>>横>ちょっと異なる点<2
投稿者: samurai_03_japan 投稿日時: 2005/02/06 00:29 投稿番号: [4449 / 41162]
>>上記部隊は全て日本帝国陸軍正規師団・正規旅団であり、各師団・旅団将校・兵員は正規の軍人。
>予備役、後備役の兵隊がほとんどです。
>その大部分が妻帯者、中年であり、上海戦終了後、日本へ帰国する予定であった軍隊です。
太平洋戦争末期と混同されておられるようですが...
当時の日本では「徴兵制」が施行されていた事はご存知かと思いますが。
徴兵検査の結果、
「甲種」
「第一乙種」
「第二乙種」
「丙種」
「丁種」
の、5段階に振り分けられます。
1939年(昭和14年)日中戦争が激化する前までは、実際に徴兵されるのは第1段階の「甲種合格」「第1乙種」者のみ。
それも、編成上必要人数を抽選で集められておりました。
「甲種」「第1乙種」でも、抽選で「外れた」人は徴兵されておりません。
ちなみに徴兵され、入営する新兵の年齢は20歳〜20代前半です。
1937年当時はまだまだそういった「2年現役兵」で全師団・部隊が編成されておりました。
徴兵検査で兵役に適すると判定されたものの一部が現役兵として徴兵され、その他の大多数は補充兵として、
既に現役を終えた人々とともに在郷軍人(“待機集団=予備役、後備役、等々”)に組織されます。
そして兵力が不足すると、これらの“待機集団”が、「赤紙」と呼ばれた召集令状により軍隊に「召集」されます。
戦争の激化に伴い、徴兵検査を受けた人のうち現役兵として徴集された人の割合(徴集率)は、
1937(昭和12)年
25%
1944(昭和19)年
77%
1945(昭和20)年
90%
と急上昇します。
そして、現役兵だけでまかなえない兵員需要を補うために,赤紙が乱発されたことはいうまでもありませんが、それは1943年頃からです。
1943年の統計では、現役徴集者約41万人に対し、赤紙による召集者は約105万人に及びます。
ですので、
>予備役、後備役の兵隊がほとんどです。
>その大部分が妻帯者、中年であり、上海戦終了後、日本へ帰国する予定であった軍隊です。
と言われているのは時期を混同されておるのかと。
これは メッセージ 4448 (samurai_03_japan さん)への返信です.
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