南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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インドネシア

投稿者: heinz_bar 投稿日時: 2005/05/09 19:08 投稿番号: [5469 / 41162]
「日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。第一に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展をとげた。第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。第三に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた。…」
  インドネシア中学3年用歴史教科書
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  日本軍のインドネシア攻略は1942年1月に始まり、3月9日には早くもオランダ軍を全面降伏させました。
これはインドネシアの人々にとっては驚異でした。インドネシアを300年にわたって支配したオランダが、たった1週間で降参させたからです。
  日本軍はクディリ王国(東ジャワ)のジョヨボヨ王(13世紀初め)が残した予言、「北から黄色い人間がやってきて、白い人間を追い払い、しばらくの間支配しその後幸福な時代が始まる」を思い起こさせ、人々は日本軍を紅白旗(国旗)と国歌の大合唱で迎えたのです。

  日本の占領統治は3年5ヶ月に過ぎませんが、日本の統治がインドネシアの社会に与えた影響は大きなものでした。

  日本軍はさっそくスカルノやハッタらを解放し、将来の独立の約束と引き替えに日本軍政への協力を取り付けました。
  「オランダ領東インド」という国名を待望の「インドネシア」に、「バタヴィア」は「ジャカルタ」に改称しました。
  また、オランダ人の代わりにインドネシア人を役所や企業でかなり高い地位につけたので、彼らの社会進出が飛躍的に進みました。
  さらに、公用語をオランダ語からインドネシア語に改めたことは、インドネシアに誇りと自信を取り戻させました。
  その一方、「隣組」「警防団」など様々な団体が作られ、統制の訓練が行われたことは、オランダの分割統治によって消えていた組織原理をインドネシアに人に覚えさせ、刺激を与えました。さらに重要なのは、オランダが決して行わなかった軍事教練も開始したことです。最初は日本軍内の補助兵力「兵補」が養成され、のちにこれは日本敗戦後のオランダとの独立戦争の時の大きな力となったのです。
  このように、日本軍政下のインドネシアでは、後の独立に繋がる大きな力が養われました。

  また、日本の敗戦後、インドネシアに残った約2000人の日本兵がインドネシア人と共にオランダと戦い、1000人が戦死しています。その後インドネシアは勝利し、1949年、念願の独立を手にします。そしてこの1000人の日本兵は、インドネシアの国営英雄墓地に埋葬されており、その中の数名は独立名誉勲章を授与されています。
  こういう経緯があり、インドネシアの独立記念日に国旗を掲揚する際には、二人の男女と日本軍服を着た人の3人で国旗を掲揚するという習慣ができています。そして独立記念塔に奉納されている独立宣言書に記載されている年月は「05年8月17日」   独立に多大な貢献をした日本に敬意を払い、西暦ではなく、「日本皇紀」を使用しているのです。(皇紀2605年)

そして最後に戦後賠償の交渉に当たった国会議長のアルジ=カルタウイナタ氏の言葉を
「独立のお祝いというつもりで賠償金をください。日本が悪いことをしたから賠償をしろというのでありません」

http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/11839865.html

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