Re: 被害と範囲が不明瞭???
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/01/18 00:06 投稿番号: [8418 / 41162]
安全区内にしか市民がいなかった(市民であって中国兵や負傷兵を看護する従軍看護婦でないことに注意)という説は日本「南京」学会理事の冨澤繁信氏が強く主張しています。
その根拠は冨澤氏の著書『南京事件の核心』(展転社)に詳しく論じられています。
一部抜粋しますと、
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・・・蒋介石の宣伝部の顧問であった、ティンパーリという人が「南京事件」を諸外国に宣伝するために、『戦争とは何か』という本を日本軍南京占領の翌年(1938年)に出版した。この本の中には「南京事件」のたくさんの事例が集められている。この事例の実質的編纂者であり、南京大学の教授で、かつ蒋介石の顧問であったベイツという宣教師が、この事例について次のように言っている。「ここに記録された事件は南京安全地帯内で起きたものだけであり、南京のこれ以外の場所は1月末まで事実上の無人地帯となっていたのであって、此の期間中、殆ど外国人の目撃者はなかった。」(『戦争とは何か』103頁)
(『南京事件の核心』冨澤繁信著 展転社)
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一部の虐殺派の人々はラーベ日記に一月中旬、安全区外で5万人の難民が発見されたと記述されていることを以って安全区外無人説を否定する向きもありますが、以下の理由により根拠薄弱です。
1.国際委員会の用意した収容所は全部あわせても5万人程度の収容力しかなく、それ以外の市民についてはその住居を掌握できていた訳ではない。
ラーベが発見した5万人が、安全区から自宅へ帰還しようとしていた人々でないと断定する根拠は無い。
日本軍は1月上旬より市民に自宅への帰還を呼びかけている。
2.また、良民証の発行により、身元の確認された南京市民は城外より城内の元の住居へ帰還が可能となっており、ラーベの発見した5万人が城外より帰還した市民ではないという根拠も無い。
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『南京安全地帯の記録』第23号 布告
本司令官は12月24日より、全ての難民と市民に対し良民証を発給する。これは居住と就労の便宜だけのためのものである。・・・この調査の後には良民証を持たない者の南京城内居住は許されない。・・・
昭和12年12月22日
日本陸軍 南京憲兵司令官
(『南京安全地帯の記録』完訳と研究 冨澤繁信著 展転社より抜粋)
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3.国際委員会の主要業務は難民に対する食糧の配給であり、人数分の食料が供給されるよう、日本に対してたびたび苦情を申し立てている。
この配給人数について、良民証発行による人口調査の結果、国際委員会は1月14日の第41号報告で従来の20万人から25万人に上方修正しているが、これ以降、配給対象人数の上方修正は行われていない。
ラーベにより5万人もの難民が発見されたなら、新たに増加供給の要求が無ければ不合理であり、そもそも5万人発見の記録そのものの信憑性が乏しい。
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『南京安全地帯の記録』第41号 福田氏への手紙
1938年1月14日
・・・我々は貴軍が、10歳以下の子供、及びいくつかの地区では老人の女性を含めないで、16万人を登録したと理解しております。すると、当市の人口は多分25万人から30万人ということになります。この住民を通常の米の配給で養うには・・・
ジョン・H・D・ラーベ 委員長
『南京安全地帯の記録』第54号 プリドウブリューン氏への手紙
1938年1月28日
・・・南京25万の難民のうち、大部分は市内及び近郊の大規模な火災のために家がありません。・・・
ジョン・H・D・ラーベ 委員長
(『南京安全地帯の記録』完訳と研究 冨澤繁信著 展転社より抜粋)
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なお、25万人という数字は1/18、1/19、1/22の記録にも見られるので、ラーベに発見されてから直ちに日本軍に殺されたということはあり得ないw
その根拠は冨澤氏の著書『南京事件の核心』(展転社)に詳しく論じられています。
一部抜粋しますと、
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・・・蒋介石の宣伝部の顧問であった、ティンパーリという人が「南京事件」を諸外国に宣伝するために、『戦争とは何か』という本を日本軍南京占領の翌年(1938年)に出版した。この本の中には「南京事件」のたくさんの事例が集められている。この事例の実質的編纂者であり、南京大学の教授で、かつ蒋介石の顧問であったベイツという宣教師が、この事例について次のように言っている。「ここに記録された事件は南京安全地帯内で起きたものだけであり、南京のこれ以外の場所は1月末まで事実上の無人地帯となっていたのであって、此の期間中、殆ど外国人の目撃者はなかった。」(『戦争とは何か』103頁)
(『南京事件の核心』冨澤繁信著 展転社)
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一部の虐殺派の人々はラーベ日記に一月中旬、安全区外で5万人の難民が発見されたと記述されていることを以って安全区外無人説を否定する向きもありますが、以下の理由により根拠薄弱です。
1.国際委員会の用意した収容所は全部あわせても5万人程度の収容力しかなく、それ以外の市民についてはその住居を掌握できていた訳ではない。
ラーベが発見した5万人が、安全区から自宅へ帰還しようとしていた人々でないと断定する根拠は無い。
日本軍は1月上旬より市民に自宅への帰還を呼びかけている。
2.また、良民証の発行により、身元の確認された南京市民は城外より城内の元の住居へ帰還が可能となっており、ラーベの発見した5万人が城外より帰還した市民ではないという根拠も無い。
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『南京安全地帯の記録』第23号 布告
本司令官は12月24日より、全ての難民と市民に対し良民証を発給する。これは居住と就労の便宜だけのためのものである。・・・この調査の後には良民証を持たない者の南京城内居住は許されない。・・・
昭和12年12月22日
日本陸軍 南京憲兵司令官
(『南京安全地帯の記録』完訳と研究 冨澤繁信著 展転社より抜粋)
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3.国際委員会の主要業務は難民に対する食糧の配給であり、人数分の食料が供給されるよう、日本に対してたびたび苦情を申し立てている。
この配給人数について、良民証発行による人口調査の結果、国際委員会は1月14日の第41号報告で従来の20万人から25万人に上方修正しているが、これ以降、配給対象人数の上方修正は行われていない。
ラーベにより5万人もの難民が発見されたなら、新たに増加供給の要求が無ければ不合理であり、そもそも5万人発見の記録そのものの信憑性が乏しい。
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『南京安全地帯の記録』第41号 福田氏への手紙
1938年1月14日
・・・我々は貴軍が、10歳以下の子供、及びいくつかの地区では老人の女性を含めないで、16万人を登録したと理解しております。すると、当市の人口は多分25万人から30万人ということになります。この住民を通常の米の配給で養うには・・・
ジョン・H・D・ラーベ 委員長
『南京安全地帯の記録』第54号 プリドウブリューン氏への手紙
1938年1月28日
・・・南京25万の難民のうち、大部分は市内及び近郊の大規模な火災のために家がありません。・・・
ジョン・H・D・ラーベ 委員長
(『南京安全地帯の記録』完訳と研究 冨澤繁信著 展転社より抜粋)
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なお、25万人という数字は1/18、1/19、1/22の記録にも見られるので、ラーベに発見されてから直ちに日本軍に殺されたということはあり得ないw
これは メッセージ 8399 (shingan_magan さん)への返信です.