散るぞ悲しき― 改ざんされた電報(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/08 00:20 投稿番号: [41065 / 41162]
補給路の確保も増援の手立ても見通しが立たない状況にもかかわらず
最後まで 自軍に 撤退も降服も許さず、文字通り 「死守」 を命じ、
多くの将兵の命を奪い続けた日本軍部の 構造的欠陥を、明確に示す
例として、もう一つ 上げるとすれば、それは 硫黄島の戦いだろう。
硫黄島の攻防戦は、太平洋戦争における最大の激戦として 知られる。
当時、硫黄島守備隊の指揮をとった 栗林忠道中将は、もともと
海軍の 山本五十六長官と同様に、アメリカ滞在の 経験があった。
両国の戦力の差を 熟知しており、当時の日本軍の中でも 最後まで
開戦に否定的な 理性派として、貴重な存在だった。
攻撃開始前、米軍は 硫黄島が 5日程度で落ちる と見込んでいた。
しかし、栗林は 徹底した持久戦によって、強大な敵を 迎え撃った。
守備隊は地下に潜り、劣悪な環境のなかで 36日間も 闘い続けた。
栗林が 昭和20年3月16日、最後の総突撃を前に 発した無電、
いわゆる 「訣別電報」の電文が、防衛省の資料に 記録されている。
訣別電報の実物は、現在も 遺族の手元に 大切に 保管されている。
大本営宛ての電文が、栗林家に あるのは、硫黄島の「玉砕」が新聞で
報じられた 3月22日に、大本営陸軍部の大佐が 栗林の妻を訪ね、
「これをもって遺骨と思われるべし」 と言って、渡していったからだ。
電報には 「軍事極秘」 「警急」という赤いスタンプが押されている。
以下に、その電文の一部を 抜粋して、引用する。
戦局最後の関頭に直面せり(中略) 宛然徒手空拳を以て
克く健闘を続けたるは 小職自ら聊か悦びとする所なり
然れども飽くなき敵の猛攻に相次で斃れ 為に御期待に反し
此の要地を 敵手に委ぬる外なきに至りしは
小職の誠に恐懼に堪へざる所にして 幾重にも御詫申し上ぐ
今や弾丸尽き水涸れ 全員反撃し最後の敢闘を行はんとする
電文にある 「弾丸尽き水涸れ」 というのは、決して 修辞ではない。
大本営は まともな補給路も確保せずに、孤島の守備を命じた 結果、
守備隊の砲弾は 尽きていた。 米軍戦車隊を撃破して進軍を阻止した
砲兵に対して感状が授与されることになったとき、当の 砲兵隊長が
「感状などより弾が欲しい」 と訴えて涙した、という話も 残っている。
砲は健在だが 弾薬はすでに無く、できることは肉迫攻撃しかなかった。
また、硫黄島の 水不足に関しては よく知られている。
島には 一本の川もなく、井戸を掘っても 濁った塩水しか出てこない。
飲み水は 雨水に頼るほかなく、戦闘が始まると 貯水槽は 破壊され、
生命を支える最低限の水さえも 確保することが困難となっていたのだ。
戦場は 地獄というほかなく、勝利の可能性は まったく 無かった。
大本営は、補給も援軍も送らず、守備隊の兵士を 撤退させることも、
敵に降服することも 最後まで許さず、全員を見殺しにしてしまった。
兵士たちが 地獄の中で、勝ち目のない戦闘に 身を投じているとき、
軍の統帥権を持つ 大元帥陛下は、臣下から和平工作を上奏されても、
いま一度戦果をあげてから交渉せよ として、その進言を退けていた。
最後まで 自軍に 撤退も降服も許さず、文字通り 「死守」 を命じ、
多くの将兵の命を奪い続けた日本軍部の 構造的欠陥を、明確に示す
例として、もう一つ 上げるとすれば、それは 硫黄島の戦いだろう。
硫黄島の攻防戦は、太平洋戦争における最大の激戦として 知られる。
当時、硫黄島守備隊の指揮をとった 栗林忠道中将は、もともと
海軍の 山本五十六長官と同様に、アメリカ滞在の 経験があった。
両国の戦力の差を 熟知しており、当時の日本軍の中でも 最後まで
開戦に否定的な 理性派として、貴重な存在だった。
攻撃開始前、米軍は 硫黄島が 5日程度で落ちる と見込んでいた。
しかし、栗林は 徹底した持久戦によって、強大な敵を 迎え撃った。
守備隊は地下に潜り、劣悪な環境のなかで 36日間も 闘い続けた。
栗林が 昭和20年3月16日、最後の総突撃を前に 発した無電、
いわゆる 「訣別電報」の電文が、防衛省の資料に 記録されている。
訣別電報の実物は、現在も 遺族の手元に 大切に 保管されている。
大本営宛ての電文が、栗林家に あるのは、硫黄島の「玉砕」が新聞で
報じられた 3月22日に、大本営陸軍部の大佐が 栗林の妻を訪ね、
「これをもって遺骨と思われるべし」 と言って、渡していったからだ。
電報には 「軍事極秘」 「警急」という赤いスタンプが押されている。
以下に、その電文の一部を 抜粋して、引用する。
戦局最後の関頭に直面せり(中略) 宛然徒手空拳を以て
克く健闘を続けたるは 小職自ら聊か悦びとする所なり
然れども飽くなき敵の猛攻に相次で斃れ 為に御期待に反し
此の要地を 敵手に委ぬる外なきに至りしは
小職の誠に恐懼に堪へざる所にして 幾重にも御詫申し上ぐ
今や弾丸尽き水涸れ 全員反撃し最後の敢闘を行はんとする
電文にある 「弾丸尽き水涸れ」 というのは、決して 修辞ではない。
大本営は まともな補給路も確保せずに、孤島の守備を命じた 結果、
守備隊の砲弾は 尽きていた。 米軍戦車隊を撃破して進軍を阻止した
砲兵に対して感状が授与されることになったとき、当の 砲兵隊長が
「感状などより弾が欲しい」 と訴えて涙した、という話も 残っている。
砲は健在だが 弾薬はすでに無く、できることは肉迫攻撃しかなかった。
また、硫黄島の 水不足に関しては よく知られている。
島には 一本の川もなく、井戸を掘っても 濁った塩水しか出てこない。
飲み水は 雨水に頼るほかなく、戦闘が始まると 貯水槽は 破壊され、
生命を支える最低限の水さえも 確保することが困難となっていたのだ。
戦場は 地獄というほかなく、勝利の可能性は まったく 無かった。
大本営は、補給も援軍も送らず、守備隊の兵士を 撤退させることも、
敵に降服することも 最後まで許さず、全員を見殺しにしてしまった。
兵士たちが 地獄の中で、勝ち目のない戦闘に 身を投じているとき、
軍の統帥権を持つ 大元帥陛下は、臣下から和平工作を上奏されても、
いま一度戦果をあげてから交渉せよ として、その進言を退けていた。