南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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中央公論新社へメール

投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2012/02/07 08:42 投稿番号: [38659 / 41162]
中央公論に画像UP了解を兼ねてメールを出しました。

御社の秦郁彦著『南京事件「虐殺の構造」増補版』中公新書p131の、
「井家又一日記」の写真版を、私ホームページにUPしていますので、
ご連絡申し上げます。http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/syasinnbanniiemataitinikki.html

捕虜335人を殺害したと証言する、異常な日の個人日記の一部です。
手書きしたことを考えれば、長い文だと思います。

しかしこの日記は、昭和10年の日本の著名人の筆跡に比べれば、非常に達筆流麗な文字です。

     昭和10年平凡社『手紙講座』から、1894年以降に生まれた人、
     1890年から1893年までに生まれた人、
     1885年から1889年までに生まれた人、と、
     年代別の手書き文字もUPしました。http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/nenndaibetutegakimoji.html

     このように年代別に整理したのは、1901年から実施となった、
     小学校での「現代ひらがな」教育の影響が、手書き文字に与えた影響を見るためです。

     最終的には、昭和10年刊・平凡社『手紙講座』
     http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/tegamikouzazenn.html

     の170人、全部の手書き文字例をUPする予定です。
        (手書きの画像画面から戻るには、パソコン上段のタスクバー?の「←」で戻る必要あり)

井家又一日記の写真版を、下の解読文、前頁その他と照合して、よく見ていただきたいと思います。
1筆勢、
2字形の整え方、
3字配り、
4画数の多い数字「大字」や草漢字風の変体がなの使用、
5戦後に使われるようになった新かな遣い「いる」や、兵士は使わなかった「捕獲」という言葉遣い、
6文章上の文法間違い「本日新聞記者に自分は支那売店に立っている時」とか「眺めらされる」

などは、昭和10年の著名人の手紙と比べて、戦場日記と言うにしても、
戦前の日本人の手紙と言うにしても、あまりにも違和感があると思うのです。

ところが秦郁彦氏は、自ら検閲体制の厳重さを言っているにもかかわらず(p22)、

「これをどうやって日本に持ち込んだか」については「一言も言及しないで」、
これを証拠物件として扱っています。(これは笠原十九司『南京事件論争史』平凡社でも同じです)

検閲をくぐりぬけて持ち込もうとする兵士にとって、それをどうやって持ち込むか、は、

非常にスリリングな課題だと思うのですが、誰もそれを問題にしません。

本当に南京事件当時のものを、兵士たちが日本に持ち込んだのでしょうか?
戦後の中国の偽作ではないでしょうか?

南京事件では多数の元兵士の日記が発掘されています。

その内、A級戦犯として処刑された松井石根大将他、井家又一日記を含む18篇が、
偕行社(戦没者慰霊を目的とする公益法人)刊行『南京戦史資料集』に掲載されています。

しかしこの井家又一日記の奇妙さが、
戦前戦後の変化のわかる、草書変体仮名の解読者にも指摘されないのであれば、

偕行社『南京戦史資料集』に掲載された他の17篇の日記も、
奇妙さがあっても指摘されないことになるでしょう。

つまり、発見された元兵士の日記は、「全部疑う必要がある」のではないか、
と思うのです。

南京事件関連の現代史議論の担い手は、原本の手書きに、
関心がない方が多いと思います。

私には、この手書き・井家又一日記は、335名の捕虜を殺害した日に、
日本兵の手で書かれたものとは、思えません。

一度、秦郁彦氏にも、私の疑問をお伝え願えないでしょうか?
そして、井家又一日記の現物をお持ちなら、是非、日記全体の姿、全ページの公開を、お願いしたいのです。
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