(訂正)タウンゼントかルーズベルトか
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/15 05:03 投稿番号: [5606 / 41162]
年表が少し間違っていました。
>8月13日、蒋介石軍が包囲した上海の日本租界を攻撃開始
上海に「日本租界」はなく、あったのは「国際租界」と「フランス特権区域」でしたので、「国際租界の日本人居留区」が正しい表記になります。
ついでに、その前後も詳しく追加して再掲しておきます。
●1936年
12月12日、西安事件。蒋介石が張学良に騙され西安で監禁される。共産党の周恩来が蒋介石に抗日戦線の統一を約束させ釈放。
●1937年
7月7日、盧溝橋事件。演習中の日本軍が銃撃される。
7月9日、停戦協定が成立
7月10日、200人以上の支那兵が迫撃砲で攻撃再開
7月11日、停戦協定が成立
7月13日、支那兵が移動中の日本軍トラック2台に手榴弾を投げ込み全員を爆死
7月14日、支那兵が日本の騎馬兵を惨殺
7月16日、事件を収集させようとする宋哲元に対し、蒋介石は「日本の策謀に乗じるな、戦備を整えよ」と打電
★7月16日、アメリカのコーデル・ハル国務長官が日本の対支政策を非難
7月17日、蒋介石がラジオで『生死関頭』演説を行い戦争の決意を表明
7月25日、郎坊事件、日本軍が攻撃を受ける。
7月26日、広安門事件、日本軍が攻撃を受ける。
7月28日、日本軍が華北への攻撃を開始。
7月29日、通州事件。日本人居留民約260名が虐殺される。
8月9日、和平会談の予定だったが、海軍陸戦隊の大山中尉が惨殺される。
8月13日、蒋介石軍が包囲した上海の国際租界の日本人居留区を攻撃開始
8月14日、支那軍が上海市街のホテルなどを爆撃。これを日本軍の仕業と世界中に宣伝。
8月23日、支那軍が上海のデパートを爆撃。これも日本軍の仕業と世界中に宣伝。
★10月5日、ルーズベルト大統領が「戦争伝染病を隔離せよ」と演説
11月2日、広田外相が正式にドイツ大使に仲介を依頼し、日本側の条件を提示。
11月6日、駐支ドイツ大使が日本の和平案を伝えるが、蒋介石はこれを蹴る。
12月10日、南京を包囲された支那軍が日本の降伏勧告を無視
南京陥落後、日本はまたもや和平を持ちかける。
●1938年
1月2日、ドイツ大使トラウトマンが日本の和平案の返事を聞くために蒋介石を訪問しようとしたが、蒋介石は会わず。
1月15日、日本の和平案を蒋介石が蹴る。
1月16日、日本政府が「国民政府(蒋介石)を相手とせず」と声明。
6月12日、蒋介石軍が黄河の堤防を決壊させる。 日本軍による救出活動も虚しく住民60万人が罹災し12万人が行方不明。支那軍はこの黄河と揚子江の堤防決壊を日本軍の仕業と世界中に宣伝。
これは メッセージ 5604 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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