Re: 正反対
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2012/12/01 14:48 投稿番号: [40808 / 41162]
>南京で日本兵によって虐殺された中国人市民の数は二万人と見積もられ、その
>一方で、若い少女を含む何千人もの女性が辱めを受けました。
>(1938年2月1日国際連盟理事会第六会議議事録 顧維鈞氏の演説)
>倭寇(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている。
>(1938年1月22日 蒋介石日記)
>外人側の情報が確認 敵、南京で大虐殺!難民区内もまた血に満つ
>ノースチャイナ・デイリーニューズ掲載 南京の敵、なお殺戮をほしいままにす
>(大公報(当時漢口で発行)の記事)
No.11126
―――――
虐殺は嘘18誰も知らなかった虐殺4蒋介石
蒋介石が1938年1月22日の日記に、「寇(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている。野獣にも似たこの暴行は、もとより彼ら自身の滅亡を早めるものである。それにしても同胞の痛苦はその極に達しているのだ。」と書いたことを以って、蒋介石は南京大虐殺を認識していたというのは見当違いだ。
まず、日記の原文には「殘殺」という言葉が使用されており、蒋介石が「市民大虐殺」について記述するなら「屠殺」とか「大屠殺」と書くはずで、「殘殺」という言葉は、南京占領後の便衣兵などの処刑を指していると考えられる。
そもそも、蒋介石が日記で日本軍の悪口が書くのは当り前だし、何故1月22日の日記なのか疑問だ。
一体、1月22日頃、どこに虐殺があったと言うのか?
どうして早々に南京から逃げ出した蒋介石がそのような誰も知らないことを知っていて、何応欽将軍などが大虐殺を全く知らなかったのか?
ましてや、その日記の約5ヵ月後、支那事変一周年目の7月7日に蒋介石が発表した『日本国民に告げる書』に「広州などへの爆撃」については述べて、「南京虐殺」については述べなかったのだから認識はなかったのだ。
また、国連支那代表の顧維鈞が1938年の2月の総会で、南京での残虐行為について演説したことを以って支那や国連が南京大虐殺を認識していたというのも見当違いが甚だしい。
その顧維鈞の演説は、誰でもすぐに分かるような明らかな嘘や逆宣伝やプロパガンダが満載だった。
顧維鈞自身が本当に南京で大虐殺があったと認識していたら誰でもすぐに判るような明らかな嘘や逆宣伝やプロパガンダと一緒に南京のことを演説することはない。
実際に、1938年5月に国際連盟理事会が「支那に、同情の意を表明する」との文言を含む決議文を採択したのにも拘わらず、「虐殺」非難の文言が一切なかった。
つまり、2月の顧維鈞の演説は国際社会からも「出鱈目だらけで信憑性なし」と認定された訳だ。
蒋介石が1938年7月7日の『日本国民に告げる書』で、「一地區占據後、貴國軍隊は奪掠焚焼を肆にし、無辜の良民及負傷兵士を大規模に殺戮す。或は千百人を廣場に縛し機銃を以て掃射し、或は敷十人を一室に集め油火を以て焚焼す。甚しきは殺人の多寡を競ひて矜持と爲す。」と述べたことを以って、蒋介石は南京大虐殺を認識していたなどと馬鹿なことを言う奴がいる。
しかし、包括的かつ冷静に分析すれば、この『日本国民に告げる書』こそ、蒋介石が、日本軍による南京市民虐殺を認識していなかった証拠なのだ。
(以下略)
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「ノースチャイナ・デイリーニューズ掲載 南京の敵、なお殺戮をほしいままにす」というのは、国民党の工作員が主に外国人や海外などにデマを撒き散らした戦時プロパガンダを掲載したに過ぎない。
事実ならもっと具体的に、いつ、どこで、誰が、誰を、どのように殺戮したのか記事に掲載しなければおかしい。
実際に支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。
ノースチャイナ・デイリーニューズの記事の情報ソースは?
そして、いつ、南京のどこで、日本軍の誰が、誰を、どのように殺戮したのか?
>一方で、若い少女を含む何千人もの女性が辱めを受けました。
>(1938年2月1日国際連盟理事会第六会議議事録 顧維鈞氏の演説)
>倭寇(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている。
>(1938年1月22日 蒋介石日記)
>外人側の情報が確認 敵、南京で大虐殺!難民区内もまた血に満つ
>ノースチャイナ・デイリーニューズ掲載 南京の敵、なお殺戮をほしいままにす
>(大公報(当時漢口で発行)の記事)
No.11126
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虐殺は嘘18誰も知らなかった虐殺4蒋介石
蒋介石が1938年1月22日の日記に、「寇(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている。野獣にも似たこの暴行は、もとより彼ら自身の滅亡を早めるものである。それにしても同胞の痛苦はその極に達しているのだ。」と書いたことを以って、蒋介石は南京大虐殺を認識していたというのは見当違いだ。
まず、日記の原文には「殘殺」という言葉が使用されており、蒋介石が「市民大虐殺」について記述するなら「屠殺」とか「大屠殺」と書くはずで、「殘殺」という言葉は、南京占領後の便衣兵などの処刑を指していると考えられる。
そもそも、蒋介石が日記で日本軍の悪口が書くのは当り前だし、何故1月22日の日記なのか疑問だ。
一体、1月22日頃、どこに虐殺があったと言うのか?
どうして早々に南京から逃げ出した蒋介石がそのような誰も知らないことを知っていて、何応欽将軍などが大虐殺を全く知らなかったのか?
ましてや、その日記の約5ヵ月後、支那事変一周年目の7月7日に蒋介石が発表した『日本国民に告げる書』に「広州などへの爆撃」については述べて、「南京虐殺」については述べなかったのだから認識はなかったのだ。
また、国連支那代表の顧維鈞が1938年の2月の総会で、南京での残虐行為について演説したことを以って支那や国連が南京大虐殺を認識していたというのも見当違いが甚だしい。
その顧維鈞の演説は、誰でもすぐに分かるような明らかな嘘や逆宣伝やプロパガンダが満載だった。
顧維鈞自身が本当に南京で大虐殺があったと認識していたら誰でもすぐに判るような明らかな嘘や逆宣伝やプロパガンダと一緒に南京のことを演説することはない。
実際に、1938年5月に国際連盟理事会が「支那に、同情の意を表明する」との文言を含む決議文を採択したのにも拘わらず、「虐殺」非難の文言が一切なかった。
つまり、2月の顧維鈞の演説は国際社会からも「出鱈目だらけで信憑性なし」と認定された訳だ。
蒋介石が1938年7月7日の『日本国民に告げる書』で、「一地區占據後、貴國軍隊は奪掠焚焼を肆にし、無辜の良民及負傷兵士を大規模に殺戮す。或は千百人を廣場に縛し機銃を以て掃射し、或は敷十人を一室に集め油火を以て焚焼す。甚しきは殺人の多寡を競ひて矜持と爲す。」と述べたことを以って、蒋介石は南京大虐殺を認識していたなどと馬鹿なことを言う奴がいる。
しかし、包括的かつ冷静に分析すれば、この『日本国民に告げる書』こそ、蒋介石が、日本軍による南京市民虐殺を認識していなかった証拠なのだ。
(以下略)
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「ノースチャイナ・デイリーニューズ掲載 南京の敵、なお殺戮をほしいままにす」というのは、国民党の工作員が主に外国人や海外などにデマを撒き散らした戦時プロパガンダを掲載したに過ぎない。
事実ならもっと具体的に、いつ、どこで、誰が、誰を、どのように殺戮したのか記事に掲載しなければおかしい。
実際に支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。
ノースチャイナ・デイリーニューズの記事の情報ソースは?
そして、いつ、南京のどこで、日本軍の誰が、誰を、どのように殺戮したのか?
これは メッセージ 40786 (sho*jou** さん)への返信です.