>やっぱり・・ 笑うの?
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/05/08 08:03 投稿番号: [5403 / 41162]
>私はもう君に関わるつもりはないんだが。
そろそろ連休も終わりなので、私もそう思っています。
>どうせ蘊蓄自慢ばかりで誠実な回答が返ってこないことは前回でよく分かったから。
何をもって「誠実な回答」と言われるのか知りませんが、私は知る限りの事実と合理的な解釈だと考えることについて述べています。
>物証、傍証、反証を全て考慮した上で作成する警察の調書となんの物証も傍証もなく十歳未満の子供とその時現場にいなかった隣人の噂話を継ぎ接ぎした「報告書」とやらを同列視するのかい?
先にも述べたように、今日確認できる確かな事実は次の通りです。
1.南京陥落後しばらくして、安全区の外、市の南部地域で一家の惨殺死体が発見された
2.現場には幼い少女二人が怪我をした状態で生存していた。
3.宣教師で鼓楼病院の事務長であったジョン・マギーがこの状況を映画に殺利した
4.マギーは本人と関係者への聞き取りから、殺人は12月13日の朝9時頃、日本軍の城内掃蕩開始直後に
日本軍衣より発生したと判断し、自分の確認した事実を書き残した
5.事件のことは日本側への抗議文書や他の安全区外国人の日記や書簡にも記録されており、複数の人間が
事実として認識していた
以上は理解いただいたということでよろしいですね?
>十人か二十人か三十人か四十人か、常に動き回っている集団の人数を見ているだけで把握するのにどれだけの習熟が必要だと思うんだ?
犯人の数が正確にいくらであるかが、それほど大きな問題でしょうか?
「約30人」が半分の15人だったら、事件の有無が変わるとか、推定される加害者が変わるとかしますか?
一人ずつ逮捕して処罰するならともかく、事件の概要を把握するのに「約30人」では不足なのでしょうか。
>共用の水場?
その水を進駐してきた日本軍は何故使わなかったのかね?
負傷者の手当、馬の飲み水、使い道はいくらでもある。
子供二人が二週間生き延びるだけの水の量であれば、知れていると思います。
水は共用の水瓶に蓄えられていたということは説明済みです。
軍は多量の水を必要としますので、民家の水瓶を確認して回っていたのでは効率が悪かったのかもしれません。
いずれにしても、これは推測に対して推測で答えているだけでしかありませんが。
確かな事実は、子供が二人生き延びていた、という点にあるわけです。
>だいたい、中庭にいつ水を飲みに行くんだ。夜中にこっそり抜け出していくのか?
四歳の子供が、日中、喉の渇きを我慢してか。
屋内からのこのこ子供が這い出してきて、向かいの家にいた日本兵は二週間もの間それに気がつかなかったと?
ここで図が示せないのですけど、この家屋は厳重に塀で囲まれた長屋のようなものだということは先に述べたとおりです。
向かいの世帯はアパートの向かいの部屋のようなところに当たります。
日本軍が接収していた向かいの家とは門の外の家です。
また、現場の写真を見る限りでは、市内とは言うもののさほど家屋は密集していないようです。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=309;id=imgbord#at op
>何から何まで無理がありすぎだよ、君の言っていることは。
いやー、私が言ってるんじゃあなくて、当時現場を調査した人が書き残しているのですが。
私としては、その記録からなるべくはみ出さないように気を付けて書いています。
>最も重要な点はね、惨殺死体があった、それが何故、日本軍の仕業ということになるんだ?
日本軍占領後において集団で乱暴を働くことが出来たのは日本軍以外にないし、
現に日本軍が多数の住民を殺害していると認識されていた。
だから日本軍だと判断した。
当時の安全区関係者がそう判断するのは、無理のない解釈だと思います。
>日本軍は自らの犯罪の痕跡を、何故二週間も放置していたんだ?
日本軍の優先課題は治安確保ですから、敗残兵の狩り出しと住民の登録を優先して行っています。
市内の清掃は大通りから始めて、裏通りへと進みます。
日本軍が埋葬に本格的に取り組み始めるのはラーベ日記によれば2月に入ってからです。
そろそろ連休も終わりなので、私もそう思っています。
>どうせ蘊蓄自慢ばかりで誠実な回答が返ってこないことは前回でよく分かったから。
何をもって「誠実な回答」と言われるのか知りませんが、私は知る限りの事実と合理的な解釈だと考えることについて述べています。
>物証、傍証、反証を全て考慮した上で作成する警察の調書となんの物証も傍証もなく十歳未満の子供とその時現場にいなかった隣人の噂話を継ぎ接ぎした「報告書」とやらを同列視するのかい?
先にも述べたように、今日確認できる確かな事実は次の通りです。
1.南京陥落後しばらくして、安全区の外、市の南部地域で一家の惨殺死体が発見された
2.現場には幼い少女二人が怪我をした状態で生存していた。
3.宣教師で鼓楼病院の事務長であったジョン・マギーがこの状況を映画に殺利した
4.マギーは本人と関係者への聞き取りから、殺人は12月13日の朝9時頃、日本軍の城内掃蕩開始直後に
日本軍衣より発生したと判断し、自分の確認した事実を書き残した
5.事件のことは日本側への抗議文書や他の安全区外国人の日記や書簡にも記録されており、複数の人間が
事実として認識していた
以上は理解いただいたということでよろしいですね?
>十人か二十人か三十人か四十人か、常に動き回っている集団の人数を見ているだけで把握するのにどれだけの習熟が必要だと思うんだ?
犯人の数が正確にいくらであるかが、それほど大きな問題でしょうか?
「約30人」が半分の15人だったら、事件の有無が変わるとか、推定される加害者が変わるとかしますか?
一人ずつ逮捕して処罰するならともかく、事件の概要を把握するのに「約30人」では不足なのでしょうか。
>共用の水場?
その水を進駐してきた日本軍は何故使わなかったのかね?
負傷者の手当、馬の飲み水、使い道はいくらでもある。
子供二人が二週間生き延びるだけの水の量であれば、知れていると思います。
水は共用の水瓶に蓄えられていたということは説明済みです。
軍は多量の水を必要としますので、民家の水瓶を確認して回っていたのでは効率が悪かったのかもしれません。
いずれにしても、これは推測に対して推測で答えているだけでしかありませんが。
確かな事実は、子供が二人生き延びていた、という点にあるわけです。
>だいたい、中庭にいつ水を飲みに行くんだ。夜中にこっそり抜け出していくのか?
四歳の子供が、日中、喉の渇きを我慢してか。
屋内からのこのこ子供が這い出してきて、向かいの家にいた日本兵は二週間もの間それに気がつかなかったと?
ここで図が示せないのですけど、この家屋は厳重に塀で囲まれた長屋のようなものだということは先に述べたとおりです。
向かいの世帯はアパートの向かいの部屋のようなところに当たります。
日本軍が接収していた向かいの家とは門の外の家です。
また、現場の写真を見る限りでは、市内とは言うもののさほど家屋は密集していないようです。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=309;id=imgbord#at op
>何から何まで無理がありすぎだよ、君の言っていることは。
いやー、私が言ってるんじゃあなくて、当時現場を調査した人が書き残しているのですが。
私としては、その記録からなるべくはみ出さないように気を付けて書いています。
>最も重要な点はね、惨殺死体があった、それが何故、日本軍の仕業ということになるんだ?
日本軍占領後において集団で乱暴を働くことが出来たのは日本軍以外にないし、
現に日本軍が多数の住民を殺害していると認識されていた。
だから日本軍だと判断した。
当時の安全区関係者がそう判断するのは、無理のない解釈だと思います。
>日本軍は自らの犯罪の痕跡を、何故二週間も放置していたんだ?
日本軍の優先課題は治安確保ですから、敗残兵の狩り出しと住民の登録を優先して行っています。
市内の清掃は大通りから始めて、裏通りへと進みます。
日本軍が埋葬に本格的に取り組み始めるのはラーベ日記によれば2月に入ってからです。
これは メッセージ 5386 (nmwgip さん)への返信です.