南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 朝鮮皇后暗殺 閔妃殺害 三浦梧楼

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2006/01/03 11:10 投稿番号: [8107 / 41162]
丁度、他のトピに投稿してたんで、、ついでにこっちにもいれときまっせ。

何時の時代も日本が出しゃばって出て行ったのが事実なんだよ。

日本と中国が不平等条約によって開国させられた十九世紀の中頃にあって唯一鎖国を固持してたのが朝鮮なんだよ。
1866年にはフランス人神父を含む天主教徒を処刑し、フランス艦隊と江華島で戦闘するも、一層の鎖国拝外主義、天主教徒の弾圧を強めたんだよ。

1866年8月にはアメリカ商船
ゼネラル、シャーマン号が朝鮮人の拉致、発砲を行った。ピョンヤンの羊角島付近で座礁したところを、平安道観察使   朴珪寿の指揮する火攻めで20余名全員死亡させている。(丙寅洋攘)
1871年アメリカは長官の訓令に基づき、通称条約を求める外交文書を発するも、朝鮮側にその意図はなく、アメリカ艦隊は10日後には得るもの無く引き上げている。

そんな中   李朝後期の朝鮮は清国と事大(大国に仕える)関係を外交の基軸とする一方、徳川幕府とは対馬の宋氏を仲立ちとして対等な交隣関係を築いていた。
幕府を倒して明治維新が成功すると、新政府は対馬藩に命じて、政変を通じさせた。
1869年2月の使節を釜山に送ったが、持参した書面は慣例を無視したものであったため、朝鮮政府はその受け取りを拒否している。

当時の木戸考允の日記に
「使節を朝鮮に遺し、彼の無礼を問い、彼若し不服の時は罪を鳴らして、其の土を攻撃し、大いに神州の威を伸張せんことを願う」と書いている。

ちょっかいを出していたのは日本なんだよ。

その後には
1895年4月に日清戦争終結
日本公使井上馨は実現不可能な借款供与を提示し、ロシアへの接近を阻止しようとしたが失敗し、
9月に陸軍中将   三浦梧桜が朝鮮公使として赴任すると、日本勢力の後退を阻止する為に「閔妃殺害」を計画し、宮内府顧問   岡本柳の助に指揮を命じ、

10月7日から8日未明にかけて、日本守備隊、公使館員、大陸浪人などからなる暗殺部隊を王宮に侵入させ、宮内大臣   李耕植らを殺害するとともに、閔妃を寝室に襲って殺害し、死体を陵辱したのち、焼き払った。

この事件はクーデターと見せかけようとしたが、アメリカ人軍事教官やロシア人技師に目撃されており、
第三次   金弘集政権は改造され、国際問題化した。

日本政府はやむなく、三浦梧楼ら関係者を召還し、
広島の地方裁判所、及び軍法会議にかけたが、
翌年1月には「証拠不十分」として全員釈放している。

この破廉恥事件が後の義兵運動を触発せしめるのであ〜〜る。

日本がいつも、ちょっかいを出していたんだよ。
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