戦前の支那の反日教育
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/30 23:50 投稿番号: [6309 / 41162]
>やほ〜〜
>おじさん、おじさん。
>はいはい!!
>当時中国で行われていた反日教育の実態を説明しましょうね(笑)
>ん、、教科書? 何でしょうか?
>少年 少女が教育されたとする書物なり、言動なりは、、、?
―――――――――――――――――――
またその一方で、幼稚園から大学に至るまであらゆる教育機関が、日本に対する敵意を幼児や若者の心に注入するために利用された。これは国民党が蒋介石の指導の下に1927年南京に政府を樹立した時、とりわけ顕著になった。1928年5月、南京の国民教育会議は次の決議を採択した。
1、国家の屈辱に関する豊富な資料を、中学校及び小学校の教科書に載せること。
2、われらの国家的屈辱に関する事実を宣伝し、どの国が中国の最大の敵であるかを国民に印象付けるために、あらゆる機会を用いて学校を利用すること。
3、国家の屈辱の描いている地図と絵を用いること。そしてあらゆる機会を利用して生徒の注意をそれらに向けさせること。
4、中国の最大の敵を打倒できる方法を、教師と生徒は共に学ぶこと。
この計画の中にある中国の「最大の敵」とは日本を意味していた。この計画が採択される以前においてさえも、幼稚園の本には次のような言葉が載っていた。
日本は敵だ!日本は中国から澎湖諸島と台湾を奪い、遼東半島を奪った。日本は侵略国だ。国民政府は、日本の侵略を阻止しこれらの領土を取り返すことを目的とする政府だ。
これと同じ話はあらゆる教育機関で、別の言葉で繰り返し述べられている。実際問題として、中国は澎湖諸島にはっきりとした名称をつけたことはこれまで一度もなかった。台湾(フォルモサ)は1894年の日清戦争後に日本へ割譲された。遼東半島は1904〜5年の日露戦争後に、日本が中国からではなくロシアから獲得したものである。
(中略)
例えば1936年8月、2人の日本の新聞特派員(大阪毎日と東京日日の外国関係ニュース担当)が投石され、刺され、物を奪われた上に殺害された。その犯人は四川省成都の暴徒と化した少年少女である。
(中略)
○北支
1、1935年5月、日本贔屓の傾向のある2人の中国人新聞編集者が天津で殺害された。
2、1935年8月、満州国国境から天津に向け走行中の満州国・中国国際列車が匪賊に襲撃された。調査により判明したところでは、彼らは天津の反日組織に扇動されていた。約20名の乗客が殺害された。
3、1935年12月17日、天津の日本軍守備隊総司令官多田陸軍中将の邸宅に爆弾が投げ込まれ、中国人召使が負傷。
4、1936年1月2日、天津付近のタークーで2軒の日本人商店が中国正規兵により略奪された。
5、1936年6月19日、山東省防東で日本人が中国人に射殺された。
6、1936年6月26日、北京付近で中国正規兵が、豊台日本軍守備隊に所属する日本人兵士を襲撃し重傷を負わせた。それに対する謝罪を要求して中国軍兵営に赴いた日本陸軍大尉が中国兵に刀と銃剣で斬りつけられた。
7、1936年7月22日、天津の市役所所属の中国人警備兵が、天津の日本総領事館に勤務する2名の警官を領事館前で銃撃。1人死亡、1人重傷。
8、1936年8月23日、河北公共治安部隊の数名の兵士が、天津の日本語学校を襲撃し略奪。日本人教師に暴行を加え拉致。
9、1936年10月、反日組織に扇動されたストライキが発生。山東省青島の日本人経営の紡績工場が2週間閉鎖。
10、1937年5月23日、満州国大連沖で操業中の日本漁船2隻が、中国の税関パトロール船に発砲された。中国人税関警備兵がこの日本漁船に乗船し捜索したが、犯罪に関するものは何も発見されなかった。
11、1937年6月1日、中国人暴徒が天津付近の日本人経営の農場敷設を襲撃。1つの倉庫と3つの住居に放火し、多数の日本人従業員が負傷。
(続く)
>おじさん、おじさん。
>はいはい!!
>当時中国で行われていた反日教育の実態を説明しましょうね(笑)
>ん、、教科書? 何でしょうか?
>少年 少女が教育されたとする書物なり、言動なりは、、、?
―――――――――――――――――――
またその一方で、幼稚園から大学に至るまであらゆる教育機関が、日本に対する敵意を幼児や若者の心に注入するために利用された。これは国民党が蒋介石の指導の下に1927年南京に政府を樹立した時、とりわけ顕著になった。1928年5月、南京の国民教育会議は次の決議を採択した。
1、国家の屈辱に関する豊富な資料を、中学校及び小学校の教科書に載せること。
2、われらの国家的屈辱に関する事実を宣伝し、どの国が中国の最大の敵であるかを国民に印象付けるために、あらゆる機会を用いて学校を利用すること。
3、国家の屈辱の描いている地図と絵を用いること。そしてあらゆる機会を利用して生徒の注意をそれらに向けさせること。
4、中国の最大の敵を打倒できる方法を、教師と生徒は共に学ぶこと。
この計画の中にある中国の「最大の敵」とは日本を意味していた。この計画が採択される以前においてさえも、幼稚園の本には次のような言葉が載っていた。
日本は敵だ!日本は中国から澎湖諸島と台湾を奪い、遼東半島を奪った。日本は侵略国だ。国民政府は、日本の侵略を阻止しこれらの領土を取り返すことを目的とする政府だ。
これと同じ話はあらゆる教育機関で、別の言葉で繰り返し述べられている。実際問題として、中国は澎湖諸島にはっきりとした名称をつけたことはこれまで一度もなかった。台湾(フォルモサ)は1894年の日清戦争後に日本へ割譲された。遼東半島は1904〜5年の日露戦争後に、日本が中国からではなくロシアから獲得したものである。
(中略)
例えば1936年8月、2人の日本の新聞特派員(大阪毎日と東京日日の外国関係ニュース担当)が投石され、刺され、物を奪われた上に殺害された。その犯人は四川省成都の暴徒と化した少年少女である。
(中略)
○北支
1、1935年5月、日本贔屓の傾向のある2人の中国人新聞編集者が天津で殺害された。
2、1935年8月、満州国国境から天津に向け走行中の満州国・中国国際列車が匪賊に襲撃された。調査により判明したところでは、彼らは天津の反日組織に扇動されていた。約20名の乗客が殺害された。
3、1935年12月17日、天津の日本軍守備隊総司令官多田陸軍中将の邸宅に爆弾が投げ込まれ、中国人召使が負傷。
4、1936年1月2日、天津付近のタークーで2軒の日本人商店が中国正規兵により略奪された。
5、1936年6月19日、山東省防東で日本人が中国人に射殺された。
6、1936年6月26日、北京付近で中国正規兵が、豊台日本軍守備隊に所属する日本人兵士を襲撃し重傷を負わせた。それに対する謝罪を要求して中国軍兵営に赴いた日本陸軍大尉が中国兵に刀と銃剣で斬りつけられた。
7、1936年7月22日、天津の市役所所属の中国人警備兵が、天津の日本総領事館に勤務する2名の警官を領事館前で銃撃。1人死亡、1人重傷。
8、1936年8月23日、河北公共治安部隊の数名の兵士が、天津の日本語学校を襲撃し略奪。日本人教師に暴行を加え拉致。
9、1936年10月、反日組織に扇動されたストライキが発生。山東省青島の日本人経営の紡績工場が2週間閉鎖。
10、1937年5月23日、満州国大連沖で操業中の日本漁船2隻が、中国の税関パトロール船に発砲された。中国人税関警備兵がこの日本漁船に乗船し捜索したが、犯罪に関するものは何も発見されなかった。
11、1937年6月1日、中国人暴徒が天津付近の日本人経営の農場敷設を襲撃。1つの倉庫と3つの住居に放火し、多数の日本人従業員が負傷。
(続く)
これは メッセージ 6295 (yominokuni56 さん)への返信です.