翻訳という名の改竄
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/11/15 22:07 投稿番号: [7658 / 41162]
トピがやや活気に欠けるような気がしますので、繰り返し採り上げられてきたテーマをもう掘り返してみたいと思います。
まず前回のスマイス調査に関するレポートでも引用しました北村稔教授の『「南京事件」の探求』からの引用です。
ティンパーリーのWHAT WAR MEANSに収録された、南京国際赤十字委員会委員のクレーガーと南京在住のハッツによる目撃事例として、次の一文が挙げられています。
Mr. Kroeger and Mr. Hatz saw a Japanese officer and soldier executing a poor man in civilian clothes.
これを洞富雄氏は「平服の一市民を虐殺した」と訳しています。
しかし、北村稔教授の指摘するとおり、市民がin civilian clothesなのは改めて言うまでもないことです。この一文は明らかに「クレーガーとハッツは日本軍が便衣兵を処刑するのを見た」と訳すべきであり、洞富雄氏の訳は明らかに誤訳――改竄でしょう。
便衣兵の処刑と、市民の虐殺では全く意味が違います。
北村教授も指摘しているとおり、これを市民の虐殺と訳すと、次に続くクレーガーとハッツの台詞として「我々は日本軍による合法的な死刑執行に対して何ら抗議する権限はないが、これがあまりにも非能率的で残虐なやり方で行われていることは確かである」という記述が意味の分からないものになってしまいます。
虐殺派の人々は、田中正明氏が松井石根の陣中日記を「改竄」したとして、その論述の全てを否定し、葬り去ろうとする傾向があります。これは偏に、田中氏の論述が虐殺派にとって致命的な証拠を数多く有しているからでしょう。
しかし松井石根の日記に、所謂「南京大虐殺」の真偽を左右する証拠資料としての価値はありません。あの悪意に満ちた東京裁判ですら、訴因五十四、つまり戦争犯罪行為を命令し、許可した容疑で有罪とすることは出来ませんでした。松井石根が有罪とされたのは訴因五十五、当時の基準で戦争犯罪を構成するという共通認識が出来ていなかった不作為犯の容疑によってのみです。
このことはつまり、日本を犯罪国家に仕立てる為なら手段を選ばなかった人類史上最も醜悪な歴史の捏造舞台である東京裁判ですら、南京において発生したとされる戦争犯罪が日本国政府または日本軍が組織的に企てたものであるという事実はないと認めざるを得なかったことを意味していますが、もっと直接的なレンジに解釈を限定したとしても、松井石根には南京における組織的な戦争犯罪行為に関する責任はないと皮肉にもあの東京裁判法廷がお墨付きを与えたことになります。
松井石根には南京における組織的な戦争犯罪行為、即ち所謂「南京大虐殺」に関する責任は無いと保証されているのですから、彼の日記が「南京大虐殺」を証明するものにも否定するものにもならないのは明らかです。彼自身は組織的な戦争犯罪行為なるものに関与していないのですから。
松井石根の日記を現代語訳する際に、誤訳をしようと校訂ミスを犯そうと、所謂「南京大虐殺」の真偽の検証にはほとんど影響を与えません。そんなものははっきり言って、重箱の隅をつついているのと同じです。そんな些細なミスで、田中氏の論述の全てを否定しようとするなど、私には苦し紛れか嫉妬にしか見えません。
さて一方で、洞富雄氏の意図的としか思えない誤訳はどうでしょうか。所謂「南京大虐殺」の真偽を検証する上で、どの程度の重要性を持っているのでしょうか。
言うまでもなく、「便衣兵を処刑した」と「市民を虐殺した」では全く意味合いが異なります。市民の虐殺を「合法的」と判断する余地はありませんが、便衣兵の処刑であれば、「合法的な死刑執行」と判断されるのです。少なくとも、南京にいた西洋人はそう見做していたと考えて良いでしょう。ティンパーリーがわざわざ日本軍に有利な例外的見解を収録する理由はありませんから。
所謂「南京大虐殺」の真偽を検証する上で資料に決定的な改竄を行っているのは、田中正明氏ではなく、洞富雄氏なのです。
まず前回のスマイス調査に関するレポートでも引用しました北村稔教授の『「南京事件」の探求』からの引用です。
ティンパーリーのWHAT WAR MEANSに収録された、南京国際赤十字委員会委員のクレーガーと南京在住のハッツによる目撃事例として、次の一文が挙げられています。
Mr. Kroeger and Mr. Hatz saw a Japanese officer and soldier executing a poor man in civilian clothes.
これを洞富雄氏は「平服の一市民を虐殺した」と訳しています。
しかし、北村稔教授の指摘するとおり、市民がin civilian clothesなのは改めて言うまでもないことです。この一文は明らかに「クレーガーとハッツは日本軍が便衣兵を処刑するのを見た」と訳すべきであり、洞富雄氏の訳は明らかに誤訳――改竄でしょう。
便衣兵の処刑と、市民の虐殺では全く意味が違います。
北村教授も指摘しているとおり、これを市民の虐殺と訳すと、次に続くクレーガーとハッツの台詞として「我々は日本軍による合法的な死刑執行に対して何ら抗議する権限はないが、これがあまりにも非能率的で残虐なやり方で行われていることは確かである」という記述が意味の分からないものになってしまいます。
虐殺派の人々は、田中正明氏が松井石根の陣中日記を「改竄」したとして、その論述の全てを否定し、葬り去ろうとする傾向があります。これは偏に、田中氏の論述が虐殺派にとって致命的な証拠を数多く有しているからでしょう。
しかし松井石根の日記に、所謂「南京大虐殺」の真偽を左右する証拠資料としての価値はありません。あの悪意に満ちた東京裁判ですら、訴因五十四、つまり戦争犯罪行為を命令し、許可した容疑で有罪とすることは出来ませんでした。松井石根が有罪とされたのは訴因五十五、当時の基準で戦争犯罪を構成するという共通認識が出来ていなかった不作為犯の容疑によってのみです。
このことはつまり、日本を犯罪国家に仕立てる為なら手段を選ばなかった人類史上最も醜悪な歴史の捏造舞台である東京裁判ですら、南京において発生したとされる戦争犯罪が日本国政府または日本軍が組織的に企てたものであるという事実はないと認めざるを得なかったことを意味していますが、もっと直接的なレンジに解釈を限定したとしても、松井石根には南京における組織的な戦争犯罪行為に関する責任はないと皮肉にもあの東京裁判法廷がお墨付きを与えたことになります。
松井石根には南京における組織的な戦争犯罪行為、即ち所謂「南京大虐殺」に関する責任は無いと保証されているのですから、彼の日記が「南京大虐殺」を証明するものにも否定するものにもならないのは明らかです。彼自身は組織的な戦争犯罪行為なるものに関与していないのですから。
松井石根の日記を現代語訳する際に、誤訳をしようと校訂ミスを犯そうと、所謂「南京大虐殺」の真偽の検証にはほとんど影響を与えません。そんなものははっきり言って、重箱の隅をつついているのと同じです。そんな些細なミスで、田中氏の論述の全てを否定しようとするなど、私には苦し紛れか嫉妬にしか見えません。
さて一方で、洞富雄氏の意図的としか思えない誤訳はどうでしょうか。所謂「南京大虐殺」の真偽を検証する上で、どの程度の重要性を持っているのでしょうか。
言うまでもなく、「便衣兵を処刑した」と「市民を虐殺した」では全く意味合いが異なります。市民の虐殺を「合法的」と判断する余地はありませんが、便衣兵の処刑であれば、「合法的な死刑執行」と判断されるのです。少なくとも、南京にいた西洋人はそう見做していたと考えて良いでしょう。ティンパーリーがわざわざ日本軍に有利な例外的見解を収録する理由はありませんから。
所謂「南京大虐殺」の真偽を検証する上で資料に決定的な改竄を行っているのは、田中正明氏ではなく、洞富雄氏なのです。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.