南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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上海戦から南京攻略[帝国の国防方針」

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/05/21 06:28 投稿番号: [5726 / 41162]
中国との全面戦争作戦を考えていなかった日本の軍中央並びに政府には、8月14日、15日に首都南京爆撃 を強行しなければならない理由など無かった。

これは海軍の戦略意図から強行されたものとされている。

1936年8月海軍は「帝国国防方針 」が陸軍の戦略に基づいてソ連を敵国とする「北進論」であったのを、米英を仮想敵国とする「南進論」を入れさせ、「南北並進論」に改訂させる事に成功した。

この「帝国国防方針」の改訂に奔走したのが、第3艦隊司令長官となって、廬溝橋事件以後の海軍の日中全面戦争作戦を指揮した長谷川清中将である。

海軍は1936年日中全面戦争の作戦計画を作成し臨戦態勢を準備し、廬溝橋事件を好機とし、上海攻略戦を初めとして中国全土の都市空襲や中国沿岸の海上封鎖、中国海軍基地の攻撃など、積極的に全面作戦を展開し、海軍の実績を誇示することにより巨額の軍事費を獲得、海軍軍備拡張計画の実現を図ろうとしていた。

南京渡洋爆撃もすでに前年に計画、準備されていたと考えられる、そうでなければ、第2次上海事変の勃発と同時に決行することなど不可能であったであろうことは明白である。

海軍部内では「戦艦主兵、艦隊決戦思想」「大艦巨砲主義」を堅持する海軍主流派と航空戦力の開発拡充を重視する「航空主兵、戦艦無用論」を唱える海軍航空関系者との間に激しい対立が生じていた。

後者の理論的、技術的、実戦的支柱が山本五十六中将であった。

山本五十六は航空戦力を空母などの艦隊付属物から独立させ、陸上から発進させて敵艦隊を攻撃出来る新航空兵力を拡充するため地上発進の長距離大型爆撃機の開発を構想し、航空本部長時代に長距離爆撃機の開発を促進させた。

「帝国国防方針」に「南進論」を併記させた海軍は、「国策の基準 」に米海軍に対抗出来る海軍軍備の拡充を定めた。

「南進論」の戦略思想は”中国の宝庫”を巡る日米の争いはやがては太平洋を舞台とした戦いとなるであろう、そのため対米戦を目標に軍備を強化して中国全土、主に米英の権益が集中する華中、華南において日本海軍の制空権、制海権を確立することが急務とされるというものであった。

山本五十六中将が開発させた陸上基地から敵艦隊を攻撃するための攻撃機が三菱重工で完成、96式陸上攻撃機と命名される。搭乗員5名、最高速度370km航続距離4380km当時にあっては世界最優秀機であった。(軍備拡張の近代史)
この様な海軍の動向から南京渡洋爆撃の強行は96式攻撃機の性能テスト、実戦演習をしてみたかったと言えるのではないだろうか?

当時の外務省東亜局長の石射猪太郎は「海軍もだんだんオオカミになりつつある」と8月13日の日記に記している(石射猪太郎日記)
陸軍中央や日本政府が全面戦争を避けて、事変の和平解決を模索している段階で海軍は軍令部「対支作戦計画内案」37年7月12日   =(廬溝橋事件の現地で日中両軍の停戦協定が成立した翌日に策定 )に基づいて中国の制空権、制海権を掌握するための全面戦争を展開し、陸上戦の戦線をおあいまいなものとし、結局、陸軍はおよび 日本政府、国民を対中国全面戦争へと引きづりこんだのである。

海軍航空隊の南京渡洋爆撃攻撃の成功は軍部や政府、国民に中国の首都南京の占領は容易であるかのような楽観論を生みだし「海の荒鷲」はマスコミと国民の熱狂と支持は南京政府との平和的解決を考えていた不拡大派の石原完爾少将、陸軍省軍事局軍務課長柴山兼四郎大佐らの威信と影響力を削ぐこととなり、南京政府の屈服を叫ぶ拡大派が主流をしめる状況を作り出した。
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