蒋介石にも国連にも南京虐殺の認識なし2
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/09/09 23:48 投稿番号: [7416 / 41162]
1938年5月に国際連盟理事会が「支那に、同情の意を表明する」との文言を含む決議文を採択したにも拘わらず、「虐殺」非難の文言が一切なかったということは、顧維鈞が2月に行なった演説で引用した1月28日付「デイリー・テレグラフ」の記事に信憑性がなかった根拠になる。
そもそも、その記事は「虐殺」について述べていない。
支那は所かまわず常に日本軍の悪事を捏造し、嘘の宣伝を行なっていたので、その多くが「信憑性なし」と判断され、世間から全く追認されなかった。
1938年2月1日付の顧維鈞の演説は日本の上海攻撃を非難したが、上海の国際租界の日本人居留区を包囲攻撃したのは支那軍である。
当初支那軍と戦っていたのはほんの僅かの海軍陸戦隊だった。
また、その演説では「首都を重慶に移すことを強いられた」と述べたが、これではまるで戦争をやめないのは日本だと言っているようだ。
上海がようやく支那軍の脅威から解放されたので、11月2日、広田外相は正式にドイツ大使に仲介を依頼し、日本側の和平案を伝えた。
その条件は穏当なものであり11月6日に駐支ドイツ大使が支那に伝えたが、蒋介石はこれを蹴った。
蒋介石は、「敵が南京に至れば我々は南京を防衛する。敵が四川を攻撃すれば我々は四川を防衛する。敵の侵略が続く限り我々は永久に戦い続けるであろう」と世界に向かって公言した。
これではまるで日本が侵略しているかの様に聞こえるが、とにかく蒋介石は「戦争は絶対に止めない」と言ったのだ。
更に1938年2月1日付の顧維鈞の演説は、「無防備な都市にたいして無差別爆撃を続け、中国民間人の大量殺戮をおこなっています。・・・」と日本を非難したが、これも明らかに低俗で卑劣な逆宣伝だ。
日本軍の爆撃についても様々な報道がされたが、調査の結果、爆撃された教育施設等の殆どは支那軍が使用していたことが判明した。
一方、支那軍は世界の同情を得るため、無差別爆撃どころか、わざとホテルやデパートを爆撃し、それを日本軍の仕業として逆宣伝した。
蒋介石の『日本国民に告げる書』は、1938年5月に国際連盟理事会が「信憑性なし」と判断した1938年2月1日付の顧維鈞の演説をほぼ繰り返したような内容だ。
『日本国民に告げる書』は、蒋介石が日本軍による南京市民虐殺を認識していなかった明白な証拠なのだ。
『日本国民に告げる書』で蒋介石は、「八月十三日に上海を進犯す」と述べたが、8月13日に上海を大軍で攻撃したのは蒋介石自身だ。
更に蒋介石は日本軍による毒ガス使用を非難するが、違法毒ガスを使用したのは支那軍であり、『日本国民に告げる書』を発表したほんの少し前の1938年6月20日頃にも支那軍は山西で違法毒ガスを使用し付近の住民を巻き添えにしたばかりだった。
『日本国民に告げる書』は、次に日本軍占領地区における無辜の良民及負傷兵士の大規模殺戮を非難するが、これも事実は全く逆だ。
例えば、日本軍が占領し、支那軍の攻撃から開放された上海には、支那軍が戻って来た南京などから大勢の市民が避難して来たのだ。
そして、日本軍が南京を占領すると、今度は上海などから多くの市民が南京に戻って来て南京の人口は増加に転じたのだ。
支那事変が始まってから、日本軍は半年間で北京などの北支や上海・南京など揚子江流域の大半の主要都市を占領したが、いずれの地域でも日本軍占領前より治安は改善されたのが史実だ。
満州事変以降、年間百万人を超す支那人が満州国へとなだれ込んだ事実だってある。
その次に『日本国民に告げる書』で蒋介石は日本軍による広州などへの爆撃を非難する。
しかし、最も悪質で被害も大きかった爆撃も支那軍による上海の市街地爆撃だった。
上海で戦争を始めたのも、違法毒ガスを使用したのも、支配地(占領地)で暴虐・悪逆の限りを尽くしたのも、爆撃で多大な犠牲者を出したのも、全て蒋介石の支那軍なのに、支那はその都度自分たちの暴虐・悪逆を日本軍の仕業に転嫁して宣伝した。
蒋介石の『日本国民に告げる書』は、国民党や外国人工作員が常日頃から行なっていた嘘・デタラメを羅列する低俗で卑劣な宣伝工作を凝縮したものに過ぎない。
この低俗で卑劣な宣伝文書を読んで、蒋介石が日本軍による南京市民の大規模虐殺を認識していたと言い張る奴は脳タリンだ。
当時の日本国民や支那人や外国人が読んでも誰もそんなことは思わなかった。
目的が全く違う『終戦の詔勅』と比較して屁理屈を言う馬鹿者がいるが、天皇が国民に終戦を告げる際に、アメリカによる大空襲や原爆投下などの民間人大量殺戮について述べる訳がない。
そもそも、その記事は「虐殺」について述べていない。
支那は所かまわず常に日本軍の悪事を捏造し、嘘の宣伝を行なっていたので、その多くが「信憑性なし」と判断され、世間から全く追認されなかった。
1938年2月1日付の顧維鈞の演説は日本の上海攻撃を非難したが、上海の国際租界の日本人居留区を包囲攻撃したのは支那軍である。
当初支那軍と戦っていたのはほんの僅かの海軍陸戦隊だった。
また、その演説では「首都を重慶に移すことを強いられた」と述べたが、これではまるで戦争をやめないのは日本だと言っているようだ。
上海がようやく支那軍の脅威から解放されたので、11月2日、広田外相は正式にドイツ大使に仲介を依頼し、日本側の和平案を伝えた。
その条件は穏当なものであり11月6日に駐支ドイツ大使が支那に伝えたが、蒋介石はこれを蹴った。
蒋介石は、「敵が南京に至れば我々は南京を防衛する。敵が四川を攻撃すれば我々は四川を防衛する。敵の侵略が続く限り我々は永久に戦い続けるであろう」と世界に向かって公言した。
これではまるで日本が侵略しているかの様に聞こえるが、とにかく蒋介石は「戦争は絶対に止めない」と言ったのだ。
更に1938年2月1日付の顧維鈞の演説は、「無防備な都市にたいして無差別爆撃を続け、中国民間人の大量殺戮をおこなっています。・・・」と日本を非難したが、これも明らかに低俗で卑劣な逆宣伝だ。
日本軍の爆撃についても様々な報道がされたが、調査の結果、爆撃された教育施設等の殆どは支那軍が使用していたことが判明した。
一方、支那軍は世界の同情を得るため、無差別爆撃どころか、わざとホテルやデパートを爆撃し、それを日本軍の仕業として逆宣伝した。
蒋介石の『日本国民に告げる書』は、1938年5月に国際連盟理事会が「信憑性なし」と判断した1938年2月1日付の顧維鈞の演説をほぼ繰り返したような内容だ。
『日本国民に告げる書』は、蒋介石が日本軍による南京市民虐殺を認識していなかった明白な証拠なのだ。
『日本国民に告げる書』で蒋介石は、「八月十三日に上海を進犯す」と述べたが、8月13日に上海を大軍で攻撃したのは蒋介石自身だ。
更に蒋介石は日本軍による毒ガス使用を非難するが、違法毒ガスを使用したのは支那軍であり、『日本国民に告げる書』を発表したほんの少し前の1938年6月20日頃にも支那軍は山西で違法毒ガスを使用し付近の住民を巻き添えにしたばかりだった。
『日本国民に告げる書』は、次に日本軍占領地区における無辜の良民及負傷兵士の大規模殺戮を非難するが、これも事実は全く逆だ。
例えば、日本軍が占領し、支那軍の攻撃から開放された上海には、支那軍が戻って来た南京などから大勢の市民が避難して来たのだ。
そして、日本軍が南京を占領すると、今度は上海などから多くの市民が南京に戻って来て南京の人口は増加に転じたのだ。
支那事変が始まってから、日本軍は半年間で北京などの北支や上海・南京など揚子江流域の大半の主要都市を占領したが、いずれの地域でも日本軍占領前より治安は改善されたのが史実だ。
満州事変以降、年間百万人を超す支那人が満州国へとなだれ込んだ事実だってある。
その次に『日本国民に告げる書』で蒋介石は日本軍による広州などへの爆撃を非難する。
しかし、最も悪質で被害も大きかった爆撃も支那軍による上海の市街地爆撃だった。
上海で戦争を始めたのも、違法毒ガスを使用したのも、支配地(占領地)で暴虐・悪逆の限りを尽くしたのも、爆撃で多大な犠牲者を出したのも、全て蒋介石の支那軍なのに、支那はその都度自分たちの暴虐・悪逆を日本軍の仕業に転嫁して宣伝した。
蒋介石の『日本国民に告げる書』は、国民党や外国人工作員が常日頃から行なっていた嘘・デタラメを羅列する低俗で卑劣な宣伝工作を凝縮したものに過ぎない。
この低俗で卑劣な宣伝文書を読んで、蒋介石が日本軍による南京市民の大規模虐殺を認識していたと言い張る奴は脳タリンだ。
当時の日本国民や支那人や外国人が読んでも誰もそんなことは思わなかった。
目的が全く違う『終戦の詔勅』と比較して屁理屈を言う馬鹿者がいるが、天皇が国民に終戦を告げる際に、アメリカによる大空襲や原爆投下などの民間人大量殺戮について述べる訳がない。
これは メッセージ 7406 (deliciousicecoffee さん)への返信です.