南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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◆お粗末な肯定論の限界と大破綻①

投稿者: madabakayatuterunokaomae 投稿日時: 2012/12/28 02:17 投稿番号: [40942 / 41162]
南京大虐殺、南京事件について、肯定派は、最低限、何月何日どこで(安全区?城内?城外?)誰が(民間人?中国兵?)誰に(中国兵?日本兵?)何人殺されたのか?
せめてこれくらいは明確にしてほしいものです。
この程度も確定できないのに、何があったと言えるのでしょうか?


『南京大虐殺(南京事件1937年)』とは、日本がシナ(中国)から度重なる挑発を受け、やむをえず宣戦布告の無い戦争をするに至り、当時のシナの首都南京で起きたとされる事件のことです。

いまだに政治カードとしてこの事件を利用している中国共産党は本来刑事訴訟に準ずる立証責任を背負わなければいけませんが、具体的事実(時間や場所、被害者や殺害状況)については全く曖昧なままです。へたに具体的事実を明示してしまうと嘘であることがばれてしまうので曖昧なままにしておいた方が良いのです。曖昧なままでも日本政府は謝罪するのですから。

以下の13のポイントを踏まえて、当時の南京で何があったのか、あなたなりの想像をしてみてください。

1.南京を戦場にしたのは蒋介石、日本軍は降伏勧告をしたが、司令長官の唐生智は勧告を無視して中国兵を置き去りにして逃亡した
『十一月十四・十五日、国民政府は作戦会議を開き、この南京で日本軍と戦うか、それとも南京を放棄して他の場所で戦うかを論議した。席上"南京放棄論"が多数を占めた。同席したドイツ軍事顧問団団長のファルケンハウゼン将軍もこれに賛成したが、蒋介石はあくまでも南京を固守するという防衛方針を決定した。蒋介石は唐生智を南京衞戍司令長官に任命した。トラウトマンによる和平交渉が実らず、停戦合意が成らなかったため、奇しくも安全区委員会が申し入れを行った同じ日である十二月一日、日本軍は南京を攻略することに決定、九日には国際法学者とも協議して作成した「攻略要領」に基づき、「和平開城の勧告文」を飛行機で城内に散布した。国際法に則って“無防備都市”つまり「防守都市に非ず」と宣言して開城すれば攻撃しないと中国側に通告したのである(第二次大戦におけるパリがその例で、これによってパリは破壊を免れた)。しかし、翌十日午後一時の回答期限に至っても何の回答もなかったので、日本軍は総攻撃に踏み切った。南京城外に中国軍が設けた主要な抵抗陣地で激戦が展開され、日本軍は十二日までに郊外の要衝(紫金山・雨花台・工兵学校など)を占領、その日の午後八時には唐司令官は麾下の軍に退却命令を出すとともに、自らも幕僚とともに脱出した(蒋介石は十二月七日早朝、南京を脱出している)。』
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