埋葬記録と犠牲者数推計(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/22 14:08 投稿番号: [40899 / 41162]
前述した
慈善団体などによる
遺体の
収容・埋葬に関して
とくに 多数の埋葬作業にあたった団体としては、「紅卍会」と
「崇善堂」 があり、1937年12月から 38年3月までに
両者併せて 約15万5000体以上を 埋葬している。
東京裁判でも 南京虐殺事件の 最大の証拠とされたのが、
これら 慈善団体などによる 作業報告だった。
南京虐殺マボロシ派は、こうした数字はウソだ と決め付ける。
なかには、崇善堂は民間の葬儀屋なので、多額の報酬を得るため
数を水増ししているのだ という根拠のない説を唱える者もいる。
しかし、崇善堂は 日本軍の依頼にもとづき業務にあたっていた。
軍が依頼して 報酬を支払ったのであり、当然 その費用は
公金であるから、最低限の実績確認・検査は 行っている。
仮に 水増しがあったとしても、日本の役人の目を 欺くのには
限度というものがある。 なお、通常 戦場の掃除は自軍兵士や
捕虜が実行する。 軍がわざわざ民間団体に 委嘱したことは、
捕虜を大量に殺害したため労働力不足となったうえ、軍だけでは
処理しきれないほどの遺体が存在していた事実を 示している。
紅卍会と 崇善堂による遺体収容は、南京行政区の中だけであり、
周辺地域や 南京沿いを除く 揚子江などは 含まれていない。
さらに、遺体埋葬を行ったのは この2つの組織だけではなく、
紅十字会(赤十字)など 複数の機関も 別途実施した。
したがって、南京周辺だけに限っても 約20万以上の 遺体が
存在していたということは、間違いない事実だ。
大量の遺体が遺棄されていたという事実は、日本軍の関係者も
記録している。 たとえば、第16師団の佐々木到一支隊長は
日記に 次のように 記している。
「この日、わが支隊の作戦地域内に遺棄された敵屍は1万数千に
上り その外、装甲車が江上に撃滅したもの ならびに各部隊の
俘虜を合算すれば、我が支隊のみにて2万以上の敵は解決されて
いる筈である。(中略) 午後2時ごろ、概して掃蕩を終わって
背後を安全にし、部隊を纏めつつ前進、和平門にいたる。」
「その後俘虜続々投降し来たり数千に達す、激昂せる兵は上官の
制止を肯かばこそ、片はしより 殺戮する。 多数戦友の流血と
十日間の辛酸を顧みれば 兵隊ならずとも『皆やってしまえ』と
言いたくなる。」
「白米は もはや一粒もなし、城内には 有るだろうが、俘虜に
食わせるものの 持ち合わせなんか 我が軍には無い筈だった。」
(佐々木到一少将私記「南京戦史資料集」南京戦史編集委員会編)
佐々木少将が 大ウソつき でなければ、支隊のみで 2万以上の
敵兵を「解決」したこと、俘虜だと認識しながら 殺戮したこと、
食料が底をつき 俘虜の給養は不可能であった状況 などが判る。
このほかにも 数千あるいは数万の単位で捕虜を処断した事実を
記録している軍関係の資料が多数 残されている。
では、短期間に これほどの大量殺戮が 可能だったのだろうか。
とくに 多数の埋葬作業にあたった団体としては、「紅卍会」と
「崇善堂」 があり、1937年12月から 38年3月までに
両者併せて 約15万5000体以上を 埋葬している。
東京裁判でも 南京虐殺事件の 最大の証拠とされたのが、
これら 慈善団体などによる 作業報告だった。
南京虐殺マボロシ派は、こうした数字はウソだ と決め付ける。
なかには、崇善堂は民間の葬儀屋なので、多額の報酬を得るため
数を水増ししているのだ という根拠のない説を唱える者もいる。
しかし、崇善堂は 日本軍の依頼にもとづき業務にあたっていた。
軍が依頼して 報酬を支払ったのであり、当然 その費用は
公金であるから、最低限の実績確認・検査は 行っている。
仮に 水増しがあったとしても、日本の役人の目を 欺くのには
限度というものがある。 なお、通常 戦場の掃除は自軍兵士や
捕虜が実行する。 軍がわざわざ民間団体に 委嘱したことは、
捕虜を大量に殺害したため労働力不足となったうえ、軍だけでは
処理しきれないほどの遺体が存在していた事実を 示している。
紅卍会と 崇善堂による遺体収容は、南京行政区の中だけであり、
周辺地域や 南京沿いを除く 揚子江などは 含まれていない。
さらに、遺体埋葬を行ったのは この2つの組織だけではなく、
紅十字会(赤十字)など 複数の機関も 別途実施した。
したがって、南京周辺だけに限っても 約20万以上の 遺体が
存在していたということは、間違いない事実だ。
大量の遺体が遺棄されていたという事実は、日本軍の関係者も
記録している。 たとえば、第16師団の佐々木到一支隊長は
日記に 次のように 記している。
「この日、わが支隊の作戦地域内に遺棄された敵屍は1万数千に
上り その外、装甲車が江上に撃滅したもの ならびに各部隊の
俘虜を合算すれば、我が支隊のみにて2万以上の敵は解決されて
いる筈である。(中略) 午後2時ごろ、概して掃蕩を終わって
背後を安全にし、部隊を纏めつつ前進、和平門にいたる。」
「その後俘虜続々投降し来たり数千に達す、激昂せる兵は上官の
制止を肯かばこそ、片はしより 殺戮する。 多数戦友の流血と
十日間の辛酸を顧みれば 兵隊ならずとも『皆やってしまえ』と
言いたくなる。」
「白米は もはや一粒もなし、城内には 有るだろうが、俘虜に
食わせるものの 持ち合わせなんか 我が軍には無い筈だった。」
(佐々木到一少将私記「南京戦史資料集」南京戦史編集委員会編)
佐々木少将が 大ウソつき でなければ、支隊のみで 2万以上の
敵兵を「解決」したこと、俘虜だと認識しながら 殺戮したこと、
食料が底をつき 俘虜の給養は不可能であった状況 などが判る。
このほかにも 数千あるいは数万の単位で捕虜を処断した事実を
記録している軍関係の資料が多数 残されている。
では、短期間に これほどの大量殺戮が 可能だったのだろうか。
これは メッセージ 40898 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.