Re: 誰も知らなかった毛沢東 『マオ』
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/01/03 11:10 投稿番号: [8108 / 41162]
>>そして素直に日本軍の働きを感謝認めています。
>それは、いいですね。しっかり出典を控えておいてください。証拠を出せと言われたときのために。
kaka8950jcさんは、以下のことを述べておられたのでしょうね。
―――――――――――――――――――
日本社会党の人士佐々木更三、黒田寿男、細迫兼光らを接見した際の談話 (1964年7月10日)
佐々木――今日、毛主席の非常に寛大なお気持ちのお話しをうかがいました。過去において、日本軍国主義が中国を侵略し、みなさんに多大の損害をもたらしました。われはれはみな、非常に申し訳なく思っております。
主席――何も申し訳なく思うことはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。みなさんの皇軍なしには、われわれが権力を奪取することは不可能だったのです。この点で、私とみなさんは、意見を異にしており、われわれ両者の間には矛盾がありますね。
(皆が笑い、会場がにぎやかになる)。
佐々木――ありがとうございます。
主席――過去のああいうことは話さないようにしましょう。過去のああいうことは、よい事であり、われわれの助けになったとも言えるのです。ごらんなさい。中国人民は権力を奪取しました。同時に、みなさんの独占資本と軍国主義はわれわれをも〔日本側の記録では、「みなさんをも」となっており、文脈からはその方が適切と思われる〕助けたのです。日本人民が、何百万も、何千万も目覚めたではありませんか。中国で戦った1部の将軍をも含めて、彼らは今では、われわれの友人に変わっています。
東京大学近代中国史研究会訳『毛沢東思想万歳』、下巻
〆 〆 〆
訒小平の場合
「あの戦争が始まる前、われわれは井崗山(せいこうざん)から、長征の途についた。延安にたどりついたときは気息奄々、靴もちびはて、人数も2万人に減って、全滅寸前でした。ところが日中戦争が始まり、われわれを包囲していた蒋介石軍は日本軍によって次第に南部に押されていく。袋のネズミだったわれわれはそれで息を付くことになり、日本軍の後ろに回って、着々と工作をしていった。そして戦争終結時には数百万の正規軍を擁する軍事勢力にのし上がった」
西安に旅行したとき、周恩来が隠れていた地下指令室を見学した時のことを思い出した。展示されていた古い雑誌に、日本軍が蒋介石軍を破って南京に迫ってゆく様子を「形勢好」と表現してあった。「形勢はいいぞ」という意味だ。当時は「へんなことが書いてある」といった程度の認識だったが、国共合作で友軍になったはずの蒋介石軍が負けていて「いい」ということもなかろうにと考えた。
とにかく1936年秋の西安事件までは、蒋介石は日本とことを構えるより、共産党制圧を第一目標にしていた。それが西安事件で順番が逆転する。そうしなかったら捕らわれの身だった蒋介石は殺されていただろう。
http://www.yorozubp.com/9806/980606.htm
1998年06月06日(土)
伴 正一
>それは、いいですね。しっかり出典を控えておいてください。証拠を出せと言われたときのために。
kaka8950jcさんは、以下のことを述べておられたのでしょうね。
―――――――――――――――――――
日本社会党の人士佐々木更三、黒田寿男、細迫兼光らを接見した際の談話 (1964年7月10日)
佐々木――今日、毛主席の非常に寛大なお気持ちのお話しをうかがいました。過去において、日本軍国主義が中国を侵略し、みなさんに多大の損害をもたらしました。われはれはみな、非常に申し訳なく思っております。
主席――何も申し訳なく思うことはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。みなさんの皇軍なしには、われわれが権力を奪取することは不可能だったのです。この点で、私とみなさんは、意見を異にしており、われわれ両者の間には矛盾がありますね。
(皆が笑い、会場がにぎやかになる)。
佐々木――ありがとうございます。
主席――過去のああいうことは話さないようにしましょう。過去のああいうことは、よい事であり、われわれの助けになったとも言えるのです。ごらんなさい。中国人民は権力を奪取しました。同時に、みなさんの独占資本と軍国主義はわれわれをも〔日本側の記録では、「みなさんをも」となっており、文脈からはその方が適切と思われる〕助けたのです。日本人民が、何百万も、何千万も目覚めたではありませんか。中国で戦った1部の将軍をも含めて、彼らは今では、われわれの友人に変わっています。
東京大学近代中国史研究会訳『毛沢東思想万歳』、下巻
〆 〆 〆
訒小平の場合
「あの戦争が始まる前、われわれは井崗山(せいこうざん)から、長征の途についた。延安にたどりついたときは気息奄々、靴もちびはて、人数も2万人に減って、全滅寸前でした。ところが日中戦争が始まり、われわれを包囲していた蒋介石軍は日本軍によって次第に南部に押されていく。袋のネズミだったわれわれはそれで息を付くことになり、日本軍の後ろに回って、着々と工作をしていった。そして戦争終結時には数百万の正規軍を擁する軍事勢力にのし上がった」
西安に旅行したとき、周恩来が隠れていた地下指令室を見学した時のことを思い出した。展示されていた古い雑誌に、日本軍が蒋介石軍を破って南京に迫ってゆく様子を「形勢好」と表現してあった。「形勢はいいぞ」という意味だ。当時は「へんなことが書いてある」といった程度の認識だったが、国共合作で友軍になったはずの蒋介石軍が負けていて「いい」ということもなかろうにと考えた。
とにかく1936年秋の西安事件までは、蒋介石は日本とことを構えるより、共産党制圧を第一目標にしていた。それが西安事件で順番が逆転する。そうしなかったら捕らわれの身だった蒋介石は殺されていただろう。
http://www.yorozubp.com/9806/980606.htm
1998年06月06日(土)
伴 正一
これは メッセージ 8088 (monkeybrain132 さん)への返信です.