数千人の一般人処刑などあり得ない
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2004/12/20 22:51 投稿番号: [4248 / 41162]
>だが、安全区では戦闘が行われていない。
>戦闘による犠牲者は発生していない。
>つまり、スマイス報告の項目について、
>『冲突(衝突)』=『戦争(による犠牲)』
>=『日本兵による暴行で死んだ者』
>ということ。
いくら何でも、そりゃないよ。
例えば、支那軍の徴発・徴兵は、苛酷なものだった。
日本軍との戦闘が始まる前に、徴発などのトラブルで死んだり連れて行かれたことも十分に考えられる。
―――――――――――――――――――
軍隊の行動や戦争のやり方からだけでも、農民がどのような反応を示したかは想像に難くない。彼等は自らを守って生き延びようと努力したのである。彼等は国府軍の徴発する米に砂を混ぜ、白痴や片輪者を徴募兵として送り出し(注1)、敵軍がその必要とする軍用道路の工事に働く苦力に高い賃金を払うとなると、たちまち大挙して日本占領地帯に移住した。時には、彼等は隊を組んで国府軍の敗残兵を襲撃し、団結して徴募係の役人どもを虐殺した。河南省では、当局の無関心、無能力、穀物のトン積、さらには投機のために、1942年から43年にかけて起こった飢饉(注2)が大いに悪化したので、日本人が1944年にこの省に再び(注3)侵入した時、彼らにとっては事はことのほかに容易だった。彼らが前進してくるにつれて、農民は国民党の軍隊を襲撃し、武装解除し、時にはこれにリンチを加えたのである。
(注1)長々と述べるよりは、農民層の徴兵に対する態度を一層よく説明するような挿話をもう1つ紹介しよう。これは外敵の侵略による農民ナショナリズムの誕生を分析しようとする場合に、無視できないような生の事実の1つである。河南省の鞏県に住む或る貧農の夫婦は炭鉱の坑夫をしている1人息子の賃銀のおかげで漸く暮らしていた。年の頃は40歳前後のこの夫婦に突然2人目の息子ができたときに、徴募係の役人どもがやって来て、長男は軍隊に入らなければならないと夫婦に告げた。法規によれば、1軒の家で息子1人だけが徴兵を免除されることになっているからというのである。妻はもしその息子がいなくなれば、自分たちは飢え死にすると説明して、嘆願した。だが土地の役人たちは耳を傾けようとしなかった。すると、彼女は家に帰って、赤ん坊を地べたに続けざまに打ちつけて死なせてしまった。
(注2)未確認の数字であるが、この飢饉のために凡そ200万の死者を出したといわれる。
(注3)戦争の初期に、彼等は1度ここを占領したことがある。
『中国革命の起源 1915−1945』ルシアン・ビアンコ著
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私はうけ合ってもいい、抗戦八年のあいだにこうしてふみにじられた同胞、いわゆる壮丁から弱丁になり、弱丁から病丁になり、病丁から死丁になって行った同胞の数は、戦死したもの、日本軍に殺されたものにくらべて、最低百倍は超えているに違いない。
『抗日戦回想録』 郭沫若自伝
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>あと、裁判無しでの一般人処刑を正当化できる国際法規は存在しない。
だから、一般人の処刑など全然していない。
処刑した便衣兵の中に、もしかしたら一般人も含まれていたかも知れないが。
>便衣兵『容疑者』の処刑ついて。
>「真実は分からないが、哀れな犠牲者が多少含まれているとしても、致し方のないことだろう」
>(第9師団水谷上等兵の日記)
そのとおり。
一般人が多少含まれていても、致し方のないことだ。
安全区に潜入した多数の便衣兵は本当に許せない。
>新しい情報が無い限り、お互いに返信は不要だね。
どうぞ、ご自由に。
>戦闘による犠牲者は発生していない。
>つまり、スマイス報告の項目について、
>『冲突(衝突)』=『戦争(による犠牲)』
>=『日本兵による暴行で死んだ者』
>ということ。
いくら何でも、そりゃないよ。
例えば、支那軍の徴発・徴兵は、苛酷なものだった。
日本軍との戦闘が始まる前に、徴発などのトラブルで死んだり連れて行かれたことも十分に考えられる。
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軍隊の行動や戦争のやり方からだけでも、農民がどのような反応を示したかは想像に難くない。彼等は自らを守って生き延びようと努力したのである。彼等は国府軍の徴発する米に砂を混ぜ、白痴や片輪者を徴募兵として送り出し(注1)、敵軍がその必要とする軍用道路の工事に働く苦力に高い賃金を払うとなると、たちまち大挙して日本占領地帯に移住した。時には、彼等は隊を組んで国府軍の敗残兵を襲撃し、団結して徴募係の役人どもを虐殺した。河南省では、当局の無関心、無能力、穀物のトン積、さらには投機のために、1942年から43年にかけて起こった飢饉(注2)が大いに悪化したので、日本人が1944年にこの省に再び(注3)侵入した時、彼らにとっては事はことのほかに容易だった。彼らが前進してくるにつれて、農民は国民党の軍隊を襲撃し、武装解除し、時にはこれにリンチを加えたのである。
(注1)長々と述べるよりは、農民層の徴兵に対する態度を一層よく説明するような挿話をもう1つ紹介しよう。これは外敵の侵略による農民ナショナリズムの誕生を分析しようとする場合に、無視できないような生の事実の1つである。河南省の鞏県に住む或る貧農の夫婦は炭鉱の坑夫をしている1人息子の賃銀のおかげで漸く暮らしていた。年の頃は40歳前後のこの夫婦に突然2人目の息子ができたときに、徴募係の役人どもがやって来て、長男は軍隊に入らなければならないと夫婦に告げた。法規によれば、1軒の家で息子1人だけが徴兵を免除されることになっているからというのである。妻はもしその息子がいなくなれば、自分たちは飢え死にすると説明して、嘆願した。だが土地の役人たちは耳を傾けようとしなかった。すると、彼女は家に帰って、赤ん坊を地べたに続けざまに打ちつけて死なせてしまった。
(注2)未確認の数字であるが、この飢饉のために凡そ200万の死者を出したといわれる。
(注3)戦争の初期に、彼等は1度ここを占領したことがある。
『中国革命の起源 1915−1945』ルシアン・ビアンコ著
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私はうけ合ってもいい、抗戦八年のあいだにこうしてふみにじられた同胞、いわゆる壮丁から弱丁になり、弱丁から病丁になり、病丁から死丁になって行った同胞の数は、戦死したもの、日本軍に殺されたものにくらべて、最低百倍は超えているに違いない。
『抗日戦回想録』 郭沫若自伝
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>あと、裁判無しでの一般人処刑を正当化できる国際法規は存在しない。
だから、一般人の処刑など全然していない。
処刑した便衣兵の中に、もしかしたら一般人も含まれていたかも知れないが。
>便衣兵『容疑者』の処刑ついて。
>「真実は分からないが、哀れな犠牲者が多少含まれているとしても、致し方のないことだろう」
>(第9師団水谷上等兵の日記)
そのとおり。
一般人が多少含まれていても、致し方のないことだ。
安全区に潜入した多数の便衣兵は本当に許せない。
>新しい情報が無い限り、お互いに返信は不要だね。
どうぞ、ご自由に。
これは メッセージ 4240 (manifest1destiny さん)への返信です.