南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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>「1945年12月9日、『対日宣戦布告』<2

投稿者: samurai_03_japan 投稿日時: 2005/02/09 22:08 投稿番号: [4508 / 41162]
まず。
貴殿のresでは、先に攻撃を仕掛けたのは日本軍側となっておりますが。
時系列で表せば

1937年7月7日
19:30   支那駐屯歩兵旅団第1聯隊第3大隊第8中隊が蘆溝橋付近で、「薄暮の接敵行動と払暁攻撃の為の攻撃陣地構築」の夜間演習を開始
22:40   演習終了を告げる伝令に向って機関銃が誤って30〜40発の空砲を発射
直後、今度は後方(中国側)から数発の実包射撃を受ける
中隊長清水節郎大尉は演習中止を命令、集合ラッパを吹かせる
直後、更に十数発の実包が撃ち込まれるこの時、志水菊次郎二等兵が行方不明になった報告あり(のちに確認された)
清水大尉は大隊長一木清直少佐に報告、大隊長は北京城内の聯隊長牟田口廉也大佐から電話で指示を仰ぎ、
部隊を非常呼集、戦闘準備を整えるとともに、支那側に対し調査・謝罪を要求する交渉を行おうとする
7月8日
03:25   再度にわたる中国側からの射撃を受ける
05:30   牟田口聯隊長は戦闘開始を命令、応戦を開始
7月9日
04:00   中国側が蘆溝橋から撤退する協定が成立
7月11日
18:00   在北京特務機関長・松井太久郎大佐と中国側現地師(団)長との間に停戦協定が調印
7月12日   天津発同盟:中国軍(中央軍)の北上は活発を極め、武器弾薬の輸送も戦時状態を呈しつつあり
7月13日   夜、再度両軍発砲。(原因不明)
7月17日   蒋介石は「蘆溝橋事件は日本側の計画的挑戦行為であり『最後の関頭』の境界である」とする重大な決意を声明
7月20日   夜の閣議で条件付で内地3個師団の動員北支那派遣を決定上奏
7月21日   支那駐屯軍参謀長、事態刺激を避けるため内地動員師団を北支那にいれないよう意見具申
7月22日   陸軍中央部、内地師団と派兵を見合わせ
7月24日   「宮崎水兵失踪事件」発生、日中両軍警戒配備につく
7月25日   天津と北京の中間地点にて軍用電線を修理中の日本軍部隊が、張自忠の部隊から攻撃を受け多数の死傷者を出す「郎坊事件」が発生
7月26日   広安門城壁上からトラックに分乗した日本軍部隊を射撃する「広安門事件」が発生
7月27日   緊急閣議で内地3個師団等の動員派兵を決定、陸軍大臣上奏裁可
第5・第6・第10師団の動員下令と北支那派遣の大命を発令
7月28日   支那駐屯軍、作戦行動を開始
7月29日   通州の中国冀東保安隊が日本軍守備隊を攻撃し在留邦人を大量虐殺する「通州事件」発生

まず。停戦協定後も挑発・実際の襲撃を繰り返していたのはどちらであろうか?
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