めにシンガポールに入り治安担当者としてシンガポール・マレー半島にいました。その当時の情勢は、抗日華僑が地下に潜ってゲリラ活動をしているような状況では全くなかったと述べています。
大谷敬二郎がシンガポールに来る前に、迅速かつ徹底したゲリラ掃蕩を行なったのだから、当然だ。
キミ、アタマ大丈夫?
【参考】
シンガポールの華僑は、イギリスの支配者の走狗となって協力し、自分たちの地位を保つために地元民を迫害したり搾取したりして嫌われていた。
戦闘中もイギリス側で戦闘に参加したり協力をしたため、この時とばかりに地元民の復讐を受けた。
現在も売春宿などを経営をしており、嫌われている。
シンガポールでは、大部分が華僑の抗日ゲリラ(違法な便衣隊)が逮捕され処刑されたりしたが、犠牲となった人数は、許雲樵「南洋大学」教授によれば、約8600人ということになってる(日本側主張は約5000人)。
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シンガポール・マレーの中国人虐殺とは、彼らは中国人搾取体制を守るゲリラであり、ゲリラは戦時国際法では死刑に相当する行為で、処断は何ら不当なものではない。戦後、中国人ゲリラは現地人を対日協力者として虐殺した。故に、現地政府は中共にゲリラ支援を切らせ、弾圧、処分して撲滅したのである。今日、中国人が迫害され追い出されているのも過去からの侵略的搾取体質に由来する。これを、「中国人は白人に牛(植民地)を飼わせ、ミルクを絞る存在」と嫌われたものである。
第2次世界大戦まで、東南アジアは西欧の植民地であり、中国人が侵略的に流入し経済を握り、原住民を搾取していた。有色人種の白色人種支配からの開放は、明治以来、大アジア思想と言い頭山満氏他の悲願であり、各国の志士は日本を頼ったのである。ここに大東亜戦争の原点があり、日本の進攻により、インド、ビルマは英国から、フィリピンは米国から、仏印はフランスから、蘭印はオランダから開放されて、独立軍や政府を作ったもので、日本の敗戦にともない、また植民地に逆もどりし、原住民は中国人の支配化に戻った。
『ノモンハン事件の真相と戦果――ソ連軍撃破の記録』小田洋太郎・田端元著
これは メッセージ 8556 (fukagawatohei さん)への返信です.