南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 被害と範囲が不明瞭???

投稿者: ja2047 投稿日時: 2006/01/17 20:40 投稿番号: [8410 / 41162]
>安全区外はほぼ無人だったっていう証言はありましたよね。あまり無理があるとは思えません。それとも無人といいながら実は何万人もいたということでしょうか?

いたから、当初20万の見積もりが25万に増えたんですよ。
それが城内からであれ、城外からであれ、増えた5万は安全区以外にいたのだ
ということは、誰にも否定できません。

いたという当時の記録はたくさんあります。

「日本軍の砲弾が新街路近くの一角に落ち、一〇〇人以上の死傷者を出した。一方、安全区という聖域を見いだせずに自宅に待機していた民間人は五万人以上を数えるものと思われる。その死傷者数は多く、ことに市の南部では数百人が殺害された。安全区の非戦闘員の食料は、中国軍の瓦解により供給が完全に絶たれた。」(ニューヨークタイムズ記事   1937年12月19日   ダーディン)

「こうして、安全区を別とすれば、南京市は人気がなくなり、われわれ委員会メンバー、わずかのアメリカ人記者、取り残されたヨーロッパ人が2,3人いるだけになりました。中国側によればまだ中国人が大ぜい安全区の外に隠れているという話でしたが、これは確かめることができませんでした。」(ヒトラーへの上申書   ジョン=ラーベ   1938年6月8日   「南京の真実」   講談社文庫   P344)

「市街では住民を見なかったが、大隊本部の宿舎付近の民家の奥には、各家に一〜二名の住民が残っており、残した家財を見張っていたようである。本部の兵が食糧徴発に行って、”奥の方に人が居た”と言っていた。」(佐藤増次   歩兵第九連隊第一大隊本部先任書記「証言による南京戦史(8)」『偕行』1984年11月号   P7)

「残留住民は家の奥の方にはいたようであるが、街路両側の民家は戸を締めており静かであった。本道上には障碍物はなかったが、中央ロータリーのところにトーチカ式の銃座があった。」(城島赳夫   戦車第一中隊長   「南京戦史」P192)

ジョン=ラーベの日記   38年 1月17日
「昨日の午後、ローゼンと一緒にかなり長い間市内をまわった。すっかり気が滅入ってしまった。日本軍はなんというひどい破壊のしかたをしたのだろう。あまりのことに言葉もない。(中略)難民の数は今や二十五万人と見積もられている。増えた五万人は廃墟になったところに住んでいた人たちだ。かれらは、どこに行ったらいいのかわからない。」(南京の真実   講談社文庫   P216)

安全区外にはまだ人がおり、それが安全区に避難してきたのです。
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