南京への道(5)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/28 20:51 投稿番号: [40959 / 41162]
軍中央部が捕虜についての基本方針を示さず、方面軍も捕虜の
取り扱いについての方針を さだめなかったことから、幕僚が
かってな指示をしたり、軍や師団が不統一な指示をしたことが
結果として 捕虜の大量殺害につながった。
軍や師団の幕僚が 捕虜の殺害を指示していたという記録には、
次のような例がある。
上海派遣軍の右翼、佐々木支隊の後方を進んだ独立攻城重砲兵
第二大隊第一中隊の 沢田正久中尉は、12月14日仙鶴門鎮
付近で 大部隊を捕虜にしたさいの状況を 証言している。
捕虜の数は約一万(戦場のことですから正確に数えており
ませんが、約八千以上おったと記憶します) でしたが、
早速、軍司令部に報告しましたところ、「直ちに射殺せよ」
と言ったので拒否しましたら「では中山門まで連れて来い」
と命令されました。 (『南京戦史資料集』540頁)
第十六師団歩兵第三十旅団第三十八聯隊副官児玉義雄少佐は、
師団副官から捕虜殺害の指示があったことを 証言している。
連隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、
彼我入り乱れて混戦していた頃、師団副官の声で、師団
命令として「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」
と電話で伝えられた。(略)この命令だけは何としても
納得できないと思っております。
参謀長以下参謀にも 幾度か意見具申しましたが、採用
するところとならず、その責任は私にもあると存じます。
部隊としては実に驚き、困却しましたが命令やむを得ず、
各大隊に下達しましたが各大隊からは、その後何ひとつ
報告はありませんでした。
(「歩兵作命甲第111号」、『南京戦史資料集』622頁)
南京攻略戦に 直接参加した部隊の中で、上海派遣軍では
第十六師団の 歩兵第三十三聯隊と 歩兵第三十八聯隊、
第九師団の歩兵第七聯隊、第三師団の歩兵第六十八聯隊の
第一、第三大隊、第十軍では第百十四師団の歩兵第六十六聯隊
第一大隊と歩兵第百五十聯隊、国崎支隊、歩兵第四十一聯隊の
第三大隊、同第十二中隊の戦闘詳報が、防衛研究所 図書館に
保存されている。
このうち、第十六師団だけに限った資料でも、12月13日の
1日だけで、少なくとも2万人以上の捕虜を 殺害した事実が
分かっている。 たとえば、同師団の 中島師団長の日記にも
13日だけで2万4、5千の捕虜を「片付けた」 としており、
佐々木旅団長も 「我支隊のみで2万以上の敵は解決した」と
記録している。
これは、第十六師団だけの、しかも たった一日だけの数字だ。
南京攻略戦に投入された日本軍の総兵力は 約20万に達する。
日本軍全体で、数日間にわたって 展開された殲滅作戦により
どれほどの捕虜や 敗残兵と見なされた中国人が殺害されたか。
確定は困難だが、各兵士が 銃弾や銃剣を装備しているほか、
各隊毎に機関銃が備わっていた状況からすれば、戦闘力を失い
武器を捨てた捕虜たちを大量殺害するのは 簡単なことだった。
取り扱いについての方針を さだめなかったことから、幕僚が
かってな指示をしたり、軍や師団が不統一な指示をしたことが
結果として 捕虜の大量殺害につながった。
軍や師団の幕僚が 捕虜の殺害を指示していたという記録には、
次のような例がある。
上海派遣軍の右翼、佐々木支隊の後方を進んだ独立攻城重砲兵
第二大隊第一中隊の 沢田正久中尉は、12月14日仙鶴門鎮
付近で 大部隊を捕虜にしたさいの状況を 証言している。
捕虜の数は約一万(戦場のことですから正確に数えており
ませんが、約八千以上おったと記憶します) でしたが、
早速、軍司令部に報告しましたところ、「直ちに射殺せよ」
と言ったので拒否しましたら「では中山門まで連れて来い」
と命令されました。 (『南京戦史資料集』540頁)
第十六師団歩兵第三十旅団第三十八聯隊副官児玉義雄少佐は、
師団副官から捕虜殺害の指示があったことを 証言している。
連隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、
彼我入り乱れて混戦していた頃、師団副官の声で、師団
命令として「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」
と電話で伝えられた。(略)この命令だけは何としても
納得できないと思っております。
参謀長以下参謀にも 幾度か意見具申しましたが、採用
するところとならず、その責任は私にもあると存じます。
部隊としては実に驚き、困却しましたが命令やむを得ず、
各大隊に下達しましたが各大隊からは、その後何ひとつ
報告はありませんでした。
(「歩兵作命甲第111号」、『南京戦史資料集』622頁)
南京攻略戦に 直接参加した部隊の中で、上海派遣軍では
第十六師団の 歩兵第三十三聯隊と 歩兵第三十八聯隊、
第九師団の歩兵第七聯隊、第三師団の歩兵第六十八聯隊の
第一、第三大隊、第十軍では第百十四師団の歩兵第六十六聯隊
第一大隊と歩兵第百五十聯隊、国崎支隊、歩兵第四十一聯隊の
第三大隊、同第十二中隊の戦闘詳報が、防衛研究所 図書館に
保存されている。
このうち、第十六師団だけに限った資料でも、12月13日の
1日だけで、少なくとも2万人以上の捕虜を 殺害した事実が
分かっている。 たとえば、同師団の 中島師団長の日記にも
13日だけで2万4、5千の捕虜を「片付けた」 としており、
佐々木旅団長も 「我支隊のみで2万以上の敵は解決した」と
記録している。
これは、第十六師団だけの、しかも たった一日だけの数字だ。
南京攻略戦に投入された日本軍の総兵力は 約20万に達する。
日本軍全体で、数日間にわたって 展開された殲滅作戦により
どれほどの捕虜や 敗残兵と見なされた中国人が殺害されたか。
確定は困難だが、各兵士が 銃弾や銃剣を装備しているほか、
各隊毎に機関銃が備わっていた状況からすれば、戦闘力を失い
武器を捨てた捕虜たちを大量殺害するのは 簡単なことだった。
これは メッセージ 40958 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.