金魚屋、手抜きが目立つぞ
投稿者: filthymacnasty2 投稿日時: 2005/03/18 13:53 投稿番号: [4866 / 41162]
今度はkinngyoyaか
yominokuni、oityantyanなど多ハンはバレバレ
正々堂々とコテハンで勝負せんかい
>南京爆撃、重慶の爆撃
これは、戦時下でも特殊な事例として大々的な宣伝がなされている所謂「南京大虐殺」とはぜんぜん性質が違うだろう
連合軍も日本やドイツの都市ぐらい何ヶ所も無差別爆撃しているぞ
>シンガポール、マレーシアなどでは華僑を数万人虐殺しています
シンガポールやマレーシアでは抗日ゲリラ(大部分が華僑)が逮捕され処刑された
その中に不幸にも抗日ゲリラに間違われて処刑された華僑がいたことは事実らしいが、戦時下という事情を考えれば、ある程度は避けがたいことだった
なおマレーシアでの華僑の犠牲者数は数千人だ
シンガポールでは一部行き過ぎの処刑があったとも聞くが、それにしても“華僑数万人虐殺”などというのは白髪三千丈の類だな
シンガポールでの華僑の犠牲者数は、許雲樵「南洋大学」教授によれば、約8600人ということになってるぞ(因みに、日本側主張だと約5000人)
>インドネシア、仏印、フィリッピンなどではロームシャ狩りをして数万人を強制労働させ半数を過労死、餓死させています
インドネシアでの“ロームシャ”動員数は14〜16万人、このうち数千人が死亡したといわれている(その後の、英蘭軍との「独立戦争」で、約60万人が犠牲になったことは知っているんだろうな)
仏印については、ベトナムで飢饉が発生し当時の人口約700万人の約4%前後が餓死したといわれているが、これはもとより天災であり、「日本軍」が食料を強奪したせいではない(1943〜44年の飢饉では、ベンガル地方では約350万人もの餓死者が出ている)
なおホー・チミンの「独立宣言」に出てくる“餓死者200万人”という数字が一人歩きして、日本の「歴史教科書」にも載っているが、これは実数を約10倍に膨らませたもの
フィリピンについては、二度にわたって戦場になっており、特にマッカサーがオーストラリアから帰還してからは激戦が戦わされたので、住民の犠牲者も多かった(「東京裁判」によれば、犠牲者は軍人2万7258人、民間人9万1184人となっている、これが信用できる数字かどうかに関しては諸説があるが)
>よく知られている、バターン死の行進も同じく、欧米の捕虜数万人が死んでいます
1942年4月9日の「バターン占領」で捕虜になったのは米兵約1万2000人、フィリピン兵約6万4000人だ
このうちバターンからサンフェルナンドへの約60kmの移送中に行方不明(多くは死亡したのだろうが)になったのは
米兵約1200人、フィリピン兵約1万6000人だ
“欧米の捕虜数万人が死んでいます”などという言い方は、単なる“物知らず”というよりも歴史捏造の臭いがするな
>例え兵士といえども、武器も無く、手ぶらで投降してくる者を殺害することは、人間としても許されることでは無いでしょう、それを虫けら同然に殺害してきたのが日本軍なのです、と思っているのが、、現状の私ですよ
とすれば、認識不足も甚だしいね
まず、戦場で兵士が個人的にふらふら投降してくることなどほとんどあり得ないって知ってる? もしあったとすれば、それは敵前逃亡だろうね
投降というのは、部隊の指揮官が白旗を掲げて投降の意思表示をし、武器もきちんと相手方に引き渡すというのがルールだよ
もっとも、「中共雑記」(エドガー・スノー)、「長征への道」(ロバート・ペイン)、「中国紅軍は前進する」(アグネス・スメドレー)などを読んでいると、「日本軍」というところを「国民党軍」や「共産党軍」に置き換えれば、確かに人を“虫けら同然に殺害”するようなことがしばしばあったらしいね
“海陸豊地方は「国民党軍」に包囲され、朱徳率いる軍を歓迎した女達は何一つ容赦されず、村はことごとく焼かれ、大部分の女は暴行を受け、ほとんど皆銃剣で殺傷された” −「長征への道」より
“紅軍が長沙の街を占領した瞬間から、国民党と帝国主義者どもは大恐慌に陥った、戒厳令が海岸、及び河岸流域の都市に敷かれた (中略) 漢口、上海、広東、天津で嫌疑者の大量逮捕が始まり、連射銃を持った特別警察が各工場に配置された、そしてこれら揚子江流域の姉妹都市は、連日大量虐殺の舞台となった” −「中国紅軍は前進する」より
yominokuni、oityantyanなど多ハンはバレバレ
正々堂々とコテハンで勝負せんかい
>南京爆撃、重慶の爆撃
これは、戦時下でも特殊な事例として大々的な宣伝がなされている所謂「南京大虐殺」とはぜんぜん性質が違うだろう
連合軍も日本やドイツの都市ぐらい何ヶ所も無差別爆撃しているぞ
>シンガポール、マレーシアなどでは華僑を数万人虐殺しています
シンガポールやマレーシアでは抗日ゲリラ(大部分が華僑)が逮捕され処刑された
その中に不幸にも抗日ゲリラに間違われて処刑された華僑がいたことは事実らしいが、戦時下という事情を考えれば、ある程度は避けがたいことだった
なおマレーシアでの華僑の犠牲者数は数千人だ
シンガポールでは一部行き過ぎの処刑があったとも聞くが、それにしても“華僑数万人虐殺”などというのは白髪三千丈の類だな
シンガポールでの華僑の犠牲者数は、許雲樵「南洋大学」教授によれば、約8600人ということになってるぞ(因みに、日本側主張だと約5000人)
>インドネシア、仏印、フィリッピンなどではロームシャ狩りをして数万人を強制労働させ半数を過労死、餓死させています
インドネシアでの“ロームシャ”動員数は14〜16万人、このうち数千人が死亡したといわれている(その後の、英蘭軍との「独立戦争」で、約60万人が犠牲になったことは知っているんだろうな)
仏印については、ベトナムで飢饉が発生し当時の人口約700万人の約4%前後が餓死したといわれているが、これはもとより天災であり、「日本軍」が食料を強奪したせいではない(1943〜44年の飢饉では、ベンガル地方では約350万人もの餓死者が出ている)
なおホー・チミンの「独立宣言」に出てくる“餓死者200万人”という数字が一人歩きして、日本の「歴史教科書」にも載っているが、これは実数を約10倍に膨らませたもの
フィリピンについては、二度にわたって戦場になっており、特にマッカサーがオーストラリアから帰還してからは激戦が戦わされたので、住民の犠牲者も多かった(「東京裁判」によれば、犠牲者は軍人2万7258人、民間人9万1184人となっている、これが信用できる数字かどうかに関しては諸説があるが)
>よく知られている、バターン死の行進も同じく、欧米の捕虜数万人が死んでいます
1942年4月9日の「バターン占領」で捕虜になったのは米兵約1万2000人、フィリピン兵約6万4000人だ
このうちバターンからサンフェルナンドへの約60kmの移送中に行方不明(多くは死亡したのだろうが)になったのは
米兵約1200人、フィリピン兵約1万6000人だ
“欧米の捕虜数万人が死んでいます”などという言い方は、単なる“物知らず”というよりも歴史捏造の臭いがするな
>例え兵士といえども、武器も無く、手ぶらで投降してくる者を殺害することは、人間としても許されることでは無いでしょう、それを虫けら同然に殺害してきたのが日本軍なのです、と思っているのが、、現状の私ですよ
とすれば、認識不足も甚だしいね
まず、戦場で兵士が個人的にふらふら投降してくることなどほとんどあり得ないって知ってる? もしあったとすれば、それは敵前逃亡だろうね
投降というのは、部隊の指揮官が白旗を掲げて投降の意思表示をし、武器もきちんと相手方に引き渡すというのがルールだよ
もっとも、「中共雑記」(エドガー・スノー)、「長征への道」(ロバート・ペイン)、「中国紅軍は前進する」(アグネス・スメドレー)などを読んでいると、「日本軍」というところを「国民党軍」や「共産党軍」に置き換えれば、確かに人を“虫けら同然に殺害”するようなことがしばしばあったらしいね
“海陸豊地方は「国民党軍」に包囲され、朱徳率いる軍を歓迎した女達は何一つ容赦されず、村はことごとく焼かれ、大部分の女は暴行を受け、ほとんど皆銃剣で殺傷された” −「長征への道」より
“紅軍が長沙の街を占領した瞬間から、国民党と帝国主義者どもは大恐慌に陥った、戒厳令が海岸、及び河岸流域の都市に敷かれた (中略) 漢口、上海、広東、天津で嫌疑者の大量逮捕が始まり、連射銃を持った特別警察が各工場に配置された、そしてこれら揚子江流域の姉妹都市は、連日大量虐殺の舞台となった” −「中国紅軍は前進する」より
これは メッセージ 4864 (kinngyoya301 さん)への返信です.