蘘國神社には祖国の歴史が秘められている
投稿者: newdendenmaru2 投稿日時: 2013/01/05 18:03 投稿番号: [41040 / 41162]
開戦劈頭の真珠湾攻撃で散った英霊、マレー作戦で散華した将兵等、緒戦の華々しい作戦で国に殉じた御祭神は、往時の戦況篤と御存じである。更に戦争末期、南の島で玉砕した英霊、特攻隊として命捧げた御祭神は、言い残すこと多くお持ちであろう。遡れば日露戦争の橘中佐や広瀬中佐と、多くの御祭神にも後世に伝える事があろう。
遠く遡り安政の大獄で刑死した志士達。このように一世紀に亘り国に殉じた神々を祀る社。額突けば、そこに祖国の歴史がある。
祖国の歴史を忘れた民族は滅びる。国史学の泰斗平泉澄先生は言われる。
「歴史は、歴史を尊敬する人に属し、その門を開き、その手を執る。之に反して、無視し軽視する者に対しては、当然その面を蓋い、袂を分つ。先人の情感、意志、努力を尊敬し、その教訓を親愛し、その志業を継承せんとする者に対して、歴史は無限の喜と力を与える。若し一定の公式にあてはめ、物の支配する所として把握しようとすれば、先人に声無く、歴史は影をうつさぬであろう。」父祖の足跡という著書の序文にある言葉であり、一汎論として共鳴するが、前述の蘘國御祭神の秘めたる歴史は、祖国存亡に係わるもので、もっと深刻な史実である。
撒き餌をもって民衆を釣り政権の座についた民主党は、蘘國神社に参拝せず、「どなたもわだかまりなく戦没者を追悼できる国立の施設を作る」という。わだかまりなくとは、中国に文句言われないことであろう。歴代政府は何故内政干渉をはねつけなかったのか。
国内にもわだかまりが無い訳ではない。東京裁判でA級戦犯として処刑された東條元首相以下が祀られているからだとする。しかしこれは神社が勝手にやったことではない。国の議会が決めたことである。それにも増して、怪しからんのは、戦死したら蘘國神社に祀り祭祀は国が行うと約束しておきながら、それが行われないことである。確かに合祀は行われた。しかし春秋の大祭に天皇陛下は勅使を御差し遣わしになるが、政府は知らん顔、鳩山首相は参拝しない。閣僚にも自粛するよう求めている。
政府の態度がどうあろうと、蘘國神社に対する国民の尊崇は変わらない。年間の参拝者は六百万人に及ぶという。しかしマスコミはこのことを取り上げない。情ないことだ。
蘘國神社に替わる追悼施設を創るというがどんな物を創るのか。蘘國神社の尊厳は、そこに戦死者の魂が祀られているからである。代替え施設に魂がある筈がない。戦死者はそんな施設は知らなかったからだ。
もう一つ、蘘國神社(初めは東京招魂社と称した)は明治天皇の思召しで創られ、安政の大獄以来国事に殉じた人を祀ってあるが、今度創ろうとする施設はどうするのか。政府当事者の考えを聞きたいものだ。
そんな愚かな考えは下から盛り上がる力で打ち砕き、総理大臣の蘘國参拝を定着化し、やがては天皇陛下の御親拝が出来るようにしなければならない。
藤田束湖はいう「天地正大の気粋然として神州に鍾る」と。春秋の筆法を借りれば、憂国の至情粋然として蘘國に鍾ると言うべきか。
今次大戦の御祭神悉く吾人と志を共にせし者なれば、社頭に額突けば亡き戦友数多脳裏をよぎる。
拝殿に合掌する若き人々、霊感に結ばれるか、御祭神のみ霊とうつし世の心、帰一する処ぞ蘘國の宮
遠つ御祖の御祭神、吉田松陰あり橋本左内あり、藤田東湖をして言わしむれば、「人亡ぶと雖も英霊未だ嘗て泯びず。長へに天地の間に在りて、隠然彝倫を叙ずるを」と。神社創設せられし明治天皇の宸襟知るべし。
『英霊にこたえる会だより』第45号掲載
遠く遡り安政の大獄で刑死した志士達。このように一世紀に亘り国に殉じた神々を祀る社。額突けば、そこに祖国の歴史がある。
祖国の歴史を忘れた民族は滅びる。国史学の泰斗平泉澄先生は言われる。
「歴史は、歴史を尊敬する人に属し、その門を開き、その手を執る。之に反して、無視し軽視する者に対しては、当然その面を蓋い、袂を分つ。先人の情感、意志、努力を尊敬し、その教訓を親愛し、その志業を継承せんとする者に対して、歴史は無限の喜と力を与える。若し一定の公式にあてはめ、物の支配する所として把握しようとすれば、先人に声無く、歴史は影をうつさぬであろう。」父祖の足跡という著書の序文にある言葉であり、一汎論として共鳴するが、前述の蘘國御祭神の秘めたる歴史は、祖国存亡に係わるもので、もっと深刻な史実である。
撒き餌をもって民衆を釣り政権の座についた民主党は、蘘國神社に参拝せず、「どなたもわだかまりなく戦没者を追悼できる国立の施設を作る」という。わだかまりなくとは、中国に文句言われないことであろう。歴代政府は何故内政干渉をはねつけなかったのか。
国内にもわだかまりが無い訳ではない。東京裁判でA級戦犯として処刑された東條元首相以下が祀られているからだとする。しかしこれは神社が勝手にやったことではない。国の議会が決めたことである。それにも増して、怪しからんのは、戦死したら蘘國神社に祀り祭祀は国が行うと約束しておきながら、それが行われないことである。確かに合祀は行われた。しかし春秋の大祭に天皇陛下は勅使を御差し遣わしになるが、政府は知らん顔、鳩山首相は参拝しない。閣僚にも自粛するよう求めている。
政府の態度がどうあろうと、蘘國神社に対する国民の尊崇は変わらない。年間の参拝者は六百万人に及ぶという。しかしマスコミはこのことを取り上げない。情ないことだ。
蘘國神社に替わる追悼施設を創るというがどんな物を創るのか。蘘國神社の尊厳は、そこに戦死者の魂が祀られているからである。代替え施設に魂がある筈がない。戦死者はそんな施設は知らなかったからだ。
もう一つ、蘘國神社(初めは東京招魂社と称した)は明治天皇の思召しで創られ、安政の大獄以来国事に殉じた人を祀ってあるが、今度創ろうとする施設はどうするのか。政府当事者の考えを聞きたいものだ。
そんな愚かな考えは下から盛り上がる力で打ち砕き、総理大臣の蘘國参拝を定着化し、やがては天皇陛下の御親拝が出来るようにしなければならない。
藤田束湖はいう「天地正大の気粋然として神州に鍾る」と。春秋の筆法を借りれば、憂国の至情粋然として蘘國に鍾ると言うべきか。
今次大戦の御祭神悉く吾人と志を共にせし者なれば、社頭に額突けば亡き戦友数多脳裏をよぎる。
拝殿に合掌する若き人々、霊感に結ばれるか、御祭神のみ霊とうつし世の心、帰一する処ぞ蘘國の宮
遠つ御祖の御祭神、吉田松陰あり橋本左内あり、藤田東湖をして言わしむれば、「人亡ぶと雖も英霊未だ嘗て泯びず。長へに天地の間に在りて、隠然彝倫を叙ずるを」と。神社創設せられし明治天皇の宸襟知るべし。
『英霊にこたえる会だより』第45号掲載