軍隊相手の慰安所なんて昔から 続き
投稿者: tatetayon 投稿日時: 2005/08/22 00:03 投稿番号: [7094 / 41162]
慰安婦制度は、日本軍にのみ存在したのでしょうか。
結論から言うと、違います。戦地の部隊に随行して将兵を慰安した女性は、古今東西を問わず、戦争と軍隊にはつきもので、日本軍だけの専有物ではありませんでした。
例えば、18世紀には、両角良彦著『反ナポレオン考』によると、
>当時にあっては、軍隊に女性の従軍を認めるのは各国に共通したことだった。イギリスでは正規の妻のほか、一個中隊につき6名の女性を公認したし、ボナパルトもイタリア前線で一個大隊に4名の女性を許している<と、あります。
また、第一次世界大戦においても、「世界性学全集」の第5巻「戦争と性」には、「西部の戦争舞台では、アミアン、アベユーユ、アーベル、ルーアンその他、前線の背後のすべてのフランス都市には連合国軍部隊のための特に設備が良くて繁盛している兵站娼家があった。・・(中略)・・顧客にはフランス兵の他に、他国民、主としてイギリス人の将校や兵隊もいた・・(中略)・・ドイツ側にも、兵站地域の大きな街には必ず兵隊用娼家と将校用娼家とがあった」という具合に、ドイツ・フランス・イギリス・ロシア等にも軍管理の専用慰安所があったとあります。
そして、第二次世界大戦の時でも、それはあまり変わらなかったようです。
ドイツ軍は、ザイトラー著「売春・同性愛・自己毀損−ドイツ衛生指導の諸問題 1939−45」によれば、軍管理の慰安所を占領地各地に置いたとあります。特に東方占領地(主にソ連)ではスターリンが売春を禁止していたので、新設する際には、慰安婦はしばしば強制徴用したとあります。
アメリカ軍についても、プラムフィールド報告書によれば、北アフリカ戦線で、打ち破ったイタリア軍の慰安所を引継ぎ、そのまま同じ軍管理の慰安所を続けたとありますし、米陸軍軍医部の第二次世界大戦史にも、1943年のシシリー島占領後、米軍はドイツ・イタリア軍が運営していた慰安所をシステムと人員ぐるみ引継ぎ、軍医とMPが規制したともあります。また、1942年、中国の昆明にシェンノートの航空隊用の軍管理の慰安所を設け、インド人売春婦を呼び寄せたともあります。(セオドア・ホワイト著「個人的冒険の回想・上・歴史の探求」より) 確かに、アメリカ軍は当時、自由恋愛方式を採用していました。ほとんどのアメリカ軍将兵は、慰安するために、ある一定期間、戦場の後方地帯で休養することが許されていました。しかし、その対策は、戦場での強姦事件防止より戦争神経症のための対策です。毒ガスや戦車、潜水艦が戦場に現れた第一次世界大戦の教訓の結果によるものです。米軍もまたすべての恐ろしい兵器を経験しました。他方、日本軍は当時、わずかに潜水艦を経験しただけです。日本兵は第一次世界大戦の戦争神経症を経験しませんでした。なので、米国の自由恋愛方式は、売春を根絶する政策ではありません。アメリカ兵が、ドルを持ち、気前のよさで売春婦の最も良い上客でした。
そして、現在でも、「『従軍慰安婦は日本軍だけか−アメリカ軍の場合」(佐藤和秀氏)によれば、「韓国の米軍基地・東豆川には、韓国人慰安婦・洋郎がおり、韓国の保健所で週一回の検診を受け、検査ずみの印を押した健康保健カードを掲示させ、米兵のための肉体の提供をさせている」とあります。さらに言うと、1945年8月27日から1946年2月まで、アメリカ軍は日本において、アメリカ兵の性欲を満たすためにRAAに統制よる慰安所を許していましたし、朝鮮戦争の際には、米軍はRRセンター(慰安所)を小倉、大阪、横浜に設立していました。
"AWM54,267/6/17, Part 6"という書類によれば、オーストラリア軍も、シリア、パレスチナ、トリポリに慰安所を設立していました(田中利幸「なぜ米軍は慰安所を無視したのか」世界・1996年10月)また、ソ連軍の場合にも「霧に消えた兵隊」鈴木省五郎著には、ソ連によって強制的に徴発されたユダヤ人、ポーランド人女性からなる巡回慰安婦が、駐屯地を回っていたと証言しています。さらには、中国軍においても、軍管理の慰安所があったようです。
結論から言うと、違います。戦地の部隊に随行して将兵を慰安した女性は、古今東西を問わず、戦争と軍隊にはつきもので、日本軍だけの専有物ではありませんでした。
例えば、18世紀には、両角良彦著『反ナポレオン考』によると、
>当時にあっては、軍隊に女性の従軍を認めるのは各国に共通したことだった。イギリスでは正規の妻のほか、一個中隊につき6名の女性を公認したし、ボナパルトもイタリア前線で一個大隊に4名の女性を許している<と、あります。
また、第一次世界大戦においても、「世界性学全集」の第5巻「戦争と性」には、「西部の戦争舞台では、アミアン、アベユーユ、アーベル、ルーアンその他、前線の背後のすべてのフランス都市には連合国軍部隊のための特に設備が良くて繁盛している兵站娼家があった。・・(中略)・・顧客にはフランス兵の他に、他国民、主としてイギリス人の将校や兵隊もいた・・(中略)・・ドイツ側にも、兵站地域の大きな街には必ず兵隊用娼家と将校用娼家とがあった」という具合に、ドイツ・フランス・イギリス・ロシア等にも軍管理の専用慰安所があったとあります。
そして、第二次世界大戦の時でも、それはあまり変わらなかったようです。
ドイツ軍は、ザイトラー著「売春・同性愛・自己毀損−ドイツ衛生指導の諸問題 1939−45」によれば、軍管理の慰安所を占領地各地に置いたとあります。特に東方占領地(主にソ連)ではスターリンが売春を禁止していたので、新設する際には、慰安婦はしばしば強制徴用したとあります。
アメリカ軍についても、プラムフィールド報告書によれば、北アフリカ戦線で、打ち破ったイタリア軍の慰安所を引継ぎ、そのまま同じ軍管理の慰安所を続けたとありますし、米陸軍軍医部の第二次世界大戦史にも、1943年のシシリー島占領後、米軍はドイツ・イタリア軍が運営していた慰安所をシステムと人員ぐるみ引継ぎ、軍医とMPが規制したともあります。また、1942年、中国の昆明にシェンノートの航空隊用の軍管理の慰安所を設け、インド人売春婦を呼び寄せたともあります。(セオドア・ホワイト著「個人的冒険の回想・上・歴史の探求」より) 確かに、アメリカ軍は当時、自由恋愛方式を採用していました。ほとんどのアメリカ軍将兵は、慰安するために、ある一定期間、戦場の後方地帯で休養することが許されていました。しかし、その対策は、戦場での強姦事件防止より戦争神経症のための対策です。毒ガスや戦車、潜水艦が戦場に現れた第一次世界大戦の教訓の結果によるものです。米軍もまたすべての恐ろしい兵器を経験しました。他方、日本軍は当時、わずかに潜水艦を経験しただけです。日本兵は第一次世界大戦の戦争神経症を経験しませんでした。なので、米国の自由恋愛方式は、売春を根絶する政策ではありません。アメリカ兵が、ドルを持ち、気前のよさで売春婦の最も良い上客でした。
そして、現在でも、「『従軍慰安婦は日本軍だけか−アメリカ軍の場合」(佐藤和秀氏)によれば、「韓国の米軍基地・東豆川には、韓国人慰安婦・洋郎がおり、韓国の保健所で週一回の検診を受け、検査ずみの印を押した健康保健カードを掲示させ、米兵のための肉体の提供をさせている」とあります。さらに言うと、1945年8月27日から1946年2月まで、アメリカ軍は日本において、アメリカ兵の性欲を満たすためにRAAに統制よる慰安所を許していましたし、朝鮮戦争の際には、米軍はRRセンター(慰安所)を小倉、大阪、横浜に設立していました。
"AWM54,267/6/17, Part 6"という書類によれば、オーストラリア軍も、シリア、パレスチナ、トリポリに慰安所を設立していました(田中利幸「なぜ米軍は慰安所を無視したのか」世界・1996年10月)また、ソ連軍の場合にも「霧に消えた兵隊」鈴木省五郎著には、ソ連によって強制的に徴発されたユダヤ人、ポーランド人女性からなる巡回慰安婦が、駐屯地を回っていたと証言しています。さらには、中国軍においても、軍管理の慰安所があったようです。
これは メッセージ 7039 (tatetayon さん)への返信です.